見出し画像

11.小学校入学前後の私

スピリアルライフナビゲーター
マルコヒロミです。

こちらのブログを選んで下さいまして
どうもありがとうございます。

まとめ記事

前回の記事

幼稚園から小学生になる頃は
それまで住んでいた古い社宅から
新築の新しい社宅へと住まいが変わり
とても嬉しかったことを記憶しています。


そんな訳で
古い家

仮のアパート住まい

新しい家

と3年半の間に3回住まいの環境が変わる
目まぐるしい生活を過ごしていました。

私的には環境が変わったことについて
マイナスの影響は全然なかったのですが
引っ越しの準備をしていた母は
本当に大変だったことと思います。

そんな訳で家の物を増やさないように
意識していたのだと思います。

幼稚園年中の頃、東京に住んでいた時に
同じ社宅に住んでいた年上のお友達の影響でピアノを習いたいと言った私。

親がアップライトのピアノを買ってくれて
某有名音楽教室に通い始め
家で練習をするようになりました。

でも、かなりの氣分屋だった私は
練習をしたり、しなかったりで
よく母に、しこたま叱られて
物置に閉じ込められたり
真冬の雪が降る寒い中
外に出されたりしていました。

当時5歳の子どもに
何十万円もするピアノを買い与えた
親の覚悟は相当だったことと思います。

私のことを信用してくれたから
買ってくれたということですよね。

なのに・・・全然練習しないなんて
本氣で腹が立って当然ですよね。

親の立場になったことで
当時の親の氣持ちを身に沁みて
理解出来るようになった今、
両親には本当に申し訳ないことをしたと
猛反省しています。
まあ、5歳ってそんなものですよね(苦笑)

小学校へ入学する時がやってきました。
学校では お友達ができたものの
消極的でおとなしく自分からあまり
話をしなかった私でした。

ひとりっ子で、身内で氣軽に話せる
人間関係と言えば年上の人だったので
コミニュケーションの仕方を身に付ける
機会が極端に少なかったのだと思います。

近所の同じ社宅に住んでいたフレンドリーで明るい年下の女の子と、お互いの家を行き来して遊んでいました。

その子は一緒にあそぼ!と
いつも私を誘ってくれました。

その子の母親は、お菓子作りが得意で
一緒に作ったり、習字を教えていて
私も習っていました。

私の母からしてもらえなかったことが
楽しくて大きな喜びを感じていました。

冬になると学校のグラウンドに作られる
スケートリンクで一緒にスケートをして
たくさん遊びました。


小学校2年生になる時に父親の転勤で
根室に行ってしまいました。

また幼稚園の頃から仲の良かった
「みかちゃん」もご両親が釧路市内の
別な場所に新しい家を建てて転校していき
とても寂しくなったことを覚えています。

まあ、私も 2年生の途中で
釧路を離れることになるのですけどね。

みんなバラバラになってしまったけど
幸いなことに年賀状のやり取りをしているのでお互いに連絡先は知っています。

いつか再会出来て楽しく思い出話が
出来たらと願っています。

次回は 
12.小学校1~2年生の時のこと
です。

最後まで読んで下さいまして
どうもありがとうございました。

もし記事を読み共感しましたら、サポートしていただけると幸いです。サポート費用は皆さまに喜んでいただく活動に使わせていただきます。