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50.辛く長い入院生活

スピリアルライフナビゲーター
マルコヒロミです。

こちらのブログを選んで下さいまして 
どうもありがとうございます。

 
まとめ記事
 
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妊娠8カ月の時の出来事です。
 
心の準備もなく、切迫早産の診断を受け
突然緊急入院になり
自由に動けなくなった私の変わりに
私の母に必要な物を取り急ぎ持ってきて
もらうことになりました。
 
 
24時間点滴で繋がれ
トイレ以外病室から
一歩も出る事を許されない
ベットの上での完全安静状態でした。


 
当然お風呂に入ることも許されず、
看護士さんや助産士さんが
タオルで毎日体を拭いて下さいました。
 
 
常に点滴が繋がったいるので
食事をする時、就寝時寝返りを打つ時、
トイレに行く時、洗顔歯磨きの時などに
ガラガラ引きずって歩くので
 

点滴ガラガラの
 「ピリリ、ピリリ」となる
エラー音がしょっちゅう鳴りました。

特に夜中に鳴ると
同室の方にも迷惑がかかるので
本当に嫌でした。

 
一瞬たりとも氣の休まる時が
ありませんでした。
 
 
毎日 看護士さんや助産士さんが来て
30分程度のNST(ノンストレステスト)
で胎児の心音を確認しました。
 
 
辛い生活ではありましたが、
お腹の赤ちゃんは元氣だーと
確認出来ることが
唯一幸せになれる時でした。
 
 
それとは別に通常の妊婦検診があり
人生初の車椅子体験をしました。
 
 
お腹に超音波の機械をあてて
胎児の様子を調べて頂く時に
性別を確認しようとするのですが、
なかなか肝心なところをみせてくれず
 
どっちだと思う??当ててみてと
最後の最後まで私をじらそうとする
うりちゃんです。

うりちゃんとは私が名付けた胎児名です。
いのしし年生まれということで、
この名前にしました。 
性別はいったい
どうなるのでしょう・・・???
 
 
その頃のうりちゃんの様子・・・
入院中に、頭が上で足が下の逆子になり
グーッと伸びをしながら
頭で胃や肺をググーッと押し圧迫し
膀胱を力強く蹴っていました。
 
 
なので、しょっちゅう尿意を感じ、
面倒だなーと思いつつ
点滴をガラガラ引きずり、
激痛の太ももの付け根をかばいながら
病室とトイレを往復していました。
 
 
相変わらず目の霞みがあったので
DVDを観たり、携帯や本を読むことなど
時間を有効活用出来なくて、
部屋でボーっとしている時間が長く
とにかく退屈でした。
 
 
今振り返ってみると、この時期は
産後の怒涛の嵐の前の静けさで
今のうちにゆっくり休もう!という
体からのメッセージ
だったのかもしれません。
 
 
とは言っても
腰痛が酷くなってきて
寝返りを打つのも一苦労だったので
しっかり休めた訳ではありませんでした。
 
 
夫と私の両親は
しょっちゅう来てくれましたが、
 相変わらず 義理の両親と、その家族は
悪阻の時も、今回の入院の時も
一度もお見舞いに来てくれませんでした。
 
 
私のことなんか
全く氣にかけてくれていないのだな、
人の氣持ちの全く分からない
冷たい人なんだな、と
とても悲しい思いをしました。
 
 
次回は
51.「出産間近の時期」です。
 

最後まで お読みくださいまして
ありがとうございました。

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