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第36話 於愛日記

於愛の方は、最初に西郷 義勝に嫁いだと言われています。
一男一女をもうけたが、義勝が戦で落命。
西郷局墓所(静岡県静岡市葵区宝台院)は、華やかさはありませんが、
とても立派なものにみえました。
宝台院は、幕末に慶喜が蟄居した場所でもあります。

さて、大河ドラマでは自害しようとする於愛の方が子どもを見て
思いとどまり、お葉の方の屋敷に仕事に入る際に、
お葉の方とのやりとりから入りました。

お葉「それで、ここで働く間お子はどうする」
於愛「父と母は亡くなっておりますので、祖父母に・・・」
お葉「西郷の家の後家ならば、新しい輿入れ先もある。」
於愛「もう、どなたかの妻になる気は・・・」

悲しく愁いを見せる於愛の方にお葉は近寄り、
於愛の方の両ほほにそっと手を添えてほほを持ち上げた。

お葉「ウソでも笑っていなされ。皆に好かれぬと辛いぞ。」

そこから、於愛の方は両ほほを自分の両手で持ち上げ、
笑った顔を作っていた。
そして、築山殿に会った時に
築山殿「良い笑顔じゃ。愛や殿のことよろしく頼みます。
    そなたのおおらかなところがきっとこの先、
    殿の助けになろう。」
於愛 心の声(お方様、私の笑顔は偽りにございます。)

そして、お千代の事件が起こりお千代の口から
於愛の方「千代、そなたの言い分を・・・」
お千代 「ございません。非道なことを散々してきた
     私の言葉に信用などありますまい。」
於愛の方「彦殿を慕う気持ちは誠のものか?」
お千代 「(沈黙)さぁ~わかりません。きっと偽りにございましょう
     ずっとそうして生きてきたので、あなたは私に騙されたのか?
     もう、私のことは忘れなされ。」

於愛の方とお千代の「きっと偽りにございましょう。ずっとそうして生きてきたので・・・」と生き方が重なった瞬間かと思います。

ここで、問題にしたいのは「何のために偽ったのか?」です。
於愛の方は、お葉や築山殿に言われたように
「笑っていよう。たとえ偽りの笑顔でも絶えずおおらかでいよう。
この方がいつかまた、あのお優しい笑顔を取り戻される日まで・・・」
と、家康のために笑顔でおおらかでいることを決断しました。

お千代は、鳥居元忠をかばうために「偽り」と言いその場を
去ろうとしていました。

人には、「それさえしていれば、生き延びることが出来る」と
自分の気持ちを差し置いてでも頑張りすぎてしまう心の動きがあります。

於愛の方は、お慕いする相手ではないと家康に対して思っていても、
「お支えせねば」と「~ねばならない」と考えています。
「偽り」の笑顔と考えれば考えるほど、本当の自分と乖離していく気持ちが
強くあったのではないでしょうか?
もし、「お支えせねば」と考えた自分も自分の決断で自分の一部である。
人は、自分を「おおらかな笑顔」と言ってくれるなら、それは、
自分の大きな長所だと受け取っていたならば、気持ちが軽くなったのでは
ないでしょうか?

自分との内向的対話は、支離滅裂になってしまったり偏った思考に
陥りやすく混乱することが多々あります。
そんな時には、本当の素直な気持ちと頑張りすぎている自分を
整理整頓してみると良いのではないでしょうか?
何のために頑張りすぎているのでしょうか?
本当の感情を隠し過ぎてませんか?
どのぐらい長く隠してましたか?その環境はまだ、続きますか?
どこまで頑張る予定ですか?
そんなことを考えても良いと思います。
今のあなたは、そこまで頑張らないと生き延びることは、
できないのでしょうか?





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