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第47回 ある朝敵、ある演説

「もとは、伊豆の片田舎の次男坊。
それが、上皇様が口にするどころか、
兵を差し出す。征夷大将軍・源頼朝と並んだのです。
面白い人生でございました。」
義時のこの言葉は、今の私にも当てはまるように感じてしまいました
というのは、上皇様や征夷大将軍相手ではありませんが、
普通の一般市民だけれど、どれほど多くの方々に覚えて頂いただろうか?
また、この鎌倉殿の13人を交流分析で分析してみる試みに
もう、47回もお付き合いして頂いたことに心より感謝しかありません
残り1回となりましたが、今回、注目していきたいのは
やはり義時でしょうか?

義時は、義経を追い込んだ辺りからダークな一面を表し始めました
それも、頼朝の教育のたまものでした

義時は元々「伊豆の片田舎の次男坊」でした
それも、ちょっとキャラの強い姉の政子と兄の宗時に押され、
下に控えるのもちょっとキャラが不思議な妹の実衣の中で育って
ました
そのため「後は任せた」な~んて一言を誰から言われて理不尽を
感じても、自分の感情は二の次にして「スピード解決」してしまう
ところがありました

この段階で元々強めに持っていた心の機能が、順応する私の心です
家族の中で空気を読んで、兄の宗時に催促されて返事をする場面も
ありました
そして、自分のことより大事なのが「みんなと一緒」が何よりも安心

また、解決する能力は現状を良く観察し、あらゆる手段を計算していきます
ですので「後は任せた」と言われた瞬間、文句を言いながらも対応策を考えてアンテナを張り巡らせてる働かせることができます
全ての感情はなかったことにして、合理的に計画して判断する心の機能です

しかし、この頃の義時には「何を価値観として生きる」を考えた時に
「何が」が目立つことがありませんでした
しかし、家族は非常に明るくおちゃめで、威圧性は武士だけどなくて、
優しさに包まれている家族でした
その優しさの中で培われた心の機能は養育的な私の心の機能です
頼朝が「アジが嫌い」と聞いた政子は骨を抜いたアジを頼朝に出してました
そして「アジが嫌いなのではなく、小骨が嫌いだかでしょう?」と、
相手の気持ちに寄り添うように、想像力を使い優しさを発揮しました
(本当に頼朝を骨抜きにしちゃいましたね)

だからこそ、八重に対して有り余る優しさと言う名のキノコのプレゼントと
「私は好きなのです。八重さんの笑っている姿が・・・(中略)
いつか、八重さんに笑いながらお帰りなさいと言って欲しい。(中略)」
優しさ満載の言葉を伝えてました
自分のことよりも八重の幸せを考える義時に対して
八重は「怖い・・・」とつぶやいてました

義時にとって、この優しさを持った心の機能は負担だったのでは
ないでしょうか?
みんなと一緒にわいわい、お互い様で過ごしていれたら良かったの
かもしれません

この優しさで義時の子ども泰時(太郎)が、そして、この先の
北条家が未来永劫、穏やかに続くことを考え付いてしまったのでしょう
養育的な親のデメリットな部分は、
悪気はないのだけど、相手を下のものとしてみてしまい、
相手の能力を信じる・認める・見守る力を見ないふりをして、
自分のことは二の次にして、お世話を焼き過ぎてしまうところです

どうしても、自分を犠牲にする、二の次にしてしまう心のクセは
何重にもロックがかかっているように、解決策として用意してしまいます
そこに気がついていたのは、政子です
そして、政子の演説となるのですが「この人は私利私欲のために・・・」の
言葉に関しては、実衣も復唱しています
裏面に「鎌倉のために・・・」があることがわかります
これが、家族の優しさの表現の仕方なのでしょう
ちょっと、不器用・・・

さて、残すところ、後1回
NHK大河ドラマ班の予告の出し方に右往左往してしまい、
三谷幸喜の脚本に振り回されましたが、後1回です
最後まで楽しみで仕方ありません
このワクワク感が自由な子どもの心の機能です
この機能は、創造力、生きる力を生み出します

ワクワクが沢山あると嬉しいですね
さぁ~口角を上げて・・・泡を飛ばしてはダメですよ
口角を上げて最終回を楽しみましょう


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