日記 2024/02/05〜2024/02/11

2024/02/05

娘の体調は少しずつよくなってきてはいるが、まだ万全ではない。そんな中、先日一緒に遊んだ娘の友人のお姉ちゃんが40℃の熱が出たと連絡を受けた。それに加え、娘のクラスでも風邪が流行っているらしく、今日は半分以上が休んでいたらしい。これ以上増えるか、もしくは休んでいる子どもの何人かがインフル、もしくはコロナに感染しているようなことが判明すれば、学級閉鎖になるのかもしれない。娘の風邪は定期的に発症する鼻炎からきているものなのか、どこからかもらってきたものなのかわからないが、今の体の弱った状態でさらに何かをもらったらしんどくなりそうだ。福岡ではインフルもコロナも感染者が増えているようだし、警戒心を少し強めて生活しないといけないなぁと思う。

柴崎友香の「続きと始まり」を読んでいると、コロナでの緊急事態宣言やマンボウ措置が頻繁に行われていた時期はこんなだったなぁと思う。今だってコロナはなくなっていないが、あの時期は僕らも警戒しすぎるほど警戒していて、外に遊びに行きたいだろう娘をできる限り家にいさせるようにしていた。何度考えてもあそこまでしなくては良かったと思うが、もしまた同じ状況に置かれたとして、たとえば他の未知のウイルス感染が広がったとしたら、おそらくはまた家に閉じこもるようになるのかもしれないと、小説を読みながら当時のことを思い起こして思った。後からいくら反省しようが、そのときそのときで判断しないといけず、その判断を絶対のものにしてもいけない。家にいることを選択したのはそのときの判断。判断は誤るかもしれないことを頭に置いたうえで、それでも毎日判断していかないといけないし、当時はそうだった。今は当時ほどの判断に迫られることはないが、ちっちゃな選択や判断は毎日行っているわけで、それを恒久のものとして行っていないか常に省みる必要がある。

しかし緊急事態宣言やマンボウ措置が頻繁に行われていたのは2021年あたり、まだ3年しか経っていないが、遠い昔のことのようだ。有事の記憶というのは、やはりどうしても風化してしまう。当時の日記を読めばまた思い起こすのかもしれないが、数年前の日記などそう滅多に読み返すものではない。当時は結構憤ったりもしていたし、思い出すと感情がざわつく感は今でもある。

今は家に閉じこもる判断はしないが、娘は風邪を引いているのでちょっとだけ気を付けましょう、ということ。学級閉鎖になればそのときにまた考えるしかない。今のところは娘は元気だ。

2024/02/06

昨日、コロナ禍での憤りと書いたけれど、はて何に憤っていたんだっけなと思った。国家や政府に対する憤りがなかったわけではないし、一時期は普段よりも憤りが強かったような記憶があるが、そもそも常にじんわりと憤りがあるわけでコロナ禍の対応で少し高くなっただけ、結局のところ政府に憤ったとしてもまずは個々だと思わされただけだった。で、憤りは何だったんだと思うと、コロナ禍とは全く関係ないところで起きたもので、それはまた最近顕在化してきた家業に関することだった。憤りと失望と不安と。何だか愛しさと切なさと心強さとみたいな書き方になってしまったが、実際、数値化できるものではないけれど憤りも失望も不安も同じくらいあった。で、最近は失望と不安だ。仕事をしていたらそういうものは出てくるのだろうが、外的要因によるものであればどうしようもないところがあって、でもそんな中でもあがいてどうにかしないといけないよねって話になっている。

この憤りのことを思い出したのも、柴崎友香の「続きと始まり」を読んでからで、コロナ禍で店を畳んだり、一方で要領よく潤った店もあってということが書かれていて、上に書いたように僕の場合はコロナ禍では関係なかったのだけれど、ちょうどコロナ禍のタイミングで仕事を続けるか畳むかの分岐にさしかかり、一旦は畳むことに決まったが、僕と母でそれを覆した経緯があった、そんないざこざの中での憤り。今改めて問題が顕在化してきたことに不穏さを感じてはいるが、先ほども書いたようにあがくことしかできない。

ゆっくりと読んできた「続きと始まり」ではあるが、間もなく読了してしまう。この小説の中では度々シンボルスカの「終わりと始まり」からの詩が引用されていたが、僕の本棚の中にも「終わりと始まり」はあって、Notionの読書リストのデータベースによるとこの本を購入したのは「2021/08/18」、コロナ禍真っ只中のことだった。なんでこの本を購入したのだっけか。「2021/08/18」の日記を読み返してもシンボルスカに関することは書いていなかった。

Amazonで購入しているから、本屋で見つけて、というわけではなさそうだ。この日は西松屋に行ったようだが、その後か前かにシンボルスカを買ったのだっけか。森田真生さんがこの本について言及していたか、もしくはその前に参加したオンラインイベントで作家さんが言及していたのかのいずれかと思われるが、そうだ、コロナ禍ではオンラインでよくトークショーに参加していてそれはとても良かった。とはいえ、今もオンラインイベントはあるわけで参加しようと思えば参加できるのだけれど、会場でのイベントにも参加できる中で、2,000円というのは高く感じるようになってしまった。

「続きと始まり」で書かれているのはコロナ禍だけでなく、東日本大震災や神戸大震災も書かれている。元旦の石川での震災のときに熊本の震災のことを思い出したりして数は日震災について考えてはいたけれど、今に至るまでずっと考え続けているかと言えばそうではない。もちろんニュースは目に入るし、できる限り読むようにはしているが、1月は立て続けに色んなことが起こって、情報を取り続けることに疲れてしまった。思えばコロナ禍のときもそうで、情報に踊らされて情動を刺激されまくって酔ったようになって疲れてしまい、一時期はニュースを見ないようになった。個々でできることをやっていくしかないんだと当たり前のこと、綺麗事に収束してしまうのだが、震災から離れた地にいながらひたすら考え続けていくということも難しく、そのことを気にするくらいしかできない。

コロナ禍のことを思い返して憤りの感情が蘇ってきたりもした「続きと始まり」だったが、読了するのはやはり寂しい。

次は何を読もうか。サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」の柴田元幸さんの新訳が出ていたのを見つけたので先日購入したばかりだが、それを読むか(柴田元幸さんの新訳で改めて読むのはとても楽しみ)、久しぶりにケルアックの「オン・ザ・ロード」を読み返したい気持ちもある。いずれにしてもアメリカか。

2024/02/07

月1の通院の日。コレステロール値が高くなっていたので2ヶ月前に薬を変えたのだが、先月血液をとって、実際にコレステロール値が低くなっているか確認しましょうということで、今回その結果を見ることになっていた。結果、見事にコレステロール値は低くなっていた。が、他の数値で高くなっているものがあり、それも食生活に関係しているところ、つまりはまだまだ食生活改善に努めていきましょうねということだった。コレステロール値が改善されたのは薬のおかげなので単純に良かったとは言い切れないが、高いよりも低い方がいいわけで、それはやはり良いのだった。目指すは薬に依存せずにコレステロール値を低くすること。

昨日、ホークスTVでキャンプ中継を聴いていたら、五十嵐が解説で、実況というのかアナウンサーというのか解説と言えばいいのか、とにかく五十嵐と一緒に実況していたアナウンサーがやたらと話す人で、五十嵐が食レポで移動中のときでも一人でずっとずっと喋っていて、よく話す人だなぁ、しかしなんか聞いたことのある声と話し方だなぁ、何だかファイターズ戦で聞いたあのゴーンヌさんと似ているなぁと思ったら、まさかのゴーンヌさんその人だった。近藤祐司さんという方で、去年はファイターズの実況からも外れていて、ゴーンヌやワンツースリーといったあのフレーズを聞けず、そのことに対して寂しい気持ちもあれば、ホームランを打たれた時に岩本勉と一緒にゴーンヌと言っていたときにはイラッともしたこともあったので良い静けさでもあったのだが、近藤さんはどうやら今年からはホークス戦の中継を担当するらしく、今日のような喋りっぷりを聞いている限りではウザさよりも頼もしさを感じるのだった。ホークス対ファイターズでホークスの選手がホームランを打てばグッバイ、ファイターズの選手がホームランを打てばゴーンヌで、今年からはホークスの選手がホームランを打ったときにゴーンヌと言ってくれるということで、こんな強力な味方というかフレーズはなく、中継がより一層楽しくなるなぁと思った。そうか、ゴーンヌさんはホークスの中継を担当するのか。

五十嵐、近藤コンビはとても掛け合いがよく、ラジオ感覚で聞いていてもとても楽しかった。

2024/02/08

昨日は月1の通院だけでなく、ついでにずっと行きたかった歯医者にも行こうと思って、病院のはしごをしたのだった。病院のはしごは時間の調整が難しく、できる限り時間が空かないような予約をしたのだが、やはり1時間くらい時間が空いてしまって、病院と病院の間にコメダ珈琲があったので、歯医者行く前だけどなぁとか思いながらコーヒーを飲んで時間を潰すことにした。

コメダ珈琲にはこれまで家族で行くことはあったが一人で行くのは初めてで、コメダ珈琲は珈琲と名が付いてはいるが、珈琲を飲む場所というよりはお腹いっぱいに食べられる場所というイメージがある。だから珈琲一杯でいいのかと思って入ったが、カウンターみたいな席に通されて、そこには電源コンセントもあって、椅子も座りやすく、本を読むにはとても快適だった。珈琲もそこそこ美味しく、これは一人で過ごすのもあり、何なら読書をするのであればオシャレなカフェよりもずっと気兼ねなくできそうで、これからも利用しようと思った。オシャレなカフェというのは、なかなか本を読むのは気兼ねするものだ。30分程度サクッとであればまだいいが、1時間は粘ることができない。その点、コメダ珈琲は、混み具合にもよるのだろうが、2時間くらいは問題なく滞在できそうだった。

で、歯医者。前回行ったのは1年前で、そのときは虫歯もなく、歯石や着色を取ってもらったのだけれど、虫歯がないか不安ではあった。レントゲンを撮ってもらった結果、虫歯はなかったし、歯周病もそう問題はなかったが、歯石と着直はよく付いていた。よく珈琲を飲むのでどうしても着色しやすいのはあるとしても、毎日きちんど歯磨きをしているはずなのにどうしてもあぁも歯石が付いてしまうのか。今回は下の歯だけだったが、若い歯科衛生士が同じ歯を何度も行き来して、それは取れたと思った歯石がしつこくて取れていなかったからだと思うけれど、何度も何度も行き来しては歯石を取ろうとしてくれるのが申し訳なく、終わった後に「大丈夫でしたか?」と言ってくれた歯科衛生士さんに「大変だったですよね、すみませんでした」と返すことしかできなかった。しかし歯科衛生士さんのおかげでとっても綺麗になった。前回行った別の歯医者さんで取ってもらったときよりもずっと綺麗になったように思う。次回は歯科衛生士さんを困らせることがないように、歯石が付かないように注意して磨きたい、とは思うが、歯石を取ってもらった後はいつもそう思っているように思う、きっと歯石は付いてしまうのだろう。それでも頑張って付かないようにしたいと今は強く思っておきたい。

2024/02/09

夜中、娘は咳き込んで、泣いて起きた。おそらくいつものように鼻水が喉に詰まって呼吸がしづらくなったみたいだが、いつも以上に苦しそうだった。喉の奥にだいぶ溜まっていたのか、咳き込んで鼻水のようなつばのようなものを嘔吐していて、つばの中には鮮血も混じっていた。治りそうでなかなか治らない。で、僕も昨日から喉に違和感がある。酷い目のかゆみもあるので、風邪というよりは鼻炎、花粉症なのかもしれない。

三宅唱監督の最新作「夜明けのすべて」の原作が瀬尾まいこだと知って、観る前に小説を読んでおこうと思って電子書籍で早速買って昨夜読み始めたら面白くて一晩で一気に読んでしまった。瀬尾まいこの名前はもちろん聞いたことがあるし、「そして、バトンは渡された」が本屋大賞を取って大変評判になったのは知っていたが、「夜明けのすべて」が初めての瀬尾まいこで、それはとてもいい読書体験だった。映画を観るのが楽しみだ。

で、「オン・ザ・ロード」と柴田元幸訳の「ナイン・ストーリーズ」のどっちを先に読もうかと思って迷って、一旦どっちも会社に持って行ったのだけど、「ナイン・ストーリーズ」の新訳の雰囲気を少しだけ確認してみようと思って冒頭に目を滑らせたらそのままぐいぐいと目は滑りまくり、「バナナフィッシュ日和」を読み終え、そう「バナナフィッシュにうってつけの日」ではなく「バナナフィッシュ日和」なのだ、短編集なのに次から次に読んでしまう。シーモア久しぶり、そしてサリンジャー久しぶりという感じだが、柴田元幸さんの新訳は新鮮で、初めて読むようなというのは言い過ぎだとしても、以前読んだときに浮かんだイメージが更新される箇所も結構あって面白い。こんなにすぐに読むのはもったいない気がするが、すぐに読んでいまいそう。そのままサリンジャーのグラスサーガに進んでもいいし、ケルアックの「オン・ザ・ロード」を予定通りに読み進めてもいい。読み終えたときの気分次第。

そして、「続きと始まり」の雰囲気からも離れたくなくて、森田真生さんの「僕たちはどう生きるか」の再読も始めた。

というわけで読書は良い感じ、喉の違和感は良くない感じ。

2024/02/10

引き続き喉の違和感はなくならず。ちょっと酷くなってきた。

一昨日の夜、目がかゆくて、鏡を見たら目がすごく赤くなっていた。喉の違和感が発生したタイミング的にこれが影響しているような気がするのだが、はっきりとしたことはわからない。3連休に入ることもあって、昨日病院に行くことにした。診察の結果、やはり炎症が起きているとのこと。ただ、目が痒くなったことを伝えたが、症状がアレルギーが関係しているかは分からないと言われた。確認するためには、一度血液を抜いてアレルギー検査をしないとわからないらしい。また血を抜くのかと思ったが、それでアレルギーが分かるのであればと思ってお願いすることにした。結果は1,2週間後にわかるとのことで、処方された薬がなくなったタイミングでまた病院に行くことになった。

と、ここまでを書いて布団に潜った。それから1日半のほとんどを布団の中で過ごした。

本当であれば、この日は友人2人を我が家に呼んで酒を飲む予定だった。2月のイベントはそれだけだったから、1週間前くらいから楽しみにしていた。喉に違和感はあったものの、目の痒みもあったし鼻炎からくるものと思っていた。が、それは楽観的に考えていただけだったようで、金曜の夜に仕事が終わった後に急に悪寒が走り、熱を測ったら38.4℃。ジ・エンド。熱が上がったのは一瞬で、翌日には熱は下がっていたが、その代わりに頭痛が酷くなっていずれにしても酒を飲むなんて無理なことだった。

2024/02/11

それで。

それでから始めるのは、今日の日付を書いているが、昨日の日記の後半部分はさっき書いたばかりだから、昨日の日記から続けて書いているから。

それで。ほぼ1日寝続け、念のためにインフルの検査を受けたが陰性。頭痛が酷かったために何をする気も起きず、頭痛があるときにはいつも思うが、この頭痛はいつ終わるのだろう、どんどん酷くなっていつ終わるともしれないずーんとした目の奥の重み、そして痛み。頭痛の間は本を読む気にも、スマホを観る気にもならず、ただ布団の上で横になっているしかない。頭痛のせいで何度も覚醒してもただ寝るしかない。それって苦痛でしかなかった。

それで。頭痛が明けたのは、妻と娘が公園に行くと言って出て行った11時半頃。出て行った直後にいつの間にか頭痛がなくなっていて、しかしいつまた頭痛が出るともわからないから、布団から出てシャワーを浴びた。しばらくしても頭痛は戻らなかったが、やはり体はしんどくて、テレビでホークスのキャンプ映像を観たいなぁと思っていたら、そうだダゾーン!と思って、DAZNでホークスのキャンプ映像を観始めた。で、1日伏せっていたから欲が出て本も読みたいと思ったのだけれど、どうも活字を読む気にはならず、じゃあ漫画、と思って、できれば長いやつををジャンプ+を開いて探していたら、「忘却バッテリー」という野球漫画を見つけて、読み始めたら面白くて、今日はずっとその漫画を読んでいた。まだ最新話までいっていないからたぶん今日はずっと漫画を読むことになる。

久しぶりに普通の風邪を引いた。風邪以外の病気はあったけれど、今回みたいな普通の風邪はしばらくなかった。コロナ禍以降はじめての風邪だったかもしれない。普通の風邪といっても38.5℃まで熱は出るし、頭痛も酷いし、確かにコロナの方がしんどくて長引きはしたけれどコロナとほぼ同じ症状で久しぶりの風邪はきつかった。風邪なんてもう引きたくない。とは思うが、よくよく考えれば、娘の症状も数ヶ月に1回必ずかかる鼻炎と思っていたけれど風邪だったのかもしれず、僕はその風邪をもらっただけだったのかもしれない。友人2人が酒を飲みにきて、彼らに移すことがなくてよかった。

明日は仕事。風邪明けなので(明けているかわからないが)、無理せずゆっくりやる。

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