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第45話 二人のプリンス

成長著しい秀頼くん・・・ってテロップは流れませんでしたが、
凛々しく舞う秀頼はなかなかですね。
さらに、二条城での采配はできる男!を感じました。
たぬきと呼ばれた家康は一本とられた感じです。
ところが、秀忠は意味が分からず
秀忠「秀頼殿が父上にひざまずいてくれたそうだ。
   これで、徳川が上、豊臣が下はっきり世に示すことが出来た。
   いやぁ~良かった。」
無邪気に喜んでいるが、お江と本田正信は「良かったのでしょうか?」
「良かったかどうか・・・」と難色を示していました。
世の中の動向は、
本田正純「秀頼は慇懃、徳川は無礼。
     秀頼はご立派、徳川は恥知らず。世間はそう沸き立ち、
     大阪には前にもまして浪人が集まっております。
     してやられました。」
徳川家臣団は、世の中の動向がまだ秀吉びいきであることがわかっていたから、武家の棟梁は徳川、公家の棟梁は豊臣とすみ分けたいと考えていたのですが、秀頼の機転により豊臣も武家であると示してしまいました。

しかし、秀忠はその様子を見て悩みました。
そして、家康の下に行きお願いをします。
秀忠  「あの京大仏の開眼供養だけは、どうにかしてくだされ。
     間違いなく、豊臣の威光益々よみがえります。
     正信にもそう申しておるのに・・・」
(中略)
秀忠  「父上が死んでしまったら、私と秀頼の戦いになったら、
     私は負けます。負ける自信がある。秀頼は、織田と豊臣の
     血を引くもの。私は凡庸なるものです。父上の優れた才も、
     受け継いでおりません。父上がいつ死ぬのかと思うと、
     夜も眠れません。」
家康  「秀忠、そなたはなぁ、わしの才を良く受け継いでいる。」
秀忠  「まさか・・・」

見事に秀忠と秀頼の対比を示した脚本ですよね。
すばらしいと思いました。

秀忠は自分の考えが浅はかであり、世の中に自分を
認めていないことを理解して、家康に自分の弱さを素直に伝えます。
これって、素晴らしい解決思考だと思うのです。
秀頼が家康にひざまずいたことを軽く見ていた自分に気がつき、
いろいろ考えたのだと思います。
交流分析で考えるとディスカウントしていたと言えます。
しかし、ディスカウントは問題を解決することが出来ません。
そこで、努力して思考をフル回転させて父、家康すら一本取られた、
秀頼と自分が対抗できるか?と考えれば無理だと考えついた。
問題解決をするためには、家康が生きているうちに解決したいと
考えて、自分の弱いところを認めて助けを求める方法を選びました。
「自分の人生は自分自身が決め、そしてその決定を変えることができる」
交流分析の哲学の一つですが、何に重きを置いて自分が生きていくかと
考えると、今までの当たり前は当たり前ではないのかもしれないですね。


行った時は秋だった散歩日記
化粧坂を登り源氏山へ登れば、降りるしかないわけで降りる方向は、
どこにするか?って話になりますよね。
源氏山からはどの方向にも行ける分岐点のような感じが私にはあります。
地図が読めないので、私は。。。って話なのですが・・・
とりあえず・・・は、失礼かもしれませんが、
葛原岡神社へ

鳥居の右横には、魔去る石があり岩に自分の息を吹きかけた瓦をぶつけて、
割ることで魔が去るということらしいです。
後ろ髪ひかれる思いで、先に参拝。

本殿

鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基(ひのとしもと)卿をお祀りする
神社です。
日野俊基終焉の地の石碑(?)左手側にあります。
日野俊基卿墓は、参道の途中にあるのですが、今回は写真撮影忘れです。

本殿の横には『昇運の神龍』の石板があります。旧本殿に納められていた神龍で120年間、御祭神を護ってきたものだそうです。
この『昇運の神龍』は、いつから120年間、旧本殿に収められてきたのかな?となぞ・・・と勝手に思いつつ、お願い事とここにこれたお礼をお届けくださいとお参りしてみました。
ここから、北鎌倉駅に向けて葛原岡ハイキングコースに入りました。

台風15号の被害で一時通行禁止になっていましたが、今は大丈夫と思っていましたが、天柱峰は立入禁止にでした。
天柱峰は、浄智寺~葛原岡神社間の中間地点の山頂付近です。天柱峰とは中国の元から来日し、浄智寺の住職を努めた「竺仙梵僊(じくせん ぼんせん)」が命名しました。この山頂にある「天柱峰碑(てんちゅうほうひ)」は昭和16年に建立されました。
実は後から知ったのですが、ここまでは浄智寺の境内であるため、浄智寺が非常に広いということがわかります。

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