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「心」というのは、本当に難しいものです。
私は、幼い頃から自覚があるほどに「デリケート」というか、言葉を敏感に受け取ってしまう傾向がありました。

「心というものがなかったら、どんなに生きやすいだろうか。」
と6,7歳の頃から考えていました(マセガキでしたw)

先日ある方とお話をして、私がその方を深く傷つけてしまったことに気づきました。
その方は、私を一言も責めることなく、
「ただこういうことがありました。」
と淡々とお話いただいたたのです。

「あ~あのことだ!」
と気づいた時点で、私も何かしらその出来事に違和感を持っていたのです。そして、私はとっても、とっても反省!!!

どうして、一年前のそのタイミングで、適切に声をかけられなかったのか。
信頼できる周囲の方にでも、情報を提供できなかったのかと悔やみました。

悔やんでも一年前にタイムスリップできる訳でもなく、ただ
「おつらい思いをなさったこと、お気持ち察して余りある。
本当に申し訳なく感じています。」
とだけしか、言えませんでした。

多分、その方は深く気持ちを痛め続けていらっしゃったと思います。
そして、私自身も、人を傷つけないようにと日々、多分人一倍注意しているつもりです。

多分、だれもその方を意図的に傷つけようと思ったわけではない(と思っています)。

ただ、ほんの少し思いが至らない、言葉が食い違うことで、否応なく傷つけてしまう。
そして、傷ついてしまうココロをもつのが人間なんですね。

人と自分は違うから感じ方も差があって当然。
気持ちなんて状態によっても変わるでしょ。

とか、傷つき度合を測定するスケールを変化させる理屈はいくらでもあるでしょう。

そして、傷心度スケールを変化させる理由は
「このくらいフツーは大したことないよ。」
と、自分の罪悪感を軽くしようと思う無意識(有意識)の心ではないだるろうか。
でも、傷ついてしまった心はいつまでも痛みを覚えている。
相手が思う数倍にも。

だから、どうするのかという結論は、ないです。

「傷ついてしまう方が悪い。社会で生きるためには、もっと強い心を持て!」
という思考の人が言うことも、一側面としての理あり、です。

ただ、だから人と離れてしまう。気持ちを分かち合わない、のは虚しいと思います。

私はおよそ「優しい人」「柔和」「穏やか」と言われがちです。
それは、多分、
「だから傷つけないでね」「あなたも優しく接してね」
の裏返しだったのかもと最近思います。

だからこそ、相手のことを考えて、相手のココロも聞きながら、
こちらも心を開いて、「話し合える」関係性を築きたい。

最近特にそう思います。

私は、相手の方が今このタイミングで話していただいて本当に良かったと思います。感謝ばかりです。
多分、話す方も勇気が要ったと思います。

ありがとう。
ごめんなさい。

自分の鎧を時には捨てて、しっかりと分かち合うことの大切さを、改めて身をもって知った時でした。

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