教育のちから
こんにちはーーー、もりしまです^^
気がつけば2月ですね! 2015年も12分の1が終わっちゃいました。
この時期、桜香る春にむけてじっくりと力を蓄えていきたいですね♪
さて、今日は『教育』について自分なりに感じていることを書きたいなと思います。
まずこの言葉、、、本当に歯がゆいんですよね。
初めて会った人に『新しい教育やってるんですよーー!』といってもなんかしっくりこない。。。 どうしても自分たちが受けてきた学校教育を思い出しちゃいますよね。
僕にとって教育って
『その人の可能性を最大限引き出して、生きる喜びが溢れる』
そして
『人と人がつながって問題解決や感動を量産すること』
そんなイメージなんですよね。
それって理想だし、出来れば最高じゃないですか??
でも、現実は。。。なかなか上手く行きそうじゃない。。。ですよね。
今もイスラムの痛ましい事件を始め、宗教、経済、政治、個人レベルでも問題だらけ。
いろんな人がそれぞれの問題解決に向けて頑張ってる一方、問題がまた新たな問題が生み出してどんどん複雑になっていく。
今、この時代だからこそいったん立ち止まって『問題の根本』に目を向けるタイミングじゃないかと思うんです。
結局、全ては『人間』が起こしている問題なんだから。
その『人間』が変わったらオールクリア。
いたってシンプルな話なのです。
じゃあ、人間の何が根本的な問題を引き起こしているのか。
これがすごく大事ですよね。
その答えであり、時代のキーワード
それが 『観点』 です。
別の言い方をすると『判断基準』。
また詳しく書こうと思いますけど、この観点、判断基準がひとりひとり 『バラバラ』で『固定』しているからこそ
お互いわかりあえず、争いが絶えず、つながることができない。
観点の固定が人類500万年ずっとクリアされずに残ってきた問題なんです。
そして今『観点の固定』を『自由』にさせる新しい技術、教育が
『観点を変化させる技術』 = 『観術』
という形で教育体系化されているのです。
僕自身、ほんと自信のない所から この『観術』の出会いによって大きく変れたし、未来に大きな希望やビジョンを描くことができるようになりました。
だから、こんな大風呂敷ひろげるようなメッセージを書けるわけです(笑)
もちろん僕自身まだまだ、本当に未熟ものだし日々失敗を積み重ねながら
チャレンジしています。
でも、僕自身も含めて
人間の可能性、底力ってそんなもんじゃない!!
そんな思いがいつも心にふつふつしているわけで。
そんな思いの背景もまた次回以降書いていきたいと思います。
今日はこんなところで、それでは!!
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