見出し画像

第1回 約束の月

光る君へ
始まりましたね。
私的に吉高由里子さんが好きなので観ちゃうかな?
とは思っていたんですよ。
あと。十二単の着物がたくさん出ると聞いていたので、
鮮やかな十二単をみたいなぁ~とも思っていました。
ただし、私は全く平安時代がわかりません。

さて、第1回目の約束の月でしたが、後の紫式部となる
まひろと後の藤原道長となる三郎の出会いが描かれていました。

まずは、藤原兼家のご一家とまひろの家の事情が大きく異なって
いたことが目につきました。
食事一つをとってみ、藤原家はご膳もきれいで雅な盛り付けがされていましたが、まひろの家はと言えば現代とあまり変わらないご膳でした。
出世争いが繰り広げられていることがここまで格差を生んでいるのですね。

冒頭、まひろが父藤原為時に中国の史記を読んでもらう場面がありました。
まひろ 「それは何?」
藤原為時「史記の本記だ。ここには偉大なる秦の始皇帝が亡くなった後、
     新しい皇帝を操って権力を欲しいままにした男のことが
     書かれている。」
まひろ 「怖いけど面白そう」
藤原為時「お前は、書物が好きだな。」
まひろ 「はい、父上。読んでください。」
藤原為時 (うなずく)「太郎も来なさい。お前がおのこであったらよかっ   
     たのにな。」
この時、一瞬まひろの顔が暗くなります。

その後、まひろが飼っていた鳥のエサがあまりなく、まひろは母・ちいに
まひろ「いっそのこと外に離してやったらどうかしら?外にはエサが一杯あ   
    るでしょう?」
ちい 「一度飼われた鳥は外の世界で生きられないのよ。だから、最後まで  
    守ってやらないといけないの。」
そのように諭されます。

その後、鳥が逃げてしまいまひろは追いかけていった先で三郎と会うことになるのですが、母親の言うことを純真に言うことを聞くまひろにとって、
父親が悪気はなく放った「おのこであったら良かった」の一言は、
どのようにとらえたのでしょうか?

子どもの生まれてからの世界は狭く、やはり一番そばにいる親からの
メッセージは世の中のすべてを指すものとなるのです。
もちろん、人との付き合いが増えれば少しづつ知恵がついていき、
「あの言葉はうちの家だけの常識だったんだ」と気がつきいていきます。
その場面が三郎が足で名前を書いたところで、まひろは漢文を書いています。その時に三郎から「お前はおなごなのになぜ漢文が書けるのか?」と
聞かれて「おなごであっても漢文がかけても良い」とうれしく思った
まひろは嘘をついてしまいますが・・・まぁ~子どもですから・・・

職を藤原兼家からもらうことが出来たことで「恩ある藤原兼家」だったはずなのですが、母親が藤原道兼に殺されたことをもみ消す父親をみたまひろは「それゆえ嘘を言うものを重宝している愚か者を馬鹿というのだ」と三郎に言った言葉は嘘をついた自分にも父親に対しても心の中で何か湧くものが出てきたのではないでしょうか?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?