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囲碁の古い NHKテキスト(15年前の志田さん)

Amazon のマーケットプレイスで頼んでいた古いテキストが届いた。『NHK 囲碁講座テキスト』の2009年8月号。

Wikipediaの「志田達哉八段」来歴エピソードの元ネタとして挙げられていたもので、運良く この古い号が見つかって良かったです。

当時18歳の志田さん

⬆現在と比べて、かなり鋭い印象を受けます。

記事を読むと、今もネットで見かけるエピソードの初出はこれなんだろうなぁ…というものがありました。とても自分には良い記事だったので、もう古いものですし、そのまま⬇に引用します。

「棋士もいろいろ」志田達哉 二段の巻
(松浦孝仁)

~電池だけが減る?~
小学生からお年寄りにまでいき渡り、私たちの生活に欠かせないもの、といったらなんでしょう。正解は、もちろん携帯電話ですね。

普及しはじめたころは、おじさん達を中心にして、「あんなもの、 必要ない!」という声が多かった。「いつでもどこでも呼び出されるなんて、冗識じゃない」と叫ぶ恐妻家の方もいました。それが今では、買い物もできるし、いろいろな支払いにも対応。乗り物の予約だってできます。ホント、便利です。携帯電話のない生活なんて想像できませんよね。

棋士もうまく利用しています。難しい詰碁を作ったり見たりしたら、それをカシャっと携帯電話で撮影して仲間の棋士へメールで送信します。「この詰碁わかる?」と一言添えれば、たちまち返事が返ってくるそうです。棋士で携帯電話を持っていないのは、記者が知る限りではたった一人。片岡聡 九段だけです。そして今回、新たにもう一人加わることになりました。玉井伸 二段からの紹介、中部総本部所属の志田達哉 二段です。「一時期、2、3年は持っていたのですが、電話はあまりかけないし、メールもやり方を聞かなかった。電池だけがどんどん減っていくので、もういいやと (笑) 」 不自由なことはない?と聞くと、「うーん、特にありませんね」そういえばわたしたちも、携帯電話のない頃は普通に生活できていたのですよね・・・。

~無口、でもない?~
玉井さんからの情報では、志田さんは「勉強家で物静か。局後の検討はとくに熱心です」物静かというのは取材の際に苦労します。そこでいろんなところで志田評を聞いて回りました。興味深かったのは、日本棋院発行、「週刊碁」 編集者の一言でした。「基本的には無口でしょうね。でも、話題が碁、特に盤上のことになると、それはもう熱く語ってくれますよ」それを志田さんに伝えると、少し照れくさそうな表情に。では、ここで彼のこれまでの歩みを簡単に振り返ってみます。

小学1、2年生のころに祖父から碁を教わり、3年生で少年少女全国大会出場。4年生では全国で三位入賞を果たします。5年生のころにはすでに院生、中学在学時に入段を決めました。

で、ここからがすごい。デビューした平成18年に週刊碁主催の第3回中野杯U選手権 (作家の故・中野孝次さん創設) で四位入賞。翌年は中部総本部所属棋士で争われる王冠戦で本戦出場を果たし、さらに第2回広島アルミ杯若鯉戦で優勝を飾ります。

まさにトントン拍子。わき目も振らずに勉強してきたであろうことが容易に想像できますよね。え? 少しオーバーじゃないかって? いえいえとんでもない! 携帯電話と決別し、志田さんがここまで急成長できたのはまさに努力の賜物。そこには家族の、固い固いキズナがありました。

~ありがたい、父のサポート~
平成二年生まれで18歳の志田さんは、福井県の出身。中学1年生のとき、プロになるために名古屋へ出てきました。ただし、両親と弟、妹の五人家族が揃って引っ越しをしたわけではありません。 「父とぼくの二人だけで名古屋に。多少の反対はありましたが、最後は賛成してくれました」

実は驚くのはこの後です。お父さん、掃除洗濯食事の用意と、身の回りの世話を一手に引き受けているそうです。
「料理はとてもおいしいですよ。スーパーやコンビニのお惣菜コーナーに頼ることなく、ほとんどが手作り。本当にありがたいです」甘やかしに通じるのではと感じる読者も中にはいるでしょう。記者も正直、少し心配になりました。でも、志田さんのこの言葉を聞いて、考えを改めました。
「父には感謝しています。ぼくはずっと碁の勉強に集中できますから。家にテレビは一応あるのですが、ぼくのためにがんばってくれている父の前ではとても見ていられません。そんな時間があったら、遊んでいる時間があったら、とにかく勉強しなければと・・・」
家族は二つに分かれたけれど、志田家の結束は岩よりも鉄よりも、はるかに堅そうです。そうそう、名古屋と福井の実家は電車で約二時間の距離だとか。
「 会おうと思えばいつでも会えますよ。それに五つ年下の妹は、父とぼくが名古屋に出るとき、涙も見せませんでした (笑) 」

~とにかく、家~
一週間のスケジュールを聞いてみました。そこにはやはり、お父さんの影響力が。手合い日の木曜日から見ていきましょう。

木曜日に手合いがつかなければ総本部で見学か勉強。金曜日は若手数人で集まって研究会。これは毎週行われているそうです。土、 日、月曜日は家にいることが多く、もちろん碁盤に向かう時間がほとんど。遊びに出ることはまったくといっていいほどないとか。カラオケは「いきたくない」そうです。火曜日は原則第一、三週が羽根直樹 本因坊、小県真樹 九段参加の研究会。対局が多いとのことです。 第二、四週は彦坂直人 九段参加の研究会で、こちらは打碁講評が中心。水曜日は週末と同様、家でひたすら勉強。まさに「囲碁漬け」 の生活ですね。「小説を読むのも嫌いではないのですが、やはり基ですね。研究会が中止になれば家にいます」
きっと志田さんは家が好き。それは父親の姿を、重荷として感じていない証拠です。中学1年生からスタートしたこの生活スタイルには、難しい年頃の子供に接するヒントがあるのでは、と思います。
「いつかは独立することになると思っています。でも、まだいいかなと。とにかく今は、がんばりたい。去年の成績 (18勝11敗) は納得がいかなかった。もう少し勝てるようにならないと」

~「差」を感じさせた、先輩~
取材の最中、柳澤理志 三段が顔を見せました。すると志田さんはすかさず、「次回、出てくれませんか?」記者の前でこうお願いされたら、断れませんよね。柳澤さんは二つ上の先輩。志田さんより一年早い入段です。
「強かったです。ぼくがそのとき (14歳) まで入段できないのも実力だなと思ったものです」
来月も名古屋中部総本部から。お楽しみに。

囲碁のプロ棋士の人は殆ど皆さんそうなんでしょうけど、こんなに若い内から自分の将来についてブレることなく進んで来られていることが凄いなぁ…と思います。

5ちゃんねるだったか、それとも YouTubeのコメントだったか忘れましたが、「ケータイ持ってないのかな!?!?    たまたま??」っていう書き込みがあったのを覚えています。わりに最近の、何かの棋戦の大盤解説会での志田さんを見ての感想だったと思います。⬆の古い記事にも “携帯電話不所持” の話が出てきていますが、おそらく察するに、現在も持っていらっしゃらないのじゃないですかね。もし本当にそうだとしたら、それはなんだかとっても志田さんらしいことのように思えてしまいます。

志田さんのお父さんって、どんな方なんでしょうね。息子の身の回りのこと全てやられてきたなんて、凄いですね。


現在進行中の様々な棋戦、志田さんが生き残っているのは「王座戦」と「天元戦」…ということになるのかな。これから本戦に入っていき、どんどん人数が絞られていく訳ですが、志田さんが少しでも先まで進んでいき、沢山活躍されることを願っています。挑戦手合に挑む所だって見てみたいですもん。


※[追記]書き忘れたことが一つ。引用した記事中に「小説を読むのも嫌いではない」という志田さんの言葉があって、好ましい思いを抱きました。志田さん、どんなものが好きなのかな…。

30代の現在は、囲碁に対してどのような思いを抱いているのか、聞いてみたい気がします。その他、日々の生活についてとか、何処かでインタビューしてくれないかなぁ。




📎本日の「王座戦 最終予選」決勝、中押し勝ちしました✨

AIによる勝率の推移を表わすグラフ。志田さんは黒番 (囲碁棋譜.com より) 。



※[追記2]
⬇改めて5ちゃんねるの書き込みなど読むと、これまでの話が色々繋がってくる気がします。


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