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【短編小説】三白眼フェチの私が獣眼友人に捕まってしまいました

あらすじ

人相の悪い三白眼フェチの雫はある日、2年間ラブラブ交際してきた初めての恋人(勿論三白眼)の朔也が浮気している事実を知った。
突然の出来事に真実をどう受け止めたらいいのか分からない雫。男の浮気の心理を知りたい雫は、中学からのイケメン同級生 亜樹に男心を聞いてみるも個人差があるからなんとも言えないとあしらわれる。
しょげる雫に亜樹は『帰ったらお前の男に俺と寝たって言ってみろよ』と提案され、ついその通りにしてしまう雫。
嘘の告白を間に受けた恋人の朔也の真実の気持ち。
そして実は三白眼よりたちの悪い獣眼を隠し持つ亜樹の思惑とは…

◇R18作品となっております。
 閲覧にご注意をお願い致します。

本編

『朔也の馬鹿野郎!!!』
友人達と集まる、楽しい酒の席で、今日の私は盛大に荒んでいた。

『まぁ、……よくある話っちゃよくある話よね? そんな男はまたするよ、やめちゃえ、やめちゃえ! 』
高校時代の親友の真理子に頭をよしよしされる。

『こんな話、よくあって堪りますか!二年だよ、二年も付き合ってるんだよ、信じてたのに…』

『あ~ほら、亜樹も何とか言ってやんなよ、男として、そんなつまらない男やめえとけって!』

『……おう、やめとけ!』

そう中学時代からの同級生、榊原亜樹に言われた私は、顔を上げた。

亜樹ちゃんと言われているが、目の前でビールジョッキを不機嫌そうな顔でぐい飲みしながらそう言ったのは、れっきとした大男である。

『ひゃだ!!亜樹ちゃんまで酷い、絶対やだ!!初めて出来た彼氏なんだよ?この間まであんなにラブラブだったんだよ!!!そんでもって、そんでもって三白眼なんだよ!!!』

その瞬間、同じテーブルを囲んでいた中学からの友人5人がドン引きした顔で固まる。

『あ~、あんたのそのブレない趣味……、ここまでくればむしろ潔いけど、いい加減どうなんだろうね?イケメン好きなら分かるけど、三白眼好きって、ちょっと写真見してみ?』

そう真理子に言われた私は、涙目でスマホの待ち受けを差し出した。

『ありゃー、こりゃまた、あんたの趣味ドンピシャだねぇ、私には全く理解できないけどさ…』

周りにいた友人たちも恐る恐る覗き込んで、『あ~』とか『や~』とか『これか…』

何て言っている。

『恰好いいでしょ?ね、いいでしょ?いいでしょ?』

そう訴える私に、真理子と郁美が顔を引き攣らせる。

『いや……恰好いいとか悪いとかの前に、怖そうだから、まず恋愛対象はちょっとね…』

『うん、…初めから、ないかな…』

『え!?そんな事ないよ! 普段は優しいんだよ?ちゃんと大事にしてくれるし…』

『で、浮気されたと……』

『うっ、……はい』

現実を突き付けられた私は、しょんぼりと肩を落とした。

『私は、そんな彼氏よりは、ずっと亜樹の方がいい男と思うけどな…』

真理子はちらりと亜樹ちゃんに目を向けてそういう。

その瞬間、亜樹ちゃんはちょっとだけ嫌そうな顔をして顔を背けた。

『う~』

涙目の私に呆れたように、真理子は頭をポンポンとしてくれる。
姉御肌の友人の前では、まだ中学生みたいでほんと自分が情けなくなる。

『はいはいはい、今日は、この真理子さまが甘やかしてあげるから、さ、飲め飲め、飲んで忘れちゃえ!!』

『うぅぅぅぅ、真理ちゃぁぁぁん!!!』

やれやれとばかりに、失笑する友人達は、ほれほれと私に酒を薦める。

親友に泣きついて、飲み明かそうと思っていた私の記憶はあっけなくそこで途切れた。

(ん……?温かい?)

揺れてる?ここは……

(んんっ??背中??)

気が付くと、私は、誰かの背中に乗っかっていた…

(って、亜樹ちゃんか、よかったぁ……)

『ちょ、亜樹ちゃん、ここどこだよ?真理子たちは?』

『あ~、真理は彼氏が迎えにきて帰って他の奴らは今頃二次会?』

『は!?』

(酷い!真理ちゃん、郁ちん、今日はとことん付き合うっていってくれたのに!!!)

『てか、ここどこだよ?』

『ん?………公園』

『分かってるよ…』

『あっ、電車!』

『とっくに、終わってるよ…』

そう言われて、公園の時計が目に入ると既に夜中の1時を過ぎていた。

『え…… こんな時間? あたし帰んなきゃ』

そう言った瞬間、大きな背中がピクリと動いた。

『帰るってお前、どこに帰る気なんだよ?』

そう言われた私は、ハッとして現実を思い出す。

(私の帰る場所……)

私には今年付き合い始めて二年になる彼氏がいる。
昨年から一緒に住むようになった。

湯原朔也 それが私の彼の名前で、今年卒業予定の大学生だ。

そんな彼氏の浮気が発覚したのはまだ今朝の事だった。
突然の出来事に衝撃の方が強すぎて、私は現状を整理できていない。
ある意味、絶賛現実逃避中なのだ。

本当に寝耳に水だった。
浮気相手の女性が、朔也が私と同棲していると言う事を聞きつけて、いきなり家に押しかけてきて私をみて騒ぎ出したのだ。

朔也は、すぐにその女性を追い返して呆然とする私に土下座して平謝りに謝った。だけど、その姿が物凄くショックだった。
だって、謝るってことは、あの女性の喚き散らしていた事はきっと本当の事なんだろうと思い知らされたから。

私にはとてもじゃないが信じられなかった。
だって、私たちは上手くいってると信じてたから。

朔也は優しかった。
ずっと私に優しかった。


あの時、気づけば、冷たい口調で問いかけていた。
『朔也は、どうしたいの?…私と、別れたいの?』

その言葉に三白眼の目は動揺で見開かれた。

『違う!雫とは別れたくない!俺が好きなのはお前だけだ!』

『……あの人の事は好きじゃないの?』

『……好きじゃない』

『そう……なんだ。そんな状況でもできちゃうんだね、浮気って……』

『っ………、雫、頼むから』

そう言って、縋るように腕を掴まれた瞬間、私は自らの違和感に驚愕した。

『いやっ、触らないで!!』

その瞬間、朔也は雷を打たれたみたいに顔色を変えた。私が朔也にこんな風に声をあげる事は今まで無かった。もちろん彼を拒絶することも。

私達の恋は私のベタ惚れで始まった。
でも今、理屈ではない嫌悪感に襲われた私は、そのままトイレに駆け込んだ。激しい吐き気のままに胃の中のものを吐き出す。
体も現実を受け入れきれていないようだった。

『おい、雫、大丈夫かよ?』

トイレの外で慌てふためく朔也の声。

『…………』

しばらくして、よろめきながら出てきた私は、朔也とどう向き合っていいのか分からなかった。
酷く気分が悪かった。

『私、今は、何も考えられない…』

(だって、信じてた。ほんのついさっきまで。幸せだった。本当についさっきまで…)

いつものように朔也の腕の中で朝を迎えた。
おでこにキスして戯れつく朔也をくすぐったいと制してベッドを抜け出し、トースト焼いて、コーヒーいれて、ハムエッグが一つだけ崩れて、それを覗きにきた朔也と崩れたのはどっちのなんて言い合って笑っていた私は、実はこんなにも惨めな境遇だったと言うのだろうか?

バッグだけを片手に家を出た。
行く当てなんてあるはずもない。
何をする気もおこらない。
身体から力という力が抜け落ちてようやくたどり着いた公園のベンチに座り込むのがやっとだった。

そうして何度も鳴り響く朔也からの着信をただ呆けたように見つめていた。

その中に、真理子からの着信画面を見たのはどれくらいの時間が経過した頃だったか。

二度目の着信でようやく思い出した。

(あ……、今日、皆と飲み会の約束してた日だ……)

そんな失意のどん底で、ふらふらと中学時代からの同級生の飲み会に辿り着いた。

そこで同級生達の顔を見て気が緩み、酔いつぶれて、己の身を嘆いていたのが、冒頭の部分だ。


***


『で、お前はどうしたいんだ?』


亜樹ちゃんこと、榊原亜樹は中学からの同級生だ。

昔はそうでもなかったはずの背丈はいつの間にやら身長190センチ近い長身となっている。

そんな彼に情けない顔を見られたくなくて、顔を歪めて俯いた。

それに対してちょっと焦ったように私の頭をポンポンと慰めるようにする亜樹ちゃん。

『怒ってるんじゃねえから……』

そう言う割にはやっぱりちょっと仏頂面の亜樹ちゃん。

昔はもう少し笑っている事が多かった印象があるが、大人になってからは少しだけ言動に不機嫌オーラを感じる事が増えたように思う。

『そんなの分からないよ……』

私はポツリとそう呟いた。

ーーー分からない

それが今の私の偽る事のない本心だ。
まだまだ今朝の出来事なのだ。
答えを考える事ができるほど、私はまだこの現実をリアルに受け止めきれてはいなかった。

『別れたいか?』

そう言われて、私はピクリと眉を寄せる。

『多分、……別れたくないんだと思う』

自らの気持ちに顔を引き攣らせてそう答える。

ただ一つ分かるとしたら、今の日常から朔也が消えてしまうとしたら、それはとても恐ろしい。

『相手は何て言ってる?』

『………別れるのは嫌だって』

その瞬間、亜樹ちゃんは顔を歪めた。

『許せるのか…?』

そう言われた私は固まった。

(許す……。許すってどういうこと?)

その時に気付いてしまった。
別れるのが嫌だという事は、このまま二人の関係を続けていく事。
じゃあ、それが許すという事に直結するのか?

『…………』

『しず?』

『…………許せるのかな、わたし』

そう考えた時、重い暗鬱が鉛のように胸に詰まるのを感じた。
そうして、ようやく自らが負ってしまった足枷の重さとその意味を痛感した。

『そりゃ、簡単じゃねえだろうな』

亜樹ちゃんは公園のベンチに腰を下ろし、タバコに火を付けながら、その隣をトントンと示した。

一口か二口だけ口を付けたタバコは直ぐに消されて、私とは反対の方に吐き出された。

『なんで、浮気なんてしちゃったのかな… 朔也、しずの事なんて、そんなに好きじゃ無かったのかな』

『……それとも、飽きられちゃってたのかな』

そんなの亜樹ちゃんに言っても分かるはずないのに、自問自答するようにつぶやいた。

『……さあな、男にもいろいろいるからな、付き合ってる女が原因てばかりじゃねえだろう。中には病気みたいな奴もいるしな』

男と女は違うって事だろうか。

『男の人はさ、浮気しても、されても案外平気だったりするのかな?』

(朔也は、もしも私が浮気しても平気なのかな…)

そう思うと、上手くいっていたと信じていた本来の二人の思いがそもそも釣り合っていなかったようにも思う。

『そんなもんさ、やられた人間じゃなきゃ分かんないだろが?ホントの意味で?』

その言葉に私は眉を寄せて俯いた。

『……してみるか?俺と浮気?』

『……え?』

鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした私に、亜樹ちゃんはククッと笑って、私のおでこを指先で弾いた。

『馬鹿、……なんて顔してんだよ? 協力してやるって言ってんの、お前は浮気された。お前の心は傷ついた。飯も食えねえ、きっと夜も眠れねえってさっき散々愚痴ってたんだろ?』

『う……、うん』

情けなさに涙を浮かべた。

『で、相手はどうなんだろうな?お前だけが傷ついてんのってフェアじゃねえだろ?』

そう言って、立ち上がる亜樹ちゃんは、着ていたパーカーを脱いで私に渡してくれた。

そして再びベンチに座りなおした。

『タクシー拾って、今すぐ送っていってもいいけどよ、どうせ帰ってもお前寝れないんだろ?』

そう言った亜樹ちゃんは、私の手を引いて、私を膝に寝かせた。

『ちょっと亜樹ちゃん?』

『もう少し寝ろよ……、ちゃんと見ててやるから、じゃなきゃ体力持たないぞ』

そう言って顔を覗き込まれる。
どこまでも子供扱いだ。

『う、うん……でも』

『いいから……』

『それでさ……』

『うん……』

『お前が、その男の本心知りたいって言うんなら明日言ってみろよ』

『言うって何を……』

『ーーー今晩、俺と寝・た・って』

『…………ふぇ!???』

何言ってるんでしょうか?

亜樹さん……

『大丈夫だ、本当の浮気じゃない。お前の男がお前の為に、苦しんでる姿見て、お前が納得して、このまま関係を続けていきたいって言ってきた時には、俺が何もなかったってちゃんと証明してやるよ』

『で、でも!』

『いいから、今は、寝ろって』

『あとさ、お前スマホ…』

そう言って一つの事を確認した亜樹ちゃんは話は終わりとばかりに私の瞼には大きな手が添えられた。

その日の明け方、亜樹は眠ったままの私をタクシーに乗せて私と朔也が住む家に送り届けてくれた。


ピンポーン

『雫かっ!?』

『……あんたが、こいつの彼氏?』

『誰だ?……お前?』

険しく眉を寄せる三白眼。

眠れずに待っていた朔也が亜樹ちゃんと一触即発の緊張感の中対面していた頃私は亜樹ちゃんの腕で爆睡していた。

飄々と、だけど挑戦的に亜樹ちゃんは朔也の眼を見据えた。

『まぁ、友達かな?今は……、だけど俺にとってはこいつ、大事な奴だから。あんたさ、随分調子に乗ってるようだけど、そこのところはよろしくな』

『っ……お前、まさか雫と』

『さあな、そこんとこは自分で聞けば、お前の彼女なんだろ?今・は・…』

そう言ってけん制して亜樹ちゃんが帰っていった事を眠っていた私は知る由もなかった。


******


あの後、私は、朔也に亜樹ちゃんとの関係を問い詰められた。
答えに窮した私は、結局亜樹ちゃんに言われた通りに朔也に嘘を吐いた。

『そうだよ、したよ?私、亜樹ちゃんと、…エッチ。わっ、悪いの?朔也だって、ずっと私に隠れてそういう事してたんでしょう?』

その瞬間、その場の空気が一変した。

『わっ、私はね、朔也の事、大好きだった!信じてたなんて大層な言い方じゃなくて…、そうじゃなくて…疑う事さえ知らなかった。そんな朔也に裏切られたんだよ?朔也のが、そういう意味では全然マシじゃん?しずの事、平気で裏切る事ができるくらいにしか好きじゃなかったんだから!!』

そう言って目を閉じた。
その言葉に同じくらいの罵りの言葉が返ってくると思っていたからだ。
でも、そうではなかった。

朔也はその瞬間一気に顔色を無くし、暗く黙りこくったままだった。

『……さくや?』

心配になって掠れた声で呼びかけると、ようやく朔也はピクリと反応した。

『っ………、こいっ…』

突然腕を掴まれた私は恐怖に慄いた。

『ちょっと、や…、まっ、待って何するの?』

抵抗しても、叫んでも朔也は私の腕を離さなかった。

私はその日、ほとんど言葉を発しない朔也に浴室で服を着たままシャワーを浴びせられた。

その後、濡れたままの体で寝室で押し倒された私は、まるで犯されるように何度も何度も抱かれた。

「やっ、朔、やめて……ああっ…」

「くそっ……」

「朔也、お願い、やめ…」

心がとてもじゃなくついて行かなかった。

無理やり開かれる体が痛くて悲しくて、穿たれる体の奥深い場所ですら、無理矢理高められる快楽に比例するように暗く激しい失望感に溢れていた。

その日から、私たちの関係は完全におかしくなっていった。
私を散々抱いた後、朔也は言った。

『俺、絶対お前と別れる気はないから……』

(それは、浮気をされた側の台詞だと思うのだけど……、あっ、でもそうか、私も浮気をした事になってるんだ)

けど、それを先に浮気した朔也が言うのはおかしくないだろうか?

その日から朔也の心は大いに乱れる事になったのだ。
亜樹ちゃんはあの夜私に確認していた。

『お前さ、スマホとかロックかける派?』

『私? かけない派だけど、なんで?』

『じゃあ、そのままにしとけ、本当の事は直接か電話でしか言わないから、いいな?』

『う、うん?』

私は、この後、亜樹ちゃんが完璧主義である事を知る事になる。

亜樹ちゃんは、その後もLINEのメッセージで間男を演じ続けたのだ。その日から、LINEには狂おしいまでの情熱的なメッセージが入るようになった。


亜樹ちゃんの指示通り、私は敢えてそれにロック機能を設けることなく過ごした。朔也がそれをこっそり見ている事には気づいていた。


≪この間は誘ってくれてありがとう、なんか成り行きみたいになっちゃったな、だけど、俺としては、出来ればきちんとした手順を踏んで体だけじゃない関係になりたいと思ってる。また連絡するな……≫


≪今日何してた?俺はレポートの提出日だったけど、あれからしずの事考えてたらもう少し出すの忘れそうになって焦ったわ、あれからどう?あいつとは今後の話はしたのか?≫

≪何してる?前に皆でいった表参道のパスタ屋、ランチ始めてるって知ってた?今度、昼に二人で行かないか?≫

≪しず、俺、やっぱり早めにきちんと話がしたい。このままじゃダメだろ?まだ、あいつといるのか?お前はこのままでいいの?俺、お前が思ってるより必死だよ、もうお前があの男と一緒にいるの想像するの無理、壊れそう≫

≪しず、何度もごめん、でも、俺本気だから。絶対いい彼氏になる。俺ならお前を裏切ったりしない≫

(役者だわ………、亜樹ちゃん……)

こんなの疑似恋愛だって分かってるのに、私の心の隙間にはどんどん溢れるように亜樹ちゃんの優しさが流れ込んできた。

そしてため息を吐く。
日を追うごとに朔也の顔色が酷く悪くなっていた。

(あの二人、変に顔を合わせてるからなぁ……)

三白眼の強面の朔也の容姿は私の理想そのものなのだけど、私の好みはどうやら世間一般の受けはよくないらしい。

それに引き換え亜樹ちゃんのルックスは世の女性の9割に受けると郁美が言っていた。

……ということは、朔也からしたら、自分より、明らかにモテそうで、ガタイも良くて、エリートを大量生産する高偏差値の大学に通う亜樹ちゃんが宣戦布告をしてきたという事になる。

本当は真っ赤な嘘だけど……

朔也は今は辛そうだけど、でも、浮気したのは実際、朔也だけなんだよね……

私は、それをどう捉えるといいのだろうか。
結局別れ話は曖昧な形で保留となっていた。

朔也は別れたくない

私は分からない

結論を出すのが怖いのだ。
ちゃんと気持ちの整理ができるまではと一旦荷物を纏めて家を留守にしようとする私を朔也は強引に引き留めた。

あの日から、ギクシャクしたままだけど、朔也は今まで私がする事が多かった家事に積極的になった。

まだそんな気になれなくて断ってはいるけど、外食やデートにも頻繁に誘ってくれる。

ケーキを買ってきてくれたり、明らかに私に気を遣っているのが伝わってくる。

だからこそ、思い知る。
気を遣わない関係が楽だった。
何も考えずに朔也を好きでいられた頃が幸せだった。

ーーー今はただただ毎日が重い

浮気した方はバレたら終わりなのだろうか?
浮気された方は事実を知ってからその苦悩を味わい続ける事になる。

一条の光も見出せない暗雲のただ中を二人でいるのに一人でいる以上の孤独を抱えて彷徨う事になる。

私に気を遣う日々を過ごしながらも朔也は、体を繋げる事だけは、どれだけ私が拒んでも無理強いするようになっていた。
以前とはどこか違う劣情を感じる激しさに、まるで憎まれているのではないかと怖くなる。

それでも終わった後の朔也は優しい。
労うように指を絡めて、キスを求める。
でも私はその優しさを前のように喜ぶことはできない。


*****

朔也視点


隣で眠る雫を見つめる。

今日も激しく抱いてしまった。

こんなの悪循環だって分かっているのに、それでもどうしても抑えられない。

俺しか知らなかったはずの雫が、あの男の体を受け入れたなんて…


どんな顔をして?

どんな事を許したんだ?

今も誰を思っている?


ーーー許せない

ーーー苦しい

ーーー抜け出せない


心が鉛のように重くなる。

ーーーあぁ、馬鹿だ、本当に大馬鹿だ

きっともう雫の心が以前のように俺にないのを、誰よりも俺自身が自覚しながら、その心が、これ以上俺から離れていかないように必死で繋ぎとめる為に、こんな事に縋るしかない自分が最低だと思う。

(なんで、あんなことしてしまったんだ……)

こうなってしまって初めて分かる。
雫はちゃんと俺を愛してくれていた。
俺も雫しか愛してなんていなかった。

それなのに…


雫を初めて抱こうとした時、処女だと告げられて驚いた。
擦れた女しか相手してこなかった俺は、初めから真っすぐ伝えられる無邪気な好意に戸惑った。そしてすぐに溺れるくらい雫が可愛くて仕方が無くなった。

ちゃんとした付き合いなんて初めてで、ママゴトかよってくらいに照れ臭くて、それでも確かに幸せで俺はきっと人生最大に浮かれていた。
過去の女の連絡先なんて、敢えて消す事すら忘れるくらい雫の事しか見えてなかった。

あの日、聞くつもりもなかった雫の旧友達との会話を聞かずに済んだなら俺はこんな馬鹿な真似をしなかったのか?

そうとも言い切れないのかもしれない。
もともと俺はそう言った意味では褒められた人間ではない。
所謂クズの部類だ。

過去に合意のもとセフレのような関係を続けてきた女も何人かいたし、時にはその気もないのに本気を装って体の関係を持った女だっている。

俺はため息をついて、あの日を思い出す。

自宅でのリモート交流が流行りだした頃、雫は朝からご機嫌だった。
その日の夕方から友人達とリモート飲み会をするのだと。
そんな雫を微笑ましく、見ていた。

『じゃあ、バイト行ってくる、楽しめよ?リモートだけどな…』

『うん、ありがとう、行ってらっしゃい!』

その後、夕方から始まったであろうリモート飲み会。

バイトから帰宅したのは11時過ぎ、玄関を開けて直ぐに気付いた。

(まだ、長引いてるのか?久しぶりだからな…)

楽しそうな笑い声が響いていた。
俺は邪魔にならないように敢えて声をかけず寝室に向かった。
雫は酔って話に夢中になり、俺の存在に気付いてはいなかった。

廊下とダイニングを挟むドアは薄い。
会話は聞くつもりなんてなくても丸聞こえだった。

『ほんと、雫ったら昔っから、三白眼が好きだったもんね!』

『うん♡大好き』

その瞬間俺は固まった。

(今、何て言った?)

『昔から好きになる人、漏れるところなく三白眼だもんね、ほんとあんた筋金入りのフェチだよそれ?』

(ちょっと待て……)

『え~、そうかな?だって恰好いいじゃん!』

『いやいや、実際本気で怖い系の人多かったじゃん、今まで、よく犯罪に巻き込まれなかったよ』

固まる俺の耳に今度は男の声が入った。

『お前、彼氏じゃなくて三白眼が好きなだけなのか、呆れるな』

『そんな事ないよ!失礼な!』

その言葉に、周りは笑い、一方の俺は瞬時に凍り付いた。

―――何で、俺なんかが雫に好意を寄せてもらえるのか

これまでだって考えない訳じゃなかった。
どちらかというと強面で敬遠されがちな容姿、誰でも入れる大学、誰かに誇れるような特技もない。

雫の男友達の言葉が何度も何度も脳内に木霊した。

≪お前、彼氏じゃなくて三白眼が好きなだけなのか、呆れるな≫

≪お前、彼氏じゃなくて三白眼が好きなだけなのか、呆れるな≫


――俺が好きなんじゃなくて、三白眼が好きなだけ?


もう少し、自分に誇れる何かがあったなら、自信を持つことが出来ていたならば、そんな疑念を打ち消す事ができたのだろうか。


それからは鬱々とした日が続いた。
雫に直接真偽を聞いてみようかとも思った。
でも、もし『そうだ』と言われたら、俺は立ち直れない。

だってもしもパグの顔が凄く好きな人がいて、目の前に尻尾振ったパグがいたとして……

それを持って帰ったら、無条件にその犬を愛する。
理由は一つ。

その犬がパグだから……
ただ、それだけ?

犬なら、それも有りなのかもしれない。

でも、男としてそれはどうなのか……

向けられた愛情の種類に一気に自信が持てなくなった。

丁度そんな頃、昔体の関係があった女から呼び出された。
男と別れてムシャクシャするから付き合って欲しいという体の誘いだった。

最初はその気なんてなかった。
だけどバイト先にまで押しかけてきたから、仕方なく、手近なカフェで待たせた。

俺には雫がいる。
別に見境なく女の体に飢えている訳じゃなかった。

だが、その頃の俺には徹底的に欠けていたものがあった。

それは男としての自信と道徳観だった。

女と安易に体の関係を結ぶなんて、昔は普通にしてきた事だ。
しかも、過去に関係のあった女。
だがその関係を過去のモノとしてスルーしなかった事の恐ろしさを、俺はリアルに想像できていなかったのだ。

『ねぇ、朔也、ホテル行こう?久しぶりにして?』

そう耳元で甘ったるく囁かれる。

『……なんで今更、俺なんだよ?他にも誘いにのる奴くらい一杯いるだろう?』

俺はそう冷たく答えた。

『だって、朔也とが一番燃えるんだもん、一番に思い出したのが朔也、ね?いいでしょ』

ーーー俺とが一番燃える?

その言葉に何かを突き動かされた俺は無意識に立ち上がっていた。
そして、その晩俺は道を踏み外した。

女が言うように、俺と女との性的な意味での相性は凄くよくて、女が善がる姿が俺の男としての自信を回復させるようだった。

そして、俺は悪いことにそれに味をしめてしまった。

それ以来、女にバイトの帰りに待ち伏せされては体の関係を迫られ、ホテルに行き、何食わぬ顔で家に帰る生活を繰り返した。

一度二度と回数を重ねれば、後はもう同じだった。

女を善がらせた後は自尊心が満たされているから、心に余裕ができて、雫にも優しく接することができた。

罪悪感については、もう考えない事にしていた。

(大丈夫だ……すべては上手くいっている……)

目の前には笑顔の雫がいる。

バレなければそれでいい、俺にとって大事なのは雫との生活だから。

一方で、男に馴れた女には、多少強引で手荒なプレイでも要求できる。
雫が絶対想像したこともないような奉仕も沢山してくれるし、淫らな言葉での肯定や懇願は俺に潜む劣等感に似た何かを払拭する。

こんな行為は雫とは無理だ。
大事な雫には無理なんてさせられないから。
絶対に嫌われたくないから……

俺はそうやって裏表を使い分ける最低な人間に成り下がっていった。

そんな都合の良い扱いをされながらも女はむしろご満悦に見えた。

以前体の関係を持っていた時より、プレイが情熱的になったとか、最近は顔に人間味が出てきたとか。それが、女の独占欲を高めている状態だと俺は気付いてすらいなかった。


そしてある日、女が雫と住むマンションに乗り込んできた。俺は女に一つだけ嘘を吐いていた。

付き合っている女はいないと…

だけどそれは雫に興味を持たれるのが嫌だっただけだった。

別に女の気を引くために吐いた嘘でもなかった。

女が自分に執着し始めている事すら俺は感じ取れていなかったから。

この日俺は取り戻す事ができないものを失った。

それは雫の信頼だった。

俺はもう、俺を愛してくれていたあの頃の雫をこの腕に抱くことは叶わないのか。

こういう結果になって、皮肉な事に俺は初めて自分がどれだけ無償の愛で雫に愛されていたのかを思い知った。


****

その数日後、私は亜樹ちゃんをカフェの一角にあるガーデンテーブルに呼び出した。

亜樹ちゃんに送ってもらったあの日嘘を吐いて以来、朔也の危うい何かがエスカレートしているように思って怖くなったのだ。

『ねぇ、亜樹ちゃん、流石にもう本当の事言ってもいいんじゃないかと思って』

そう言った私に、亜樹ちゃんは嫌そうに眉を寄せた。

『で、どうなんだよ?あいつの反応はよ』

そう言われた私はしどろもどろに頷いた。

『うん、嫉妬は、きっと、してるんだと思う、普段は今まで以上に気を遣ってるって感じで、でも…夜になると……』

そう気まずそうに言葉を濁して私は恥ずかしさに俯いた。それを見下ろしながら亜樹ちゃんが凄く怖い顔をしている事を知らない。

『へぇ、自分のしたこと棚に上げて、今度は嫉妬に狂って関係を強要かよ?』

『……』

『なぁ、雫、俺も男だから、人並みに性欲だってあるし、いい女がいたら目がいく気持ちも分からなくはない。その辺りの男の性みたいのは悪いけど理解はできる。だけど、それでも、お前の男には腹が立つんだよ』

『亜樹ちゃん……』

『お前、痩せてんじゃん。隈も凄い』

『うっ………』

『あいつ、別れたくないって言ってるんだよな?これだけお前を泣かせて苦しめて、別れる覚悟があって、やってる事だったら一発ぶん殴って許してやってもいい』

(いいんだ……)

『もし、お前がもういらない女だって言うなら、端から、新しい女でもこさえてさっさと別れを切り出せばいいとも思う』

『………』

『そしたら、お前だって、その程度の男好きになっちまったんだって、新しい道歩いていけるだろうが……』

その言葉に私は顔を歪めた。

私の不安と疑問を亜樹ちゃんは見抜いていた。

(私は一体、朔也にとってなんなのか……)

本命だから必要とされている……?

でも、悲しませても何とも思わないほど、朔也にとって私はどうでもいい存在なのか…

『だけど、実際あいつはそうじゃねんだろ?お前にそんな顔させといて、飯も食えねえ、夜も眠れねえ洒落にもならない状態にしといて、何にも考えてねえ空っぽの頭一つ下げて縋りついて、≪好きなのはお前だけだ、このまま僕とお付き合いを続けてください≫だと?ふざけんな、てめえ餓鬼かよって話だろ?』

『だっ、だけど……』

『だけど、じゃねえよ、結局、そいつの浮気には何の覚悟も無かったってことだろ?』

『亜樹ちゃん…』

『お前の心を守る覚悟も、その女を幸せにする覚悟も、お前を無くす覚悟も何もできてなかった男に中途半端なてめえの思いだけを人に押し付ける資格なんてねえって言ってんの!』

そんな言葉を聞きながら、私を求める朔也の激しい夜の行為を思い出す。

私を求めてくれる行為なのに、同じ行為なのに……
あんなにも虚しさだけが残るようになってしまった。

以前は心でしっかり繋がっていると信じていた。
二人の間にはしっかりとした絆があるのだと。

亜樹ちゃんの言う通りなのだ。

朔也は何故、私ではない人との体の関係を欲したのか……
それはやはり、私が思っていたほどには私たちを繋いでいたものは確かなものではなかったのだろうか。

でも、それなら……
それなら何で、今更あんなにも痛そうな顔を私に見せるのか……
縋るようにこの体を抱きしめるのか。

今にも泣きそうな顔で私を責め立てる朔也の顔を思いながら私は顔を歪めた。

(ずるい、ずるいよ、朔也……、必要ないなら、ちゃんとそう言って……)

亜樹ちゃんが言うように、覚悟を持ってほしかった。
そんな覚悟がないのならこの手をずっと握りしめて離さず歩いて欲しかった。

裏切りになんて気付きたくなかった。
真っすぐに同じ方向を見て笑っていたかった。

ーーー朔也を好きでいようとするんじゃなくて、きちんと好きでいたかった

大事に思ってきた二人の想い出さえも、今となっては、私が大切にしていたような美しいものだったのかさえ分からなくて、ポロリと涙が零れた。


『なぁ、しずっ、泣くなよ……悪いって……』

『ううん、違うのごめっ、ごめんね、亜樹ちゃんには一杯迷惑かけて……』

『……迷惑なんて思ってないって』

『うん、ありがとう亜樹ちゃん……』

『なぁ、しずっ、俺、今日さ、バイクで来てるんだ』

『バイク?』

『あぁ、気晴らしに海にでも行かないか?』

『海?』

私は顔を上げた。

『夏に行っただろ皆で?あそこの近くの海岸』

あれ以来閉塞感で頭がおかしくなりそうだった。
心と体がストレスから抜け出す何かを渇望していた。

『なっ、今から行けば夕陽に間に合う。途中でお前の好きな花火買って、それで盛大に慰めてやるから』

『………海で、花火?』

『なっ、もう少し、意地悪してやれよ…、やられっぱなしじゃ割に合わねえだろ?』

そう言って親指でバイクがある方角を指す亜樹ちゃんに私は頷いた。

『行く………』


それから私たちはバイクで海を目指した。

亜樹ちゃんは約束どおり、花火を沢山買ってくれた。

たどり着いた海の上には私たちの到着を待ってくれているかのように真っ赤な夕焼けが広がっていた。

『きれい……』

『だな……』

久しぶりにはしゃいだ。

時々泣きながらも、学生時代に戻ったようだった。

亜樹ちゃんとこうやって何度一緒に花火をしただろう。

二人きりは初めてだけど。

キャーキャー燥ぎながら、花火遊びに興じた私たちは、お約束の線香花火に火をつけた。

線香花火は楽しい時間の終盤。
それを惜しむようにゆっくりゆっくり玉を見つめる。

あと何本……

この玉が落ちたら、私たちは岐路につくのだろう。

バッグの携帯がバイブでの着信音を響かせる。

メッセージの着信の印の緑のランプが点灯している。


『また、鳴ってるな……』

『…………』

朔也が心配して何度も連絡をしてきていた。

だけど、今は、それに出る気にはならなかった。

私は、きっと朔也を許せてはいない。
これからも、許せる日がくるかなんて分からない。

――ただひとつ、優しい思い出が今も沢山残っている

だけど、それが本当に輝いていたのかも今となってはもう分からない。


帰りたくない………

でも、あの頃になら帰りたい。


『亜樹ちゃん……、私、私ね、やっぱりどうしたらいいのか分からない』

『そうか……』

『朔也と、別れるって、やっぱりどうしても踏ん切りつかなくて……』

『あぁ……』

『でも、許せないと思う、前と同じようには考えられない……』

『そうか、……でも、それは、あいつの自業自得だろ?』

『そ、そうだけど……』

『だったら、お前が、そんな風に思い詰めて、できっこない努力をする必要はない、そんなの貧乏くじだろ?』

『ははっ、亜樹ちゃんは男なのに、本当朔也に厳しいね。……いっつも、私の味方ばっかりしてくれる』

こんなにも重苦しいのに、朔也と別れるなんてまだ考えられなかった。
積み重ねてきた思い出まで無に帰していくようで、そんな喪失感に耐えられる気などしなかった。

でも、あれ以来、体と心がどうしようもなく朔也を受け入れるのが辛いのだ。

『でも、さ……こんなんじゃ、全部、全部、ダメになっちゃうよ、私』

『そうか……』

『今までの、思い出も、気持ちも、朔也が大事だった気持ちも、その時一生懸命だったしずも、全部全部、ダメになっちゃうよ……』

『あぁ……』

『全部、本当に全部、壊れちゃう、今度は朔也じゃなくて、しずが、…ダメにしちゃ…』

そう涙ながらに亜樹ちゃんの顔を見ようとした瞬間、唇が温かいもので満たされた。

(亜樹ちゃん……?)

キスされている、そう気付いた私は、戸惑いの中で目の前の胸を押し返した。

その瞬間、二つの線香花火の球がまだ熱を持ったまま砂浜に落ちた。

(なんで……?)

そこには、私が知るより獰猛な顔つきで私を見つめる亜樹ちゃんの姿があった。

『しず、もういいだろう?』

その瞳に私は一瞬、背中にゾクリと冷たいものを感じた。
それは生まれて初めての感覚だった。

バクンバクンと胸が慌ただしく音を上げた。

(これは、この瞳って、どこかで、え、獣眼……?)

澄んだ薄茶色の虹彩の中に見えるどこか冷徹な影……
人相学の本で、最も危険とされている相。
でも、私はその存在を初めて知った時、何故か見惚れて美しいと思ってしまった事を覚えている。

『亜樹、ちゃん……?』

今まで、人懐こい大型犬のようだと例えられていた人好きのする瞳が、今、まるで獲物のように獰猛に自分を捉えていた。

『壊せよ……』

低い声でそう言われた時、その瞳の前で固まっていた思考は現実に引き戻された。

次の瞬間、手首を握りしめられて、それを顔の前まで持ち上げられた。

『もう昔とは違うんだろ、変わっちまったもんなら、後生大事に握りしめてないでさっさと、放しちまえよ!』

『………』

今度はその言葉に重さに固まった。

『人間の手なんて、結局二本しかねえんだよ?何かを手放す事でしか、手に入れられないもんだってあるはずだろ?』

『亜樹ちゃん……』

その言葉に私は、眉間の皺を深くした。

『そもそも、あいつが全部壊したんだろうが? その結果のあいつの我がままをお前のキャパが受け入れられなくなったんだ』

『………』

『誰もお前を責めやしない。惚れても、惚れられても、どっちが立場が上でも下でも、一番可哀そうなのは誰だなんて言ってたって、時が経ってしまえば誰でも彼でもフェアなんだよ、結局、皆、思い出になっちまう……』

『亜樹ちゃん……?』

『思い出にする恋に上も下もない。大事なのは今と未来だろ、……だから』

劣情を含んだ茶色の目で囚われるように見据えられた。

『しず、今度は、……俺の番だ』

『………』

『俺がぶっ壊して、全部作り直してやる、お前の愛情も、お前の信頼も、お前の記憶も…』

絶対王者のようなその時の亜樹ちゃんに抗う事ができる人などいるのだろうか。

******

【亜樹視点】 

『あっ…あっ、あああぁつ… だ…め、も、だ…だめぇぇ…、っ… や…』

泣くような、喘ぐような雫の声。
逸る気持ちを抑え、俺は丁寧に丁寧に雫を抱いた。

これっきりなんて真っ平御免だから……

気持ちいいと思ってほしい、また直ぐに誰でもなくこの俺としたくなるように……

ようやく触れる事のできた華奢な体……

ようやく掴めそうなその心……

俺の男の部分に必死に絡みつく初めて知る彼女の熱いうねり……

(こんな顔をするのか、これが本当に欲しい女を抱くということか……)

ーーー愛おしい、苦しいくらいに

その唇に貪りつく、舌を絡める。
口内の性感帯をあますところなく舌を使って舐め上げる。

『ん… んんっ… はっ、ん……』

指先で乳首の先端を摘み上げると眉を寄せ、口内に含み舌で弄ぶと、困ったような喘ぎを漏らす。

『っ… や… はーん、そこっ、ばっかり、ダメ……』

目尻に溜まる涙を親指で拭うと、戸惑いながらも、恍惚とした女の顔をした雫と視線が絡む。

『亜樹、ちゃん、私…』

その先の言葉を塞ぐように、座ったまま雫を抱き抱え唇を重ねて、雫の後頭部を撫でる、そして下から突き上げる。

『あっ、あっ、あ、き、ちゃん』

誰よりも、俺で感じて欲しかった。

誰よりも、俺を感じて欲しかった。

そうして、体制を変え、快感に戸惑う雫に跨り華奢な身体を見下ろす。

『綺麗だ、しず…』

そう言って、動きを再開した俺は、快感のあまり、逃げをうとうとする腰を掴み、一層引き寄せる。

『ああんっ、あ、き、ちゃん!?』

過去、この体を何度も何度も思うがままに開いてきたであろうあの男に殺意を抱くほど嫉妬していた。

ーーーいや、今も堪らず嫉妬している

だからこそ、今こうして雫の痴態を見下ろし、その細い体を何度も自分の分身で穿ちながらあの男を嘲笑う…

(お前のじゃない、俺のものだ…)

―――もう、この瞳にあいつを映させはしない


純愛だからこその“独占欲”という狂気の中で、何度も何度も彼女のか細い体の奥の一番深いところを貫いた。

その度に堪りかねるように上がる嬌声と快感に打ち震える女の身体に俺は動きを強める。肉と肉がぶつかる音と淫らな水音がこれが現実なのだと俺を一層興奮させる。

そんなに戸惑ったような、可愛い顔をしても駄目だ雫。他の男を見るお前なんか、もう絶対見たくない。

――だから、避妊なんて、勿論してやらない

苦しそうに、でも確かに感じている艶めかしい声に一層血が滾るの覚える。零れる彼女の唾液を拭うように深く口づけ、止める事なく腰を打ち付ける。

『くっ、はぁ、しずっ、雫…』

童貞でも無いのに、どこか無感情に女を知ったあの頃の自分とは比べ物にならない興奮を覚える。

ずっと渇望してきた温もりがここにあった。

―――全部、そう、全部、俺に書き換えてやる。

   もう、絶対に逃がさない

元来、割とさっぱりした性質だと自他共に認識していた俺は、彼女、雫に関してだけはそうじゃなかった。

どうやら俺の責めに意識を飛ばしたらしい、雫に繋がったまま、彼女の顔に自らの顔を寄せる。

上気して汗ばんだ頬に唇をつけ、欲望から再び柔らかな唇を貪る…

耐りかねて再び舌を絡ませた瞬間、繋がったままの下半身がまた新たな熱をもつ。

ずっと拗らせてきた俺の雫への気持ちにはもう歯止めがきかないだろう。


無邪気

無鉄砲

お節介

お人よし

ロマンチストで涙もろい

そして、男を見る目がない。
雫を見てきた俺には彼女の男のツボが分かりすぎるくらいに分かっていた。

それは眼だ…… 

彼女は≪三白眼≫フェチだった。

特に獰猛な爬虫類を思わせるような、周囲がドン引くほどの険しい三白眼に雫はめっぽう弱かった。
そして、口惜しい事に俺にはその要素は皆無だ。

長年、自分を生きてきたからある程度悟っているつもりだ。
謙遜をしないで敢えて、口にするなら俺は割と女には不自由はしないタイプなのだろう。

過去、好意を寄せられた女達からは≪大型犬≫タイプとか言われ、この手のタイプは好感度が高いと言われた事が何度かある。

実際、高校に入ったあたりから、月に一度くらいのペースでは女子に告白されては断ってを繰り返してきた。
俺は当時から雫の事しか頭になかったから。


雫に最初にあった頃の俺は腐っていた。

あれは確か中学2年生の頃だった。

父親の浮気が原因で両親が離婚してからというもの、母に引き取られた俺は、事ある毎に自らの容姿が原因で酒を飲んだ母親に詰られていた。

俺の容姿が母を裏切った父親に瓜二つだったからだ。

酔っては俺に、ビールの缶を投げつけて、詰り、それでも夜中に正気を取り戻しては俺を抱いて泣いて謝る母親。

母と俺を裏切った父親に嫌悪した…

ずっと優しくて、強いと思い込んでいた母親の弱さが悲しかった…

何より、そんな母親を泣かせる自分の容姿が酷く疎ましかった。

そんな事を何度か繰り返すうちに、俺は前髪を伸ばし、マスクで顔を覆う生活を常とするようになった。

だが、そんな俺は当然学校では揶揄われやすい存在となった。

ある夏の日、体育の時だけはと、マスクを外していた俺が、着替えに戻ったら必需品のマスクがなくなっていた。

ものを隠されたり、嫌がらせを受けたりする事は、それまでも時々ある事だった。

体操服が無くなることも、シューズが無くなることも…

だけど当時の俺にとってマスクは、特別な存在だった。

それをする事で己と大事な人、さらには日常を守る事になると錯覚していた。それほどまでに、俺は自分の顔が罪深いのだと信じていたのだ。

今にして思えば笑えるが、マスク無しで人前に顔をさらす事は己の罪深さや醜さを周囲に晒す事だと信じ切っていた。

それくらいに、当時の俺は洗脳に近い自己否定の観念を植え付けられて育った歪んだ少年だったのだ。

―――今でも思う

きっと、あのきっかけがなければ、俺はあの閉鎖された狭い価値観から抜け出す事はできなかった。

マスクを隠された、あの時、俺の体は熱を失い、心拍数は上がり、背中には冷たい汗が伝って酷く息苦しかったのを覚えている。
周りが酷く白く霞んで行き、自分のいる教室がやけに遠く感じた。

ドクン・ドクン・ドクンと妙に大きく響く耳鳴りが脳に響き俺は立っている事すら困難に感じていた。
覚えているとしたら、同級生達の蔑みの目。

『キモイ…』

『あいつ、どんな顔なの…?』

『顔、上げないね、不気味……、見せられない顔なんだろうね、やっぱり』

『おい、顔、上げてみろよ、空気の読めないやつだな!』

どの声が本物で、どの声が妄想なのかも今となっては分からない。

ただ、一瞬見慣れた白いものが俺の前にチラつき、顔を上げた瞬間、そこに無邪気な笑顔があったことを俺は今でも忘れられない。

『榊原くん、これあったら、怖くない? 使ってないやつだからあげるよ?』

そう言って差し出された一枚のマスクにに、俺は縋るように手を差し出した。

その瞬間、彼女は目尻を下げて嬉しそうに笑った。

『良かった、ちょっとだけ元気になったね』

周りは、『なんだつまらない…』とでも言うように瞬時に俺から興味を無くした。

それにより俺は救われた。

授業が終わって、彼女にお礼も言っていない事に気付いた俺は勇気を振り絞って彼女に話しかけた。周りはもう俺の事など気にも留めてなかった。

『あっ、あの、さっきはありがとう!!』

そう言われた彼女はちょっとだけ目を見開いて、思い当たったように頷いた。

『うん、全然いいよ、私風邪ひかないから使う機会も無かったし…』

そう言って、まるで小動物のように口元に穏やかな笑みを作って目を細めた。口元ではなくほっぺたに浮かぶえくぼが印象的だった。

『うん……』

会話が続かない俺に、彼女はまるで数年来の友達に微笑みかけるように自然に言った。

『でも、亜樹くん、なんでいつもマスクなのかな? 皆とさっき話してたんだよ?すごくいい顔してるのにねって…』

そう言われた俺は、固まった。

『………え?』

(いい顔?俺が……)

初めて、コンプレックスだった顔を褒められた瞬間だった。

『俺の…… 顔』

『ん……?』

『いや、その………変じゃない?』

そう乾いた声で真剣に問いかける俺に、雫はキョトンとした顔をした。
いつの間にか、教室は二人だけになっていた。

『亜樹君、ちょっとだけごめんね。絶対に嫌な事しないから……』

そう言って、俺の度の入っていない眼鏡とマスクをとった雫は、俺の長い前髪を持ち上げた。

『うん!亜樹くん、変じゃないよ、むしろきっとカッコいい方だと思うよ?』

彼女はそう言ってウンウン(皆が好きそうな顔だ)と頷きながら屈託なく笑った。

その瞬間、単純な俺は雫に恋に落ちた。

それと同時に彼女の彼氏ではなく≪お友達ポジション≫を手に入れた。

だが、当時浮かれていた俺は気付いてはいなかった。

≪―――格好いい方だと思うよ?≫

その曖昧な表現は彼女の主観ではなく、一般論の推測系であったのだ。

≪みんなが好きな顔だと思うよ?たぶん…≫の意味であることに俺は随分経ってから気付くことになるのだった。

それから、一年、二年、三年、四年、まだ初心だった俺は、雫に恋心を持ちながら彼女の近くのポジションを守り抜いた。

――友達として。

だが、俺は、ある日彼女の譲れない性癖に気付くことになる。

『亜樹くん、私、今、すごく気になる人がいるんだ…、応援してくれるかな?』

その時、俺は彼女のか細い指先が指し示す先を見て、盛大にドン引いた。
いかにも柄の悪い、ヤンキー軍団の一番格好よさそうな奴じゃなくて、二番手か三番手に時々いる、三白眼の男だったからだ。

幸いにもその恋が成就する事は無かった。
でもその後も雫が好きになる男は、誰一人、たった一人すら漏れることなく、人相の悪いとしか言いようのない爬虫類顔負けの≪三白眼≫だったのだ。しかも、見た目だけならまだしも、その八割が人相に見合った素行の悪さを持っていた。

(ま、マジかよ……)

それを認めたくない俺は、懸命に自分を磨いた。
髪を流行りの形に整えて、マスクを止めて、できるだけ最新の話題についていけるように流行を追いかけた。

(見てくれ……、あんなのよりはまだ俺の方が……)

そうこうしているうちに、俺は中学の終わりから高校にかけて急激に身長が伸びて、皆の見る目が変わった。
家では母親への配慮は続けたが、家以外ではマスクと眼鏡を外した俺は、その後性格も前向きになり、親友とも呼べる男友達も数人できて、女子達が何かとからんでくるようになった。

そんななか、惚れっぽい雫にやきもきしながら、俺と雫は友達関係を続けた。幸いな事に高校時代の雫の恋はいつも上手くいかなかった。
好きになる相手が大抵硬派な彼女持ちだった事が幸いしたのだ。

そんな彼女の傍で、俺は、俺の事をなんとか自然に好きになって貰えないかとあらゆる努力を重ねたが、結局それは全て無駄な努力に終わった。
そうして、高校生活が終わろうとしていた。

俺も雫も上京し、保育士を目指す雫とは大学こそ違うものの、友達関係を保てる距離の大学に入学した。

ようやく俺は、何かあったら自殺しかねない危うい母親から、母の理想とする偏差値の大学に進学すると言う真っ当な形で距離を置くことが出来るようになったのだ。

きっと俺は安心していた。
そんな解放感もあったが、彼女の大学はほとんど、女子ばかりの大学だったから。

だから、頼る者がいない都会で、少しずつ、少しずつ、同郷の気安さで雫の懐に潜り込むつもりでいた。
新しい生活を掴みとってみせると意気込んでいた。
例え、俺が雫の好みの男ではなかったとしても……

だが、非情にも、神は俺に味方をしてはくれなかった。

大学に入り、訳も分からぬ内に出席させられた他大学とのコンパで雫は、ついに運命の出会いをした。

強面の容姿と相反して少し照れたように笑うのが可愛いのなんて言われる≪三白眼≫のどこにでもいそうな男が俺と雫を引き裂いたのだ。

≪湯原朔也……≫

忘れない、俺を天国から地獄に突き落とした男。
その爬虫類まがいの強面の容姿で、雫の気を引き、俺が欲しくて欲しくて堪らなかった彼女をたった数日にして心身共に自分のモノにした男。

きっと、雫の初めての男……

あの日、灰になりそうな俺の前で、笑顔で近況報告をする彼女を嫉妬で押し倒してしまわなかった自らの忍耐力を褒めてやりたい。
あの時、そうしなかったから今があるのだから。

あれからの俺の日々は地獄だった。

(いつか別れる…、絶対別れる……、別れるに違いない……)

そう思い、未練がましく友達ポジションを保ちながら友人を交えて彼女と時々会う生活。

そんな俺の想いなど知らないその時に彼女が口にするのはいつも胸が詰まるばかりのあの男への惚気だった。

『朔也くんはね、唐揚げが好きで、よく作るの、この間は旅行先でね……』

そんな風に幸せそうにあの男を語る彼女。
嫉妬心が性欲を掻き立てて、俺は高校の時には無かった大人の遊びを覚えた。

心がついていかないから、体だけの関係で割り切ってついてくる女だけを選んで遊んだ。
今にして思えば、彼女達の体を借りながら、思う女はいつも一人だけだった……。

そんな自分に自己嫌悪する事も度々だった。

でも、そんな情事の後の虚しさと罪悪感にさえ慣れてくるほど、時を重ねたある日、俺は、ラブホであり得ない男と遭遇したのだ。

(湯川朔也……?)

俺は、忘れもしない顔に、一瞬息を呑んだ。
連れている女が雫なら、直ぐにこの場を去ろうと思った。
女々しいかもしれないが、たとえ相手が俺の事を何とも思っていなくても、他の女との関わりのある自分を雫に見られるのは嫌だった。

だが、次の瞬間、俺の心は違う意味で冷え切った。
湯原が連れていた女が、雫では無かったからだ。

(なんだと……、どういう事だ? 別れたのか……?)

怪訝に思った俺は、そのまま連れていた女に取り繕って、何もしないまま自宅に戻り、何気なさを装って雫に連絡をとった。

≪お前さ、最近どうよ?彼氏とは上手くいってんのか?≫

本心を押し殺した飄々とした俺の問いかけに返ってきた答えは相変わらず、奴に対する惚気で、幸せそうな雫は馬鹿みたいにあの男を信じ切っていた。

何食わぬ様子を装って別れを口にした俺は、電話を切った瞬間、手にしていたビールの缶を、ローテーブルに盛大に叩き付けた。

その勢いで飲みかけていたビールの缶が跳ねて転がる。

『くそっ………』

遣り切れなさと憎しみが込み上げた。

(てめえがそうなら、俺ももう、手段は択ばないからな……)

その時、自分がどんな顔をしていたのかなんて知るはずもなかった。

雫はきっと知らない。

俺がその瞬間から、手段を択ばない獣になった事を。



あとがき

お読みいただきましてありがとうございます(ぺこり)
ムーンライトノベル様 アルファポリス様に投稿しておりました小説を少し加筆修正しておとどけしました。


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