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【藤田一照仏教塾】道元からライフデザインへ(19/05)学習ノート②

5月開講の導入となる一照さんの講義(正法眼蔵の編集形式と弁道話の位置づけについて)の模様は、「学習ノート①」をご覧ください。

この「学習ノート②」では、前回4月開講を復習する一照さんの講義について振り返っていきます。

1. 路線変更する勇気ある?

「弁道話」で前回読んだ範囲には、道元さんが求道遍歴を自伝的に短く振り返った箇所がありますが…

「予、発心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき。
…(中略)…つひに太白峰の浄禅師に参じて、一生参学の大事、ここにをはりぬ。……(後略)」

ここで、道元さんやゴータマ・ブッダの生涯を眺めてみると、こういう人たちは、

世俗でうまくやっていこうという気がさらさらない人たち

なのですね。

では、「何で生きてるの?」ということなのですが、そういうことを考えるのに私が最近よく使っているのは「路線変更」という言葉です。"路線"というのは、「生きる路線、人生の路線」ということです。

まずブッダの生涯を見てみると…

・路線変更①:シャーキヤ族(釈迦族)の王子として北インド・カピラヴァストゥのお城に「ゴータマ・シッダールタ」として生まれたブッダが、いわゆる「四門出遊」のエピソードを経て、お城を出て遊行者となり、「アーラーラ・カーラーマ」と「ウッダカ・ラーマプッタ」という2人の瞑想指導者の下で瞑想修行を究めたり、自らの身心を極限まで痛めつけるような様々な苦行を行なったりした。

・路線変更②:瞑想でも苦行でも満足できなかったので、菩提樹という樹の下に坐って(樹下の打坐)、悟りを開いた。

・路線変更③:坐ったまま涅槃に留まっていてもよかったのだけれど、いわゆる「梵天勧請」というエピソードを経て樹下から立ち上がって、説法の旅に出た。

ブッダは80年の生涯の中で少なくとも3回、生き方の路線変更をしているということになります。


さて、私たちは、路線変更しているでしょうか?



仏教は「路線変更のススメ」といえるものだと思います。
私は以前は「パラダイムシフト」と言っていましたけれど、最近それは言い飽きたので「路線変更」と言うことにしました(笑)。

ほとんどの場合、私たちは「お城の中」でうまく生きていこうとしています。私たちにとっての"世界"というのは、お城。
この「お城」が何をsymbolizeしているかというと、「あるシステム」と言えるでしょう。システムの中でうまくやっていこうという発想のもとに、私たちはありとあらゆる努力をしています。

このシステムというのは、人工的なものですね。人工の反対概念は"自然"ですけれど、この人工的なシステムというのは、生の自然をなるべく排除することで自らを成り立たせようとしているところにその特徴があります。それが「社会」と呼ばれたり「世間」と呼ばれたりして、そういったことをここでは「お城」というシンボルに表しています。

ブッダは、この「お城」から一旦は出たのですね。
「樹下の打坐(路線変更②)」のところまでは、ゴータマさん自分ひとりのためのことだったのですけれど、「説法(路線変更③)」からは、「衆生とともに」というありかたになってきます。

一方、道元さんの生涯にも、このような「路線変更」がありました。

道元さんも世俗の中に生まれたわけですが、藤原氏とも縁がある「久我家」という公卿(上級貴族)の生まれ。家柄も高く、道元さんご自身も能力が高い人だったので、そのまま放っておいたらもしかしたら天皇になってしまうかもしれない…というほどの人でした。こういう生育環境もブッダと似ているところがあります。

(参考:久我家の家紋"久我竜胆(こがりんどう)"は、永平寺の寺紋にもなっている)


ブッダのお母さん(マーヤ夫人)はブッダが生まれてすぐに亡くなりましたが、道元さんのお母さんは道元さんが8歳の頃に亡くなりました。この辺りもブッダの生い立ちと似ています。

その後、道元さんは出家されて比叡山に入られます(路線変更①)

比叡山は、その当時のestablishment(強い影響力をもった既成の権威的勢力)としての仏教世界でしたが、そこでの修行に道元さんは満足できずに、中国・宋に渡ります(路線変更②)

宋での修行の中で、天童如浄禅師に出会い、道元さんがいうところの「身心脱落」という体験をします。

「弁道話」の原文を見ると、こう書いてあります。

「予、かさねて大宋国におもむき……つひに太白峰の浄禅師(如浄禅師のこと)に参じて、一生参学の大事、ここにをはりぬ。

ここで、「一生参学の大事、ここにをはりぬ。」というのは、

一生をどういう路線に従って生きていけばいいのかがはっきりした


という意味になります。"修行が完成して終わった"のではなく、「修行の方向性が見えて、何をすればよいのか、そのポイント(大事)がはっきり分かった」という意味だと私は捉えています。

そして道元さんは日本に帰ってきましたが、ここまでは、道元さんご自身にとっての問題が解決した…というフェイズ。
道元さんが帰国してすぐ、この「弁道話」を書きましたが、では、なぜ何のために書いたのか。

そのことを道元さんはこの中で様々な言い方をしているわけですが、いちばんよく分かるのは、弁道話の最後の一文。

「しかあればすなはち、これをあつめて、仏法をねがはむ哲匠、あはせて道をとぶらひき雲遊萍寄せむ参学の真流に、のこす。」
("ほんとうの仏法とは何か"を探し求めている優れた人たち、あるいは、"良き師はいないか"とあちこちたずね歩いている本物の修行者たちのために書き残す)

「私と同じような道を求めている人に、ここで見出したことを伝えたい」ということで、道元さんの路線変更③にも「衆生とともに」という姿勢が見えてきます。

以上で見てきたように、道元さんとブッダの生涯には非常にパラレルな関係が見えてきます。この様なパターンというのは、求道者の一つの元型(アーキタイプ)になっているといえるでしょう。

2人の生涯を概観してきて見えてくる問題というのは、

「私たちには、"路線変更"する勇気があるか?」

ということになります。


§

2. 「お城」から出る教え

路線変更というのは、必ずしも「お坊さんになる」という意味ではないですが、ほんとうの<出家>には、ブッダや道元さんが生まれたような「お城(家)」はほんとうの家ではないことを知って、<True HOME>を探す…というシフトが必要になってきます。

そういう<出家>をしたい人が、仏教に用がある。
しかし、ほんとうに「仏教が用がある人たち」というのは、「お城」の中にいる人たち。仏教のような教えでなければ、ほとんどの教えは「お城」の中でどうやってうまくやっていくかということを説いています。「お城」から出るための教えと、「お城」で適応するための教え、とでは、ずいぶん違います。

仏教は、

「お城からは出ることができるし、出たほうがいいですよ」

とオススメしている教えですし、そういうものが「宗教」であると私は思っています。

しかし、世間の世俗化が進んでくると、宗教の持つインパクトがなくなってしまって、むしろ、宗教が説いていることの「いいとこ取り」をして、「お城」の中でうまくやっていくために利用される…ということになっていきます。そういうことを初めから標榜している宗教も、もしかしたらあるのかもしれませんが。

宗教は基本的に人間社会の批判として機能しています。主流に対する批判なので、常にマイノリティで「アンチ」のスタンスに立っています。逆に、「お城」の側から見ると「危険思想」ということになります。「危険」というのは、テロ行為をするから危険なのではなくて、

「お城」の価値観を相対化してしまう力

を持っているからです。

道元禅師は、それを「自受用三昧」という言葉で表現しています。
仮宅としての「お城」から、<True HOME>へと路線変更するための基本コンセプトが「自受用三昧」ということになります。


§

3. 自受用三昧 - 生かされて、生きている

前回読んだところで重要なキーワードとなった、道元さんの「自受用三昧」という言葉が表しているのは、次のようなことです。

人間は、「生かされて」「生きている」という2つの面をもっています。時間的にも、「生かされて」と「生きている」が前後しているのではなくて、両方が同時に起きている。
「三昧」というのは、「ありかた」です。

自:自己というのは、
受:生かされて
用:生きている
三昧:ありかたである

「生かされて」というのは、何が生かしているのか。生かしているものを「仏」といいます。ここで「自」というのは、自分という人間に限らず、ありとあらゆるものが自受用三昧の中にある、自受用三昧という宇宙に住んでいる…という言い方をするわけです。
別な言い方をすると「御いのち」とか「(大文字の)LIFE」というようになります。

§

4. 世界観のジェネレーションギャップを越える

西洋近代が生みだした客観的な自然科学的コンセプトに触れる前の人たちの「生きている」ということの理解のしかたが、道元さんが「自受用三昧」という言葉で表現しようとしているものです。

私たちは既に科学的な思考の洗礼を受けてしまっていて、唯物論的・機械論的な世界観をかなり深く条件づけられているので、このような「自受用三昧」的な宇宙観・生命観がイメージしにくかったり、ピンと来なかったり、理解できなかったり…共感するには非常に遠いところにいます。

ある歴史家が書いている本の中では、過去に歴史を遡っていくと、私たちのいまの常識ではまったく想像もできないような世界…ここから先はどう見ても違う惑星の世界のように感じてしまう…という、"歴史上の分水嶺"みたいなところがあるといいます。日本の場合、それは後醍醐天皇あたりの時代がその境目だといわれているそうです。

いまの私たちがもっている常識的な世界観・価値観をずーっと過去に延長していっても、江戸時代までは何とか共感できるかもしれないけれど、それ以上さらに過去にいくと、ブラックホールのような…まったく共感を絶するような世界観が広がっている。

道元さんが生きていた鎌倉時代は、"分水嶺"の後醍醐天皇の時代よりもむかしなので、少し勉強すれば分からなくはないような、現代とそんなに違わない日本語で「正法眼蔵」は書かれているわけですが、これを書いた人の世界観なり佇まい・視線みたいなものは、今の私たちから見るとかなり違っている。

私たちがこの塾で道元さんを読むことというのは、その頃の常識というかエートスに、自分たちの目線をどれだけ合わせることができるか…ということにかかっています。ましてや仏教となると、その起源は2500年前のインドですからね。これは私たちにとっては相当なチャレンジになります。

その「違い」というのは、知的なレベルだけではなく、身体的・ソマティックにも大きなギャップがあります。
仏教が起こった2500年前のインドでは、電気がないから夜は真っ暗だし、人々は屋根の下でもなく地面に住んでいるし、疫病がはびこっているのも当たり前で衛生思想も何もない…というところで生まれた行法が、坐禅やヨーガだったりするわけです。

「古典を読む」という営みは、そういう

身心両レベルのジェネレーションギャップをどうやって乗り越えていくか

…というのが課題になるし、そこがおもしろいところでもあります。


§

5. 端坐参禅 - 自受用三昧へのアクセス

「自受用三昧」ということで前回お話しした大切なところ、それは

「対象化できない」


ということでした。自受用三昧を私の向こう側において「ああだ、こうだ」と議論できない、私たちの知覚の対象にならない…ということです。
なぜかというと、自受用三昧を対象にしてああだこうだ言うはたらき、それ自体もまた自受用三昧だからです。
あるいは、向こう側に置くには自分をそこから引き離さないといけないわけだけれど、自受用三昧から自分を引き離すことはできないからです。いつでもその中に浸かっているから。

このことをよく押さえておいていただいた上で、では私たちには自受用三昧へのアクセスがまったくないのか?と考えると、そんなことはなくて、

自受用三昧に最もぴったりアクセスできる道が「端坐参禅」

ということになります。

端坐参禅というのは、その前に目標を置いて、「さあ、坐ることであの目標に向かって行くぞ!」というような、私たちがよくイメージするような修行のありかたではない…ということになります。

私たちにできることは、「その中に浸かり込む」ことしかない。
浸かり込んだ状態を自分の中にしみ込ませる…というだけの話です。

ほんとうの事実は、いつどの瞬間も、浸かり込んでいない時はないのですが、「浸かり込んでいるのが事実なのだから、浸かり込もうよ」というおススメです。

人間の場合は、悲しいことに、自受用三昧に浸かり込んでいるのにもかかわらず、あたかも浸かり込んでいないかのように生きてしまっているので、それを一旦停止して、徹底的に・自覚的に浸かり込もうとする行ないが端坐参禅ということになります。

ある意味で、私たちにはそれしか方法がない。
なぜそうなるかというと、「生かされて」というのは、私たちの存在の土台だからです。「生きている」というのは、この土台の上に展開する「誰々としての」人間生活。

浸かり込んでいることを忘れるのがひどくなると、宙に浮いたように生きていることになる。いまホワイトボードにその絵を描こうとしているのですが、絵に描きにくいんですよね!ほんとうは浮いてはいないのだけれど、浮いているかのような…夢を見ながら手足をバタバタ動かしている、という複雑なことになってしまいます。

§

6. 吟味されざる人生は生きるに値しない

ソクラテスの金言に、

「吟味されざる人生は、生きるに値しない」
The unexamined life is not worthy to live.


という言葉があります。

examinationというのは「試験、調査」という意味で、「unexamined life(ちゃんと調べられていない人生)」というのが「お城」で生きること。
「unexamined life」を「well-examined life」にシフトしよう…というのが、第1の路線変更になると思います。

「unexamined life」というのは、仏教的に言うと「夢の中で生きているかのように生きてしまっている人生」ということになります。
夢と言ったり、あるいはブッダの最後のことばに言う「放逸」。
ブッダが勧めているのは「不放逸」。「Buddha」という言葉がそもそも「目覚めた人」という意味ですので。
チコちゃんに言わせれば「ボーっと生きてんじゃねーよ!」ですかね。

目が覚めて夢から覚めてから土台に着地する…ということではなくて、夢から覚めてみると「もともと初めから土台の上にいたんだ」ということに気がつく。
「最初から自受用三昧だったんだ、これがほんとうのありかただったんだ」ということが分かったら、それを表現しよう、そのように生きよう…というのが、例えば道元さんの場合は「身心脱落」という言葉になります。本来の身心に還る、自受用三昧に生きている身心になる、ということです。

§

7. 呼び声が聴こえますか?

そして、そうなったらそれで終わり、自分の問題ハイ解決!ではなく、そこで周りを見渡してみると、かつての自分のように生きている人がたくさんいるので、その人たちに「手を差し伸べる」ということが起きてくる。それが、ブッダや道元さんの路線変更③での「衆生とともに」ということです。

ブッダもそれをやったし、道元さんもそれをやったし…私たちは社会的生物なので、おそらく「同胞への慈悲」のような心的作用があるのだと思います。

また、いかに"悟った人"といえども、社会の中で生きていかざるを得ないので、その中で居心地よく住もうとしたら、"目覚めた人"にとっては、世界全体が自分の<家>になるので、<家の中>をちゃんとしようと思うと、一緒に住んでいる人たちにも目覚めてもらいたくなってしまうのでしょうね。

「こんなに楽で愉快な生きかたがあるのに、そんなしかめっ面して苦しそうに生きていなくてもいいんじゃない?一緒に目覚めようよ!」

ということに、私たちもなってくるのでしょう。その「一緒に!」という"呼び声"が、この「弁道話」なのです。

この考え方を私たちのライフデザインの中に織り込もうとするときに、「これ、食べてみたらうまかったから、一緒に食べない?」と、皆さんが何かに目覚めた時の「食べてみてうまかった"これ"」って何ですか?ということを少し考えてみてください。

私の場合は、"これ"は坐禅でした。
人に言われて坐禅をしたら、人生の展望がガラッと変わってしまって、私自身の背中の荷物が軽くなった感じがするので、「一緒にやらない?」というのが、私からのおススメです。

大事なのは、「お城」の生活に対する"何かおかしいよ?!"という違和感というか、居心地の悪さ…何らかの問題意識というのがないと、ブッダや道元さんの路線変更③で起きてきた「説法」の意味が分からないことになります。
説法というのは、路線変更の経緯を経てなされたものが私たちに向かってメッセージを発しているわけですから、その"違和感"というのが共有されていないと、おかしなことになってしまう。
別に、社会に対する大上段からの物言いでなくてもよくて、自分自身のいまのありかたに対する違和感でも構わない。そこに何らかの問題意識がないことにはこの説法は届いてこなくて、単なる「情報」にしかならなくて、メッセージにはならなくなってしまいます。

この仏教塾が、

「道元さんが書いていることがメッセージとして聴こえてくるような場」

になってくれれば…と願っています。



……このあと、学習ノート③に続きます。


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