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波瀾万丈な人生と語学③

騙された!?過酷な職場…海外で働く時は覚悟が必要

韓国の留学センターに雇われて、1ヶ月ソウルのオフィスにて勤務をした後、フィリピンの最後の秘境と言われるパラワン島にある語学学校にマネージャーとして赴任しました。

学校の事前情報と言えば、きれいな外装の写真とすごく住みやすいという社員や院長からの説明のみ。

しかし、空港に着いてから車でジャングル道を約1時間半…辺りは電灯もほとんどなく真っ暗、どんどん暗闇の中へ、そして頭によぎったのは…

『これ拉致されるんじゃ…💧』

そんなことを思ってる内に到着。

その日は真っ暗だったのでよくわからなかったのですが、翌日色々見学してみると、なかなか大きな学校ということがわかりました。

でも聞いてた話と違う…壁はボロボロ、設備もボロボロ、掃除も行き届いていない、電気の供給もよく止まる、水道の蛇口をひねると水は茶色で草がたまに出てくる…なんだか廃墟のような状態でした。

しかも…

サソリやスカンク、大トカゲ、大蛇、巨大な蜘蛛や蛾、ハエ、ゴキブリ…まさに虫や動物たちの楽園ではないかーい!

自身の部屋も電気をつければどこからともなく虫が入り込み、ベッドのマットレスを裏返すと色んな種類の虫やゴキブリが…どデカいムカデにも就寝中に噛まれました。汗

それに日中は焼けるような日差しと暑さ…潔癖症で暑さに弱い私にはあまりにも過酷な場所でした。

ハチャメチャな事態

現地の学校に赴任して数カ月が経った頃、もともと現地にいた副院長(韓国人)が夜逃げ…実際には昼逃げだが、何も引き継がずに学校を出ていってしまう。

ちょうどその頃運営資金が底をつきはじめていたこともあり、給与も支払われないことがしばしば…逃げたいのもわかる。

一番最悪なのは…生徒や先生、スタッフの不満を私が一気に受けることになったこと。語学の勉強もできるかなと思ったがそれどころではなく、ちゃんとした生活ができるのだろうかという不安が…

しかも母国語ではなく韓国語と英語しか使えないという…いつしか日本人であることすら忘れていましたが。笑

加えて、最悪な時期に院長も音信不通になり、食料を買うお金もなくなり、ついには飲み水も買えなくなるという不運の極み…

今ならまだ日本に帰れるという考えもありましたが、目の前で大変な思いをしている人たち見捨てることができず、とりあえずできることをやってみようと、思いつくものは何でもやりました。

食料は、副業をしている現地のスーパーバイザーにも支援を頼み、荒れていた教室やその他施設は自ら掃除をし、ハエだらけの食堂は購入したハエたたきで、ひたすら駆除をし(毎回数十匹駆除)、食堂のスタッフにもそれを指示したり掃除の仕方や衛生管理の仕方等も一から教え、

ネットもなかなか繋がらないので、週末自費で遠い町まで出てメールチェック…

また給与が支払われない先生たちが授業をボイコットすることも増えたので、距離を縮めながら自ら英語の授業を開くこともしばしば…これ全部無給でやってます。はい、今思えば私はバカです。

さらに高血圧症やデング熱?らしき病にもおかされ死にそうになるという…もうここは苦難の宝石箱や~(笑)

悪徳エージェントの代表とバトル

生徒はたくさん来てるのに、なぜこんなにお金がないのか…私は不思議で仕方がありませんでした。

そこで、エージェントを通して来た生徒たちに聞いたところ、衝撃の事実が…

『留学評費用は全てエージェントに払って。電気代やビザの延長費用、その他も全て払って来ましたよ。』

その費用は1カ月で一人20万円以上…でもここの学校費用は一人月10万円でリッチな留学生活ができるのに…そのお金がまるまる横領されたなんて。。。どんだけ悪どいんだ…

私はエージェントの代表に連絡をとって、いったいいくら送金してるのか、明細を送って欲しいと頼みましたが、『そんなものはない。送ってるって言ってるんだから、くだらんことは聞くな!』と、一点張り。
院長は…そうです、音信不通です。

詐欺師のせいで生活に苦しんでいる人たちを前に、何も解決できない自分に悔しさを覚え、同時に自分の力のなさに落胆しました。それでも、財力や権力も遥かに上の相手と戦うことを決意。

この状況…日本で言うと、企業の社長VS取引先の契約外国人スタッフのようなもんです。勝ち目はないに等しい。でも悪いことをしてるんだから私は認めません!

なんやかんやで最終的に院長とも連絡がとれて、院長もその事実を知り、他のエージェントを探すと約束してもらいました。
※数年後その代表は他でも同じようなことをして逮捕されたそうです。

海外で必死で何かに取り組むと語学力はぐんと伸びる

それから、新しいエージェントたちの視察受け入れや学校の説明等も行い(したことない通訳もやり)、なんと廃れた学校が少し回復したのです。

この間使ったのは、英語、韓国語、徐々に覚えていったタガログ語です。このおかげで一気に4か国語が話せるまでになりました。

また現地の人たちの信頼も得て、所持金が底をついてきたので7カ月程度で契約を終えて帰国しましたが、4年たった今でも当時の生徒さんやスタッフとのやりとりは続いています。

ここでは語学以上に何か人間として大切なことを学んだ気がします。

海外で生活すればみんな話せるようになる、は嘘!?

よく、海外に行って長くいればそこの言葉はペラペラになれると言いますが、必ずしもそうでないと思います。

例えば、日本人の多い留学先にワーホリ等で1年いたとしても、そのほとんどを日本人と過ごしたり、バイトしかしていない場合は、よほどの天才でない限りは実力は伸びないと思います。そんな方々をたくさん見てきています。

重要なのは、どれだけその言葉を使う環境にいるか、使わざるを得ない状況に身を投じているか、必死になって習得しようとしてるかです。

話せないと生きられない状況になれば、誰でもある程度は話せるようになります。

それを私は身をもって経験しているのでよくわかります。

語学は、その言葉が自身にとってどれだけ必要性があるかで、伸び率が変わってくるので、これから勉強するという方は、本気で取り組んでいただきたいと思います。

そうすれば実力は必ず伸びます。

次でこのシリーズはラストです。

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