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人間とは不都合な生き物である「バカと無知」 要約・所感

おはようございます。本日は橘玲さん著書の「バカと無知 人間、この不都合な生き物」を取り上げたいと思います。

橘さんは2016年のベストセラー「言ってはいけない 残酷すぎる真実」の著書の他、小説から社会評論まで様々な分野の作家として有名な方です。

世の中に蔓延る「きれいごと」。それを斬新な切り口で批評していきます。みんな口には出さないけれども、心の何処かでは気付いている?いや実は気が付けていない…。そんなこと言っていいのか、駄目なのか、際どいラインを攻めまくる。そんな知的好奇心を擽る内容であっという間に読了してしまいました。

「バカ」という表現はネガティブで攻撃的なので使用を避けたいところですが…。直接的な表現で読んで不快に思う方もいるかもしれませんが、本書での意図を汲んでこのnoteでも表現はそのままにして、学んだことをまとめておきたいと思います。


1.人間、この不都合な生き物  

人に限らずすべての生き物の進化の目的は「生存、生き残り」である。これは以前のnoteでも取り上げました。

生物学的にみれば、生きる目的は幸せになることではなく、生き残り子孫を残すことなのです。このように生存と生殖を最適化するために人の身体は設計されています。

人類史の大半は150人ほどの小さな集団で過ごしてきました。一人の力が弱い人間は知恵を集い、社会を形成することで生き残ってきた真の社会的な動物です。狩猟採集時代には一人で生きていくことはできません。集団から排除されることはすなはち死を意味しました。

集団から排除さないこと、子孫を残すこと。この目的を叶えるためには、つぎの矛盾した難題をクリアする必要がありました。

①目立ち過ぎず反感をかわない

②目立たないと性愛のパートナーを獲得できない

このために相手が何を考えているか素早く察知するメンタライジング、相手の気持ちを感じる共感力といった社会的能力を発達させる必要がありました。人間の脳が他の動物と比べて急激に大きく進化したのは紛れもなくこの社会性のお陰です。

集団の中で、ときには弱者に共感して支援するために自分を犠牲にすることも。一方では性愛のパートナーを得るために他者を出し抜くことも。人類は進化の過程でこのような究極のトレードオフを引き受けたのでした。


2.バカは自分をバカと認識できない。だからややこしい

大学生を対象としたとあるテストで平均を50点、最低を0点、最高を100点と得点が正規分布するよう設定した場合、学生たちの自己評価の平均点数は66点でした。学生たちは平均よりも3割ほど過大評価していることになります。

話はここから。成績が上位1/4の学生は平均点を実際よりも高く予想しました。一方で下位1/4の学生は平均点を低く予想しました。上位の学生は自分のことを過小評価する傾向がありました。下位の学生は自身を過大評価するか、そもそも自分の能力が低いことを正しく認識していないと考えられました。

この結果も先に出た、生存と生殖の最適化という考えを後押しします。人類史の大半、いや現代においても自分に能力がないことを他者に知られることは社会的なヒエラルキーを維持するうえで致命的なのです。

自分の能力について客観的な事実を提示されても、バカはその事実を正しく認識できないどころか増々自信を持つように振る舞うのです。まさにバカつける薬はない。バカは原理的に自分がバカだとは気がつけないのです。

私も、そしてあなたも。

また、能力が高いものが高い地位につく原則は今も昔も変わりはなかったはず。彼らは自分自身の能力を客観的に理解しており、妬み嫉みの的となり共同体の中で排斥されるリスクを避けるために、自身を過小評価して目立つことを控えます。

能力に違いがある2人が話し合うとき、賢い人は謙遜して自身を小さく見せる。一方、バカは能力以上に大きく見せて対応する。結果的に謙虚な賢者の考えは通らずに、バカに引きづられて間違った選択をしてしまいます。

このようなことが特に現代の民主主義社会では、重要な場面においても往々にして見られているのです。みんなで話し合う事は本当により良い選択へと繋がるのでしょうか。良い選択をする条件とは何か?言葉を選ばずに言えば、それはバカを排除することなのです。


3.やっかいな自尊心

人間が社会性を発達させる中で身に付けた装備が高精度の自尊心メーターでした。150人ほどの小さな共同体では自尊心の高低が生存と生殖に深く関わっていました。

自尊心を高く保とうと死物狂いの努力をしたのです。また、それが下がるような出来事に遭遇すれば何とかして回復させなければならなかったのです。

自尊心がやっかいなのは、客観的な評価が難しいことです。科学が発達した現代においても「あなたは自分に自信がありますか?」というようなアナログなアンケートで測られます。

アメリカと中国、日本の3カ国の一流大学の学生を対象とした調査ではアメリカと中国の学生は主観的自尊心が高く、日本の学生は極端に低かったそうです。これには個人主義の文化が強い米中と集団主義の文化が強い日本という文化的性質が上手く現れています。

話はここから。こと内集団での潜在的自尊心(このグループのなかでは俺がイケてる。あいつよりは俺が…)を調べたところ日本の学生が米中の学生より圧倒的に高かったのです。

日本の優秀な学生は主観的自尊心が低く、潜在的自尊心が高いのです。つまり、一見謙虚だけどプライドは高く扱いづらいとなります。

人間社会は大小様々な争いがあります。人はどのようなときに相手を敵とみなして攻撃的になるのか。それは自尊心が脅威にさらされた時です。自尊心が高く、かつ安定している人は少しくらいのストレスでは動揺しません。

それに対し自尊心が高くても不安定な人は僅かなストレスでも動揺して他者を攻撃するのです。攻撃性を予測するのは自尊心の高い低いではなくその安定性なのです。

しかし、その自尊心メーターは他者からは見えづらい。これが人間社会の複雑な理由です。

所感

本書では人が心のどこかで感じてはいるが言語化できないこと、あるいは口に出してはいけないことが溢れるばかりに盛り込まれています。橘さん自身が本名非公開の作家さんである利点を十二分に活かした内容で引き込まれました。
 普段言いたいことが言えず、モヤモヤしている人にとっては絶好のデトックス効果が期待できると思います。

 文明やテクノロジーがどれだけ進化しようが、人間の仕組みや性質は変わらないということ。誰もが皆かけがえのない自分の人生を生きている、人間一人では生きていけない、そこには他者がいてその人たちもまた唯一無二の自分の人生を生きている。私のような小心者が要約して表出すると、このようなあたりまえの着地となるのでした…。

また、本書ではこの他に社会のリベラル化による弊害、SNS時代のキャンセルカルチャー、差別と偏見の迷宮についても言及した内容となっています。

興味を持った方は是非手にとって読んでみてください。



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