二元論と前提の保留

最近は、割と抽象度の高いことを考えてみたり、自由に思索にふけっている。

今日は二元論について、言葉にしてみる。

わかりやすいので(というか言葉にできなかったので、諦めて)図にしてみた。

現実の二元論は、わかりやすい白と黒じゃない

白と黒ときっぱり別れているイメージをつけがちだが、ほとんどがグレー。しかも、濃淡がある。

現実の世界では、白黒で決着のつく内容ばかりではない。

白と黒は図形の中で、白と断じれる部分と黒と断じれる部分は一点しかない。

世の中の二元論で話される内容もだいたい同じ特性じゃないだろうか。


二元論はわかりやすい。だけれど、危ういとも思う。

現実では、特撮のヒーローもののようなわかりやすい敵が町を襲うこともない。冷静に考えれば、私たちが「悪」や「敵」と見なしうる人たちは、明らかな「悪」ではないし、こちらの都合が良いがために「敵」と見なしがちだ。

わかりやすい「悪」もいなければ、わかりやすい「正義」もいない。

あるのは、自分がそう見なし方が都合のいい解釈だ。

二元論の危うさは、見なしたい「解釈」を「現実」だと思い込むことだ。



ここから少し悪についても少し話してみる。

悪は結果であって、目的ではない。

・悪いやつ→悪いことをする→悪

ではなく

普通の人→悪いことをする→悪

人を殴って怪我をさせた行為(悪いこと)があって、その人は悪になるのだ。

悪を求めてその人は、行為をしたのではない(と思う)し、その人自身が悪だからその行為をしたのではない。

見なしたい解釈の話に戻る。

二元論で断じようようとすると、向けられる範囲が広くなりがちなところだ。ここで言えば、行為の話から人格にまで及ぶこと。

そう見なした方が都合が良いからだ。


ごちゃごちゃしてきたけど、もう少しだけお付き合いください。


では、二元論というわかりやすく危うい魔法にかかっているときに、私たちはどうすればいいのか?

二元論の反対側に立って、対立概念側から観た絶対性を心底理解しようと努めてみる。

白=正義ではなく、黒=正義とイメージする人もいるかもしれない。

二元論は、立場を崩さなければ、導かれる結論は同じ

おそらく人間は、知覚できるもののほとんど全てを自動的に、意味を与え処理している。

それは、個人の価値基準または社会通念的な(コモンセンス)価値基準を元に、良い悪いなどに分けられている。

色というコモンセンスで話すならば、どうみても白は白で、黒は黒だ。

しかし、無限にあるものごとに、どんな意味を加えるのかは、個人的経験や無自覚に支配された社会通念から判断を下している。

強く影響を受けている前提には、二元論で断じているときほど無自覚だ。

自身の正解をかなり意識的に保留して、本当にそうだっけ?と自分の立場や見え方の絶対性を疑う行為が二元論の魔法を解く鍵だと思う。


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たける

ボディメイクやコーチングの内容について発信していきます。 読書と筋トレが趣味です。
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