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55.タカちゃんのこと・・・

note.com のこのアカウントを作ったのは昨年6月でした。

元々 Twitter の方で、友達のタカちゃんのことを少し書いていたのですが、もう少し詳しいことを長い文章で書き残しておきたいなぁ…と思うようになってこのアカウントを作ったのだ…と記憶しています。

僕はタカちゃんの顔を知りません。“秘密主義だ”…と言っていたタカちゃんは、それでも自ら個人的なことを少しずつ明かしてくれていたのですが、彼の容貌についてだけは、最後まで分からないままでした。「私がどんな見た目でも良いのですか」って、最後の頃に電話で訊かれました。それは多分、僕が「愛を込めて」…などというメッセージを mixi上の呟きで彼に向けて発信したことへの応えであったと、自分は思っています。安易とも取れるその言葉への反応だったに違いない…そう思います。もう前にも書いたことですが、彼の質問にたじろいだ自分は、「どんな見た目でも良い」とは言えませんでした。その時の僕の答え方如何によっては……或いはそれより以前に、俗っぽい安手のメッセージを送っていなかったら、結果は違っていたかもしれません。

彼の顔を知らないせいか、僕は「彼だ…!!」と明確に分かる夢を見たことがありません。三年前から一日も、彼のことを考えない日なんて無いのですが。

それでも昨晩だったか…なんとも言えない安らぎを感じるような夢を見た気がしていて、もしかしたらそれは彼の出てくる夢だったのではないか…という感覚が仄かにあります。

彼とのやり取りが突然に途切れたすぐあとは、もっと怖い夢を幾度か見たように思います。夢…というよりも、暗い縁に腕を引き込まれるような感覚…とでも言ったら良いか ── 。


今でも mixi の彼のアカウントからは所謂「足あと」というのが付くのですが、それは本人のログインによるものではないと確信できるだけの材料が揃っています (詳しくは過去の記事に書いてきました) 。彼がその後どうしているのか、この世にまだ命はあるのか、或いはそうではないのか …… 何も分からないままの日々が続いています。


「死ぬまでにパートナーを持つことができなかったのが残念だ」という意味のことを彼が電話で話していたことを忘れられずにいます。彼は恋人を探すためのアプリも利用していたそうです。そういった方面のやり取りは、彼が闘病生活に入る前には一度もしたことがありません。でもそのような望みを抱いていた等身大のタカちゃんのことをリアルに知って、愛おしい気持ちが湧いてきます。

「タカちゃんと一緒になりたい」そう口に出してみることが今はあります。でもそんなことを言ったら、前に安直なメッセージを送ったときよりももっと窘められるかもしれません。実際に顔を合わせてみないことには、分からないことは山ほどあると思います。そのスタートラインに着くことさえできなかったことは、やはり途轍もなく悔しいことのように思われます。




(やり取りが断絶したあとも続いた「足あと」を見つけて、泣きながら喜んでいた頃のことを思い出しながら・・・)

「♬.*゚The Things We Did Last Summer」(vocal:Beverly Kenney)


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