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【藤田一照仏教塾】道元からライフデザインへ(19/11)学習ノート⑤

(ここまでの11月一照塾)
この日の講義冒頭の20分、定刻に間に合った人がちょっと得する、一照さんのearly bird talkの模様は、学習ノート①にて。
「道元さんにいちゃもんをつけるワーク&学道用心集講読」のpart 1の模様は、学習ノート②にて。
「道元さんにいちゃもんをつけるワーク」part 2の模様は、学習ノート③にて。
「道元さんにいちゃもんをつけるワーク」part 3の模様は、学習ノート④をご覧ください。

この学習ノート⑤では、ソマティックワーク「身体のオリエンテーション」について振り返っていきます。

0. 仙腸関節のアウェアネス(復習)、脊椎行気法

◆ 呼吸に伴う仙骨の動きをアウェアする
〔一照さんinstruction〕
仙骨というのは、野球のホームベースのようなかたちをしています。その左右に腸骨があって、仙骨と腸骨の間にある関節なので、仙腸関節と言います。

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座布団を適宜敷いて、正座でも胡坐でもいいので坐っていただいて、左右の仙腸関節のところに手を当ててください。手を当てることで、そこへの注意が向きやすくなりますので、呼吸をしながら、呼吸に伴って仙腸関節のところにどんな感覚が生まれているかを感じてみてください。呼吸と連動する仙骨の微妙な動きを観察してみてください。

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大きく息を吸うと、動かすつもりはなくても仙骨が少し前へゆっくりと動いているのが分かると思います。吸う息で仙骨が前へお辞儀をするように少し倒れ、吐く息で元に戻っていきます。
呼吸は肺だけでやっていると思っている人がいるかもしれませんが、実は呼吸は身体が協調して行っている全身運動です。その中でも大事なのが、この仙骨の動きです。
仙骨が前へ傾いていく動きから呼吸は始まって、吐く呼吸は仙骨が戻っていく動きで始まっていきます。なので、この仙骨のところを固めないように坐らなければなりません。

仙骨の上には、5個の腰椎、12個の胸椎、7個の頸椎があって、その上に頭がい骨が乗っています。この全体を「背骨」と呼んでいるのですが、いちばん下の仙骨がこのように動いている以上、その上にある骨たちもそれに伴って動いています。呼吸に伴って、背骨全体は波打っているような動きになります。
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ここまで仙骨に手を触れて、その動きが感じられたと思いますので、今度は手を離した状態で仙骨の動きを感じつつ、その上がどうなっているかを感じてみましょう。

身体を固めないで、微妙な動きを許してあげてください。

息を吸うと仙骨が前に傾いて、それに伴って背骨は反り上がっていくと思います。その動きを拡大すると、吸う息で肋骨が上に上がって、あごが開いて、顔が上を向きます。
息を吐くと戻っていきますが、背骨の下の方からゆっくり戻っていきます。仙骨がもとの位置へ戻っていき、腰の反りが戻っていき、胸がゆっくりと下へ向いて、反っていた首が戻っていって、あごが戻り、顔が上から前へ向きます。

でも、その動きを「作らないで」ください。背骨の下からの動きを感じているだけでいいです。


◆ 脊椎行気法
今度は、正座や坐禅の姿勢で、頭頂部から背骨へ息を通していきます。
まっすぐな背骨に息を通すのではなくて、呼吸に伴って波のように揺れ動いている背骨の動きを感じながら息を通していってください。

この「背骨に息を通す」という営みに"専念(念を専一に)"してください。これだけに心を使ってください。

背骨に何かがリアルに入っていく感じがあるでしょうか?
脊椎行気法では、息を使って背骨の調えをしています。なので、背骨に息が入っている感覚が生まれてこないと、あまり効果がないことになります。

腰のところまで息を通していくのですが、一度ではなかなか難しいかもしれませんので、少しずつ何度かに分けて…鳩尾のところまで通ったら、次はもう少し下の方まで、だんだん深く通していくコツを学んでください。

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1. 感じる力でからだが変わる

今年度の仏教塾のソマティックワークでは、この本を参考にして学んでいます。

この本の英語原題は「The New Rules of Posture」、"新しい姿勢のルール"といいます。

普通、僕らは心を上位に置いて、心が身体に「こう動け」という指令を出して、それに従って身体が動いている…というように身体のことをとらえていると思います。
「手を挙げてください」…と僕が言うと、皆さんはこれを指令として受け取って、それを内面化してその指令に従って手を挙げます。
それで何も間違ってはいないのですが、心が身体に命令する、あるいは心が身体をコントロールする・操作するというありかたです。

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それで、ある動作が行われると、それへのフィードバックがあります。
スポーツのフォームを修正する時なども、先生が「そこをもう少し上に」というようなフィードバックを与えて直していくわけです。
これはどんなフィードバックかというと「違います。そうではありません」というネガティブ・フィードバックです。


◆ 従来の姿勢のルール、新しい姿勢のルール
かつて僕自身の坐禅もそうでしたけど、姿勢についても、「良い姿勢をとりなさい」という指令を心が出して、良い姿勢を身体にとらせる…というのが"今までの姿勢のルール"でしたが、「新しい姿勢のルール」は、それとは違うものです。

「感じる力でからだが変わる」、何を感じるのかというと、いま身体で起きていることを感じる。
誰が感じるのかというと、私の意識的な脳ももちろん感じますが、私のあずかり知らない"無意識の脳、皮質下脳"でも感じています。気がついた時にはもう調整が起きているというような変化があります。

あるいは、こういう言い方もあります。

錐体路系:随意運動を司る神経系
錐体外路系:それ以外のもの、不随意運動

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このテキストの特徴は、この「不随意のところで起きる調整」を重視していることです。身体でいま何が起きているかを感覚して、そこから皮質下脳へフィードバックが伝わって、そこから起きてくる不随意運動による変化が姿勢を変えてくれます。

§

2. ブッダよ、来てください

不随意的な錐体外路系の運動には、自己調整機能があります。
ティク・ナット・ハンさんの言葉に、こういうものがあります。

ブッダはあなたのなかにいます。
ブッダは呼吸の仕方も優雅に歩む方法もご存知です。
あなたが忘れていても、ブッダよ来てくださいとお願いすれば
すぐに駆けつけてくださいます。
待つ必要はありません。

「ブッダよ来てください」というのを、どう伝えるか。
ティク・ナット・ハンさんはそうは言っていませんが、その答えは「感じること」だと思います。

錐体路系の随意的な運動と、錐体外路系の不随意な運動。
どちらが良くてどちらが悪いという話ではないのですが、僕らが姿勢を調える時には、随意的にやり過ぎているところがあると思います。

今までの姿勢指導の問題というのは、「正しい姿勢」というものが既にどこかにあるような前提で行なわれているという点にあると思います。先生が見本を見せて「こうしなさい」と言うような、あるいは、写真を見せて教えるとか。

そこでは、距離や角度などを測定して数値化することもあるでしょう。
そこにある問題点は、先生が見せる見本や、写真や、測定結果の数値は、その人にとっての姿勢ではなく、誰かにとっての正しい姿勢を私に当てはめるということです。そのやり方だと、私の外側にある正しい姿勢に、私の身体を合わせていくようなアプローチにならざるを得なくなって、他律的になってしまいます。

坐禅指導においても、その指導や解説書などが親切であるほど「数値化」が行われて、誰でもできるように書いてある。「半眼は、目線を45°の角度で下へ下げて、1.5m先の床を見る」などのように。

でも、ここには「感覚」は何もないではないですか。


アメリカで坐禅指導していた時にも「私の背中が真っ直ぐかどうか、見てくれませんか?」とよく言われました。自分で真っ直ぐかどうかを感じるのではなく、外側から見てどうかということが気になるのですね。
大きな分度器を持ってきて「僕の目線が45°に下がっているかどうか、この分度器で測ってくれませんか?」という人がいたのにはビックリしました。

「そういうのは違うんじゃないか?」とはずっと思っていたのですが、それまでは他のアプローチ法というのが分からなかったんですね。ところがこのテキストは「感じる」というアプローチで姿勢を論じている。
アメリカでも、「旧い姿勢のルール」というのは、このような「外側から操作する」というようなアプローチだったようです。

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3. knowing mode

このテキストで示されている姿勢のアプローチは、「いまの自分にとってのよい姿勢を、その都度自分で見つけていく」という、クリエイティブなやり方です。そのために必要なのが「感じる力」というわけです。
9月の塾の時に取り組んだ「身体のアウェアネス」。
awarenessという言葉は、「気づき」と訳されることが多いですが、実は訳し方が難しくて、「aware」という語には「知っている」という意味も含まれています。
「I am aware of your presence.」、"君がそこにいることは知っているよ、分かっているよ"というような言い方でawareを使います。

アウェアネスの反対は「thinking」。考える時は必ず概念を使って考えますので、「~について考えている(thinking about)」のです。
アウェアネスは、直接に分かるということです。
例えば、とげが刺さってチクッとした時に「えーっと…これは"痛い"ということかしら?」みたいなことはないですよね。ただ「痛い」ですよね。感覚というのは、そうやって知ることです。

僕らはあまりにも「thinking mode」に重心を置き過ぎているのですが、心をアウェアネス・モードで使うか、シンキング・モードで使うかによって、その働きが全然違ってきます。

英語で、

① Do you know about him?
② Do you know him?

と言った時、この2つの文のニュアンスの違いが分かりますか?

①は「彼についての情報を知っていますか?」というニュアンス。
②は「彼を"直接的なやり取りの中で"知っていますか?」というニュアンスがあります。

別の例で言うと、聖書に出てくる重要な場面、「マリア様の受胎告知」のシーン。

すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。「どうしてそのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。
(『ルカによる福音書』1章30節~34節)

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マリア様が「私はまだ男の人を知りませぬのに」というのは、"性行為をしていないのに"という意味ですよね。この部分は英語でも「I do not know a man.」と書いてあるものがあります。むかしの言葉で「know、知る」というのは、こういう知りかただったということです。「男の人について」知っているということではなくて、直接的に知っている。

いまの自分の心が「knowing mode」なのか「thinking mode」なのかという違いが分からないと、アウェアネスは分からないし、瞑想もできないということになります。瞑想というのは、シンキング・モードからアウェアネス・モードへの切り換えのことですから。
アウェアネスは9月に取り組みましたが、このあともう一度復習します。

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◆ 「かたち」と「かたどり」
先月10月には「身体のスタビリティ」を学びました。スタビリティ(安定性)は、下半身のクオリティに関わることなのですが、別な言い方では「grounding(接地性)」とも言います。
姿勢の中には、片足立ちであろうが、歩いたり走ったりして移動している時でも、必ずどこかにスタビリティがあります。
特にこのテキストでは、姿勢は静止的(static)なものではなく「動的(dynamic)」なものとして考えられています。なので、このような動的な姿勢のことを、僕は「かたどり」と呼ぼうと思います。「かたち」ではなく、「かたどり」。

姿勢は、いきなりそのかたちでカチッと止まるのではなくて、微妙に変化しながら…イメージで言えば「花がゆっくりと咲いていくように」、最適な姿勢に向かってダイナミックに動いていって、そこで出来上がる姿勢を「かたどり」と呼びます。

「かたち」は、人形のようで、いのちがないのですが、「かたどり」は、生き生きとしていて、瑞々しくて、いのちが通っているものです。旧い姿勢のルールで出来上がるのが「かたち」、新しい姿勢のルールで出来上がるのが「かたどり」です。

坐禅も「かたどり」であってほしいと思います。最初の姿勢を何が何でも死守するのではなくて、坐禅が始まってから終わるまで、ずっとかたどり続けているダイナミックなプロセスです。坐禅中の動きは、坐禅から逃げるためではなく、坐禅がより坐禅になっていくための必然的な変化として許されなければならないと思っています。

身体で起きていることをアウェアネスを通して感じて、その情報が皮質下の脳に伝わると、それに応じて変化が起きます。その変化をまたアウェアして、またそれに応じた変化が不随意に起こる…これが「かたどり」のプロセスです。
このプロセスの中には、すべてを知って(know)いるブッダがいるので、このサイクルがどんどん回転していくことで、effortlessでefficientな姿勢がかたどられていく…というのが、新しい姿勢のルールです。


◆ オリエンテーション - 姿勢の方向性

今回取り組むのは「身体のオリエンテーション」。
姿勢というのは必ず"何かのための"ものなので、そこには方向性があります。

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坐禅にも方向性があります。
その一つは、重力に沿って背骨が伸びている上下への方向性。
実は、意識にも方向性はあって、坐禅の時の意識の方向性は、全方向です。自分を取り巻いているすべての環境に対して、レーダーのビーコンを放射している状態…というよりも、「受け取っている」と言ったほうがいいかもしれませんね。

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4. アウェアネスの復習:屍のポーズでボディスキャン

きょうはこのオリエンテーションを学びますが、その前に、アウェアネスとスタビリティを復習したいので、まずは仰向けになって「屍のポーズ」になってください。

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アウェアネスを高める練習として典型的なやり方は「ボディスキャン」です。マインドフルネス瞑想などでもよく用いられている方法です。

(一照さんinstruction)
アウェアネスは、考えることではなくて「感じること」です。
まず、頭頂部の辺りに注意を向けます。そこにどんな感覚が「いま」あるでしょうか?
どんな感覚でもいいです。何も感じなければ「何も感じないという感じ」があります。頭頂部が熱っぽかったり、冷やっとしていたり、むずむずしているかもしれません。感覚を予期しないで、「なるほど、いまこんな感覚があるのか」というのを味わってください。

だんだん下の方へ下りていきます。身体の表面だけでなくて、内部も感じてください。呼吸も忘れないように。あまり「グーッ」とした力んだ集中をすると、呼吸を忘れてしまうので気をつけてください。
"何が何でも感じてやる!"というような強くて鋭い注意だと、あまり感覚がやって来てくれません。普通に呼吸しながら、「ちょっとその辺りを気にかけてみる」くらいのほうが、感覚がやって来やすいです。

さらに身体の下の方へ下がっていきます。
鼻のところを通過して、CTスキャンが口の辺りを輪切りにしているような感じです。
何かギュッと握りしめているような緊張感があったら、しばらくそこで呼吸してみてください。緊張のかたまりに息を吸いこんで、そこから吐いていきます。数回繰り返していると、そこがふわっと解けてくるので、さらにスキャンを下に下げていきます。

いまは首のあたりをスキャンのビームが通っています。喉の渇きなどがあるかもしれません。
肩まで下りてきました。いま現にそこにある感覚に注意を向けて、価値判断をしないことです。価値判断も「それについて考えている(think about)」思考です。
感じていると、肩を動かしたくなってくるかもしれません。それは、感じることで自己調整機能がはたらいているので、その動きをゆっくりと許してあげてください。

胸のあたりまで下りてスキャンしています。心臓や肺の動きを感じると思います。さらに下りて、鳩尾の辺り。先ほど休憩時間に食べたものが胃の中にあって、それを消化している感じが分かるかもしれません。

おへそのあたりから、下腹部を下りていきます。
腿からひざ、ふくらはぎへと下りていきます。さらにアキレス腱を左右同時に感じます。かかとから足の甲へ移って、つま先を感じます。
余計な緊張がないでしょうか?緊張があるかないかも、アウェアネスの大事な指標になります。
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頭頂部からつま先までひと通りスキャンしたら、今度は全身を一目で見る、一度にスキャンします。いま仰向けになっていますので、天井からX線を照射して、全身のレントゲン写真を撮っているようなイメージでもよいです。
感覚が濃いところと薄いところがあるかもしれません。どんな感じで自分の全身を感じているでしょうか。

身体の内的感受性というのは、身体がリラックスしていればしているほど敏感になります。緊張していると、その緊張がノイズになって、感覚を拾えなくなります。
体重を全部床に預けます。この「屍のポーズ」が接地面がいちばん広くなりますので、いちばんリラックスできる姿勢です。頭も、首も、胸も、脚も、全部の重さを床に預けます。

身体の感受性を上げるもう一つのポイントは「眠ってしまってはいけない」ということです。意識がはっきりしていなければならないので、考えことをしていてもダメだし、うとうとしていてもダメです。必要のない思考は休んでいて、しかも覚醒度が上がっている状態です。いまの自分の覚醒度は、10点満点で何点でしょうか?シャキッと目が覚めていて「アウェアネス100%」の気持ち良さを味わいます。

いま僕らは仰向けになっていて、これは最もスタビリティがある姿勢です。でも、これだとオリエンテーションはなかなか生まれにくいです。
ここから起き上がって、オリエンテーションの探究をしていきます。

仰向けのまま、両ひざをゆっくり曲げて立ててください。これも、どこにどういう風に力を入れてどこを動かしたかを感じながら行なってください。
現代人は腿の裏側が縮んでいることが多いので、足を伸ばすと腰のあたりが引っぱられて、背中が反るようなかたちになることがありますが、いまのようにひざを曲げると引っぱりがなくなって、腰の過度の湾曲が少し減ったのではないかと思います。
うまく脚でバランスを取って、余計な筋肉の緊張を生み出さないようにしてください。

両ひざをゆっくりと右の方へ倒すと、左の腰が上がってきて、それに連れて上半身も右側へ回っていって、横向きの屍のポーズになります。
「Less is the new more.」、なるべく少ない力で行ないます。

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仰向けと横向きで、呼吸の質がどのように変わっているでしょうか?
ここから脚を伸ばしていくと、うつ伏せになっていきます。
足の力を抜いて、全部の重さを床に預けてください。

両手をスライドさせて、両肩の下に置き、腕立て伏せで腕を曲げた時のようなかたちになります。手をしっかり広げて手の全面で床に触れ、ゆっくりと床を向こう側へ押してください。その結果として腕が伸びて、上半身が起きてきて、反り返ったかたちになります。
背骨を緩めて、背骨の柔らかさを信じてダラーンとぶら下がってください。
両腕の幅は、広すぎても狭すぎてもキツくなりますよ。いちばん楽な幅を見つけてください。ここで一度呼吸します。この姿勢で呼吸すると、背骨がどういう動きになるでしょうか。

ゆっくりとお尻を持ち上げてひざを曲げ、お尻をかかとにつけていって、ひれ伏した姿勢になります。呼吸を忘れずに。
両ひじを曲げて、肩のところへもってきます。ゆっくり床を押して上半身を持ち上げていって、正座になります。

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5. スラックレール

きょうは「スラックレール」というのを持ってきました。
これは、スラックラインの練習用として開発されたものだそうです。

平らな側と丸い側があって、丸い側を下にして床に置いて、平らな面に足を乗せて乗ると、ほんもののスラックラインに乗っている感覚に近くなります。
皆さん、ちょっと乗ってみてください。自分が乗ってない時は、他の人の様子も観察してくださいね。

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アウェアネスとスタビリティを意識してね。
渡れるか渡れないかということより、このレールの上に「How、どうやって乗っているか」が大事です。

向こう側へ渡り切ることより、まずはこの上で安定することが大事です。
皆さんは、レールを向こう側まで渡り切ることに精力を使い果たしているから、一歩一歩が雑なんです。それだと、もっと揺れるほんもののスラックラインの上では、まず立てないと思います。
なので、まずは片足でレールの上でバランスを取ること。そのためには、全身を普く、くまなく使います。

肩からひじ、手首の関節を固めてしまうと、腕が棒のようになってしまいます。手首から先の手の部分が上を向いているか下を向いているかだけでも、バランスは変わります。棒のように硬直した腕ではなくて、手の指先まで生きた腕にしておかないと。肩甲骨も、ふにゃふにゃに柔らかくしておきます。

しかも、バランスを取ろうとして水平に腕を広げるというよりは、腕を上に上げて、阿波踊りの格好になるとよいです。これも「counter-intuitive」なことの一つですね。

ボノボとかオランウータンが木の枝を渡っていくときにも、腕を上にして歩いていますね。
なので、スタビリティとアウェアネスに気をつけて、一歩一歩のクオリティをもう少し高めていきましょう。

それから、足元を見ないで、歩いていく方へ顔を上げてください。これがきょうのテーマ「オリエンテーション」です。
足を見なくても、次の一歩をどこに出すかは足が教えてくれています。

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このレールは5cm幅ですが、この5㎝のどのラインに重心を乗せるかで、バランスがガラッと変わってきます。
身体がバランスを取ろうとして、考えなくても肩から腕にかけてが勝手に動こうとしていますから、動きの選択肢を狭めないように、柔らかくしておきます。

向こう側へ渡りたくてすぐに足を出してしまうのではなくて、まずは片足でバランスを取って立って、乗れている感じをよく味わってくださいね。
レールを踏みつけるのではなくて、レールに支えてもらいます。
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レールの上で「後ろ歩き」も試してみてください。
今度は足元を見れませんよ!前向きではヨタヨタしながらも前に行けましたが、後ろ向きではしっかりバランスが取れていないと、次の足を後ろに出せません。「いま置いている足の延長線はどこかな?」と足で感じていきます。

「一照さん、こうですか?」…って、人に聞かないで自分が感じてやってください(笑)。
身体を操作しようとすると乗れませんよ。できるかできないかは、あなたが決めることではないです。
レールの上で、落ちないようにねばって「悪あがき」するのも大事です。悪あがきしている身体のデータが皮質下の脳に入って、次の身体の動きを変えてくれるかもしれませんよ。

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実はこのスラックレール(スラックライン)の運動には、
・アウェアネス
・スタビリティ

・オリエンテーション
・ムーブメント
…すべての要素が入っています。

このテキストに載っているオリエンテーションのワークやエクササイズは、細々としたものがたくさんあるので、全部やっていると散漫になってしまうと思ったので、スラックレールをその代替としてご紹介しましたが、皆さん愉しんでやっていただいたようなのでよかったです。

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6. オリエンテーション - 世界と向き合う

オリエンテーションというのは、下半身でスタビリティを確立したあとに、手や足などで世界に向かって働きかけていくことです。
で何かを取りに行く。でどこかへ近づいていく。
あるいは、で見て、見たものに向かって手や足を出していくというオリエンテーションもあります。

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このあと残りの時間で坐禅をしますが、それに先立って「目」のことを学んでみたいと思います。

姿勢というのは、世界との向き合い方が表現されているものです。
ある人は、腰が引けて文字通り「逃げ腰」で世界と向き合っているかもしれない。ある人は、腰が入って胸を張った姿勢で世界と向き合っている。
これらは、「逃げ」と「攻撃性」という心理的な状態が表現されているので、そのどちらも勧められてはいません。
世界との向き合い方では「ニュートラルなところにいる」ということが大事になってきます。プラスでもない、マイナスでもない、原点的な「ゼロの姿勢」です。

我々人間や、他の動物でもそうですが、身体のどこで世界と向き合っているかというと、「顔」で世界と向き合っていることが多いです。
怖い顔で相手を威嚇するときなどは、顔の筋肉がギューッと緊張しています。僕らはそういう「仮面」をかぶったような顔になっていることが多くて、ほんとうの素顔に帰る必要性というようなことが、このテキストには書かれています。

坐禅の時には「商売用の顔」で坐っていると、本来の自分が出ていないことになってしまいます。このテキストには、顔の各パーツ、目や鼻や口、舌、あごなどの緊張を緩めるエクササイズがたくさん載っています。その中の一つだけ行ってから坐禅したいと思います。


◆ 頭蓋と顔を区別するエクササイズ
このテキストでは、お面をかぶるところが「顔」、それ以外を「頭蓋」と呼んで区別しています。僕らは頭を動かす時に、普通は顔を動かすのですが、頭蓋を動かした結果、顔の向きが変わるという動き方で動くと、首の余計な緊張がなくなる…というエクササイズです。

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(テキストp.284)
たいていの人は頭の後ろ側をほとんど意識していません。
定位を行うときも顔に頼っています。では、今までと違う頭と首の使い方を体験してみましょう。

まず頭をイメージの中で前半分と後ろ半分に分けてみてください。耳より前にあるものはすべて「顔」、後ろにあるものはすべて「頭」です。
健康的な姿勢で座り、頭蓋骨の後ろ側から振り向いてみましょう。後頭部が左に動くと顔は右を向きます。後頭部が下を向くと顔は上を向きます。こんなふうにして少しの間、周囲を見回してみてください。
感覚を比較するために、今度は顔から振り向いてみましょう。

後頭部に意識を向けると、首の前後で筋肉のバランスがよくなって、後頭下筋群も少しリラックスできます。


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7. 瞑想・坐禅

では、最後に少しの間、坐りましょう。
まずは、スタビリティを確保します。坐蒲や座布団を使っておしりの位置を少し高くすると、ひざの方にも体重が流れていきやすくなります。全体重の6割くらいを左右の坐骨で、4割をひざの外側で支えるようにします。ひざの上に手を置いて、腕の重さをひざで支えます。

スラックレールをやった時に分かったと思いますが、身体の下の方にスタビリティがなければ、上の方でいくら頑張ってバランスを取ろうと思っても、やればやるほど落ちるだけになってしまいます。

姿勢が安定してきたら、一目で身体全体をボディスキャンするように感じていきます。前後左右のバランスが調っているか、肩や首のまわりに余計な緊張がないかどうか気をつけます。
肩甲骨を持ち上げておいて…ストンと下ろします。これを3回繰り返すと、鎖骨の周りに広い空間が広がってくるのを感じると思います。

それから、後頭部の後ろに一枚の板があって、首筋の後ろ側がそれに近づいて沿うような感覚を見つけます。そうすると、あごが自然に下がって締まってきます。「あごを締めよう」として締めてしまうと、締め過ぎになってしまいますので、頭の後ろに意識を持つと、そこに伸びやかな感覚が生まれて、自然にあごが締まってきます。

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(一照さんinstruction)
軽く目を閉じて……まず、身体が床の上に坐っているのを感じます。ボディスキャンを一瞬で行なうことで「There is a body sitting on the floor.」、身体が坐っていることを感じます。身体が坐っていることについて考えるのではなくて、「knowin a body sitting on the floor」、直接に知ってください。

次のknowingの対象は「音」です。「You know that the sound is coming to you.」、音が自分の方へやって来ているのを知り、それを迎え入れます。

もう一つのknowingは「呼吸」です。僕らが生まれた時からずっと続いている呼吸が、今日も、今も、休むことなく自分の身体で起きています。

身体があって、音が聴こえて来ていて、呼吸が起きている…。この3つは、僕らがどんな時でも必ずあります。ここに帰っていきます。
この3つの事を知る(know)ことに専念します。そこから気がそれて、考え事をしたり、居眠りをしそうになっていることに気づいたら、戻ってきてください。考え事をしていようが、居眠りをしていようが、身体はあって音は聴こえてきていて呼吸は起きています。

きょう一日、いろいろなことを話したり、ワークをしたりしましたが、その全部を逐一記憶している必要ななくて、何かのかたちで身体の中に入っています。

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(12月までのhomework)

(1) 『学道用心集』用心第九・第十を読んで、「さすが道元、よく言った!」と思う一文を選び、その理由とともに次回発表する。
(2) 「顔で動く」「頭で動く」実践(テキストp.284)と、それを知人2〜3名にも実践してもらい感想を持ち寄る。
(3) きちんと坐って背骨に吸う息を5回通す脊椎行気法を毎日3度以上試す。

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