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音楽の先生に学んだ「愛されコミュ力」


コミュ力を独学で上げた方法 ①


社交的コミュ障の悲願


「コミュニケーション能力の欠如」。
小さい時から今に至るまで、ずっと私のコンプレックスです。

口下手、聞き下手、トークのウィットもユーモアもゼロ。通らない声質。
悪い滑舌。とにかく間が悪くて、空気が読めなくて、機転が利かない。起伏の乏しい発声。

生まれ持ったポテンシャルの低さ。全てが忌まわしき劣等感であり、人生をかけて克服しようと日々もがいています。
(ありのままの欠点を受け入れることが、私にはまだできません。)

お花とカクテル 1

これが自己認識。
コミュ力向上に心血を注ぎ、日々、実践とフィードバックを重ねる毎日。

「どうして私はこんなにコミュ障なんだろう。」

客観的指標で計れるものではないため、
一度幼少期に「自分はコミュ障だ」というコンプレックスを抱けば、
自己認知はずっとまとわりつきます。


しかし、何が厄介って、私は人とお話しすることをこの上ない生きがいにしているのです。人と繋がることが、会話をすることが、大好き。

店員さんと話をするためにアパレルショップに立ち寄り、
あかの他人とコミュニケーションを取りたくて、切る必要もない髪の毛を切りに行く。

(ホットペッパービューティーの事前アンケートでは毎回、「美容師さんのタイプ」という質問で「話しかけてくれる人」を選択しています。ガンガン喋りたい派です。)

社交的で、外交型で、会話好き。

なのに、天性のコミュ障。

これほど辛いことはありません。
自分の好きなことをするために、自分が最も苦手とする能力を
発動しなければならないのですから。


この矛盾を抱えて生きてきました。
「コミュ障に悩むのなら、人と関わらなきゃいいじゃん」ではなく、
人との関わりを欲しているのです。

初夏の鎌倉プチトリップ


一方で、大変ありがたいことに、周囲からは逆の評価を貰えることが年々
増えています。

とすれば、コミュ力は天性の才能うんぬんはあまり関係なく、
経験によって底上げできる資質である気もしてきます。


私も、コミュ力の場数は積極的に踏みにいった自負があります。


では、死活問題だった「コミュ障」を、私はいかにして克服したのか。

本シリーズは、「天性のコミュ障」だった私が、
人事担当から「コミュニケーション能力が武器」とインターンシップで評価を受けるに至るまで、どんな実践をしてきたのか、まとめようと思います。

何回かの記事に分けて、ゆる~く書いていこうかな

※本記事では、単なる会話力だけでなく、会話の下支えとなる「第一印象」や「セルフプロデュース」、「キャラクター」、そして「普段の言動」をも包括して、私なりの広義の意味で「コミュ力」と呼んでいます。ご了承ください

さっそくですが、第一弾・小学校高学年編です。

ぜひ、ご一読ください

「人気音楽教師」の徹底分析


小学校5年生の時、クラスの担任教師が女性の若手音楽教師でした。
で、その先生が「天性の愛されキャラ」だったんです。

人たらしで、人の心を開かせるのが得意で、目上の先生の懐にもスッと入っていける器用さが、当時の私にはとにかく羨ましかったです。


朝の廊下でK先生がクラスメイトに話しかけるのを目撃するたび、
子どもながらに、「羨ましいな。あんな風に、周りの人みんなに愛される
人生を私も送ってみたかったな」と泣きそうな気持ちになっていました。

ある時期まで、その先生にずっと反感を抱いていました。
「人気者キャラ」へのジェラシーと、「自分はあんな風になれない」ことへの悟りと哀しみから、

先生が視界に入るたびに睨みつけ、先生が雑談をするときもわざとらしく貧乏ゆすりをして、先生が指示した算数の練習問題も「敢えて少しずらした箇所の問題を解く」など、ささやかな反抗を見せてました。

※分かりやすく問題行動を起こす勇気はなかった。

お花とカクテル 2

ですが、途中でふと見方を変えてみました。

「待てよ。あの先生がここまで愛されているのは『生まれつきの性格』ではなくて、私も努力次第ではあんな風になれるのかもしれないぞ…?」と。

愛されキャラの裏にも、ロジックがあるのかもしれない。

ならば、「先生が周囲から愛される理由」を徹底分析して、
自分の言動に落とし込めば、『愛されキャラ』が再現できるかもしれない!!

そこで始めたことは、コミュニケーションの参与観察です。

※大学で文化人類学をかじる一学生として、敢えてこの言葉を使わせてもらいます(←使ってみたかっただけ)
当事者である生徒として学校生活に「参与」しながら、
研究対象としてK先生を客観的に「観察」する、ということです。
類語:フィールドワーク

今後取り上げるコミュ力改善メソッドの多くが、
ロールモデルを見つける→観察→徹底分析→自分の中に取り入れる
というものですが、

その原点にして頂点となる出来事だと思います。

人よりも何かと低い能力で生まれついてきた私は、「他の人のノウハウを取り入れる」能力では負けない自信があります。

「学ぶ」の語源は「まねぶ=真似る」ことだ、という説を聞いたことがあります。生きるのに不器用な私は、その分人一倍、「誰かのマネをして技を盗」んで生きていく必要があったのです。

話を戻します。

クラスの友達はもちろん、低学年の児童、学年一の悪ガキ、同僚の先生、
授業観察に来た教育委員会の職員、教務主任、事務員、保護者。

K先生の、ありとあらゆる人間に対するコミュニケーションの取り方を、
集中力を研ぎ澄ませて盗み聞きました。
職員室に入る時は、絶好のチャンスとばかりに、大人たちのささやき声に
全神経を傾けていました。

りんごあめをテイクアウトしてお花見へ

先生が発する言葉を、一言一句違わず、そのまま自由帳に書き起こしました。

会話相手の属性ごとにサンプルを分類し、その違いを突き詰めました。
(当時から、何かを「分析する」ことが好きだったのかな)

※大学の授業でのインタビュー調査で、友達が「メモを取るの速いね」とほめてくれました。もしかすれば、この時に鍛えられた能力かもしれません。

「大人しい控えめな児童」、「高圧的な中年教職員」、「熱血体育教師」、
「お喋りな女の子たち」。相手に合わせてコミュニケーションのどこを変えているのかが、少しずつ見えてきました。

声質の使い分けも、声のトーンの上げ下げも、使用する語彙も。

K先生は、
目の前の相手に合わせて、即自的に、柔軟に、かつナチュラルにコミュニケーションの取り方を使い分けていたのです!!!

小学生の私にはこれが世紀の大発見のように思え、ますますコミュニケーション観察に打ち込みました。

その中で私が見出した「愛されキャラ」の秘訣は、大きく以下の4つです。

①自己プロデュース能力の高さ

先生は、「妖精界からやって来た永遠の17歳」という設定を持っていました。

今でもよく覚えています。新学期の全校集会でドキドキの担任発表を終えた直後のHRで、突然、カミングアウトしたのです。

「ちょっと皆さんに打ち上げたいことがあるんですが、、、、実は先生、人間じゃなくて、妖精界の者なんです…」

?????

「でもお金を稼ぐために仕事をする必要があるので、先生として人間界に
ドロンしてきてるんです、、、内緒にしてもらっていいですか」

コンセプトカフェの店員さんのような、何ともメルヘンなキャラ設定です。
しかし、外見からも、醸し出す雰囲気も、この設定は、恐ろしいほどに
K先生とマッチしていました。

小柄で華奢、あどけなくキュートな外見の持ち主なK先生からは、妖精さんっぽさを感じてしまうのです。

確かに、「天使」でも「女神」でも、「女帝」でも「姫」でもなく、彼女に合うキャラクターは間違いなく「妖精」でした。
自分の魅力を分かりすぎている…

ぶりっ子感もありませんでした。
あざとい女子特有の「同性から嫌われる」現象も起こりません。

芯が強くて指導は厳しめ、男女問わず平等に「叱る時はとことん叱る」先生だったから、キャラ設定によって「舐められる」こともない。

妖精キャラに対する児童からのいじりに対しても、アドリブ力が抜群でした。授業中にいじりを受ければ、さり気なく授業の本筋に誘導させます。
かつ、子どもたちをもっと笑顔にすることができるのです。

緊張と緩和がきちんと効いている感じがあります。

ドーナツ屋さんに行ってきました

ゆうこりんが本当にこりん星から来たと錯覚してしまうように、
K先生が本当に妖精界から来たフェアリーなんだと認識しかけました。

私は乃木坂46の大ファンなのですが、人気メンバーが
「初期のキャラ設定で無理をしすぎて苦しくなった」と、後に番組内で
打ち明ける様子を見たことがあります。

『自然体』と『見せたい自分』のバランスを取るのはたいへん難しいことだと思います。

私自身も、高校デビュー・大学デビューをはじめ、所属集団を変える度に
キャラ設定にことごとく失敗し、空回っています。


「作り込んだ感」を出さずに自分の魅力的な一面を引き出すこと。
K先生はその天才でした。

そう。K先生の凄いところは、このキャラ設定が「児童にも保護者にも、校長先生にまで好意的に受け止められている」ところなのです!!!
対象年齢広すぎイイイイ

なんでも、朝の会(ホームルーム)の雑談によれば、
家庭訪問でとある児童の母親と面会した際、

その母親からミルクココアを渡され、こう言われたそうです。
「『先生はまだ17歳だからブラックコーヒーが飲めないんだよ。だからこんどの家庭訪問ではホットミルクを出してあげてね』と息子に言われたんですよ。冷めちゃったかもしれませんが、ぜひ召し上がって下さい」

親御さんにまで17歳の妖精説が知られているのか…と、先生は一瞬面食らったそうです

今考えれば、めちゃほのぼのするエピソードですね(笑)
息子さんかわいすぎる(いま同い年なはずだけど)

素敵なカベを発見

K先生が校長先生と職員室で雑談するのを運よく見かけたのですが、
校長先生から
「いや~、とは言ってもK先生妖精だからな~」的ないじりを受けてて
驚きました。

「え、K先生の設定そこまで浸透してんの?!」


これを、小学5年生の担任の先生という立場で実行している点も、
何とも言えない絶妙なさじ加減を感じます。

中学生相手にやれば、反抗期スタート気味の男子の反感を買いかねないし、
女子からは誹謗中傷の対象になりかねない。

一歩間違えれば、クラス全員ドン引き→総スカン の流れでしょう。

低学年相手にやっても、そのキャラの面白さがイマイチ伝わらない。
「小5」がベストなのかも…?

算数や音楽の授業でも、妖精設定がフリとして効くことや、指導に活かされることが何度かあって。

社会科の授業では「先生も妖精ですが、現代日本で生活する以上、人間界のルールは守っています」と真顔で話し、クラスを爆笑の渦にしたことも。

道徳の授業でもこのフレーズ使っていた気がする(笑)
汎用性高いし、ここまで自分が作ったキャラを徹底的に演じ込むところに
プロ意識(?)と覚悟を感じます。

腹くくってる感じがカッコイイ。

真の「やり手」とは、やり手さが全く表に出なくて、むしろ天真爛漫に見られる人物を指す思うのですが、

K先生は真のやり手だなのかもしれない、、、と、つくづく感じます

② 論理型コミュニケーション

先に述べた通り、K先生は「芯の強さ」や「こだわりの強さ」が指導からよく伝わってくるタイプでした。甘そうに見えるが、実は学年で1番レベルで指導は厳しめで、抜けがない。

ストーブにやかん

「ダメと言ったらダメなんだ!」と高圧的に諭してくる感情的な教師ではなく、『何がどう駄目なのか』をとことん言語化する、ロジック型の指導でした。

道徳の教科書のような、モラルや倫理観に基づいた説明ではありません。
論理的に、単純明快に指導してくれる。
「A→BだとC→Dになって、そうするとD=Eだから…」というように。

当時は「理屈っぽいな~説教長いな~」と反感を抱いてしまいましたが。
その後の教育課程で「理屈なしで感情論だけで怒ってくる」先生の数々と
接触したことで、「善悪だけでなくロジックできちんと教えてくれる先生の存在」のありがたさを感じました。

K先生は、学年の先生たちの中でもとりわけ「指導役」「生徒の取りまとめ役」を任されていたように思います。

言語化能力が高くて、子どもとも、大人とのコミュニケーションでも、
コンパクトで論理的な説明をする」ことに徹していたように思います。

今でも、K先生のお叱りの言葉のテンプレを思い出しては「なるほどな」と唸ることがあります。

③ワントーン上げた人工アルト

美しい裏声を音楽室いっぱいに響かせていたため、私は「先生は声が高くて羨ましいな」と思っていました。

しかし、合唱コンテストの練習で「声の響かせ方」を教えてくれた際、
K先生の地声が完全にアルトであることに驚きました。
テンションが低そうというか、寝起きのようなロートーンだったのです。

「先生も本当はそんなに声高くないんだよ」と話し、
試しに地声で歌ってくれました。

「え????私と変わんないじゃん!!」

その時になって初めて、先生がTPOに合わせて声のトーンを
操っていることを知ったのでした。

繊細なモンブランは、もはや芸術

トーンをちょいと上げただけで、別人のように明るく見える!
小学生が本能で好意を抱くような声なのでした。

コミュニケーションが苦手な理由を「地声がベース低めである」ことにしていた私は、考えを改めざるを得ません。
「声質がコミュニケーションに向いていない」は完全な言い訳だったんだと。

逆に、希望が見えました。
「私も、工夫次第では、ハキハキした魅力的な声が出せるってこと…?」

以降、大人数のスピーチやプレゼンテーションの前には発声練習をするようになりました。

私は当時から、見た目以上に「声」へのコンプレックスが大きくて、
マイクを介した自分の声を聞くだけで
「なんでこんなヘンな声に生まれたんだろう」と恨みがましい気持ちになっていました。

※今でも自分の声は相変わらず嫌いです。
だみ声で、くぐもっていて、湿っぽくて、幼い。
舌っ足らずなことが拍車をかけて、聞き苦しい無様な声が響き渡るのを、
途方に暮れて聞いています。
そのうえ、通りが悪い。

だからこそ、「声の出し方」には他の人より気を配りたい。


2年近く改良を重ねた結果、中学1年生の頃には完全に「裏声でしゃべる」技術を習得しました。
友達に「声変わりした…?」と言われるレベルまで。

④ リラックス効果



春の訪れ


K先生と話す人を見ていると、肩の力が抜けているように感じられます。

なんだろう。先生の存在そのものにリラックス効果があるのか、
緊迫した雰囲気で先生が何か一言挟むだけで、
空気がふわ~っと和らぐのです。


柔軟剤をちょっと入れただけで洗濯物がふわっとするような、
そんな癒し効果を持っている気がします。

まるで、ティンカーベルがピクシーダスト(キラキラの粉)を振りまくかのように。やはり先生は妖精なのです

会議にK先生がいるだけで、場の心理的安全性が高まる気がします。

それが、先生のオーラによるものなのか、
機転の利いた一言をパッと言えるからなのか、どうしてなのかは分かりません。

これまた職員室での盗み聞きシリーズなのですが、
K先生がある日、ジャージ代わりにサッカーチームのユニフォームを着て出勤しました。

これに対して体育の先生が
「先生いいねー!いまちょうどサッカーアツいもんねー!」と反応します。K先生はこう返します。

「あっ、恥ずかぴ~!これ去年のデザインなんです(笑)
あ、思わず恥ずかぴーとか言っちゃった(笑)」

このやりとりに、居合わせていた教頭先生も学年主任も、副校長先生もニッコリ。放送室から毎朝流れていた、エルガーの「朝の挨拶」にぴったりの
さわやかな朝の空気から職員室を満たしていました。

夜のひんやりフルーツサンド。安眠できました

なんだこのお花畑みたいな空間は…!いつもの緊迫した職員室はどこいった?!

1人で勝手に衝撃を受けていました。

②で述べた、教育者としての厳しい一面と、妖精としての一面。
メリハリが付いていて、どちらの側面からも愛されている。

スパルタ教師としての面を緩和させるには「妖精キャラ」が必要だ。
ふわふわ優しいだけでは教育的指導は成り立たないので、厳しい面も持っている。

どっちも兼ね備えているから、先生の愛されキャラが成り立つんだなと。
それを可能にしているのは、K先生自身のコミュニケーション能力なのではないかと感じます。

再開

K先生は、私に影響を与えた人物の1人でしょう。
学校の先生から教わったことは、机の上のお勉強だけじゃないんだな~と
実感します。
むしろ、今回の例のように、授業外での教えの方が大きい。

当初はあまり良くない感情を抱いてしまいましたが、今では、
こんなすごい才能を持つ人物を担任の先生に迎え、言動を観察できたのは、貴重な体験だったんだなと思います。

ちなみに、K先生とは、中3の時、市内の小中学校合同イベントで再開しました。2人で話すタイミングがありました。

話の流れで私が、
「でも先生17歳だから全然できちゃいそうですよね~(笑)」と言うと、「いや、そろそろあの設定キツいかもしんないんだよね~まだいけると思う?(笑)」と返されました。

懐かしくて思わず笑いがこぼれたと同時に、
5年越しに初めて先生の本音を聞けたことにちょっぴり嬉しくなりました。
また会いたいな~

だぶるくろわっさん!

ともかく、私のコミュ力改善トレーニングは、K先生徹底分析に端を発していると思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました~


私は永遠の20歳です(便乗)

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