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闘病記その15

胃瘻交換~そして退院の日に衝撃の話~咽頭気管分離術を受けるに至った経過と葛藤

私が、咽頭気管分離術を受ける一大決心をしたことは書きましたが、そこに至るまでは本当に泣いてばかりの毎日で、自分の運命を何度恨んだことか。
なぜこんな手術を受けなければいけないのか。どういう形で私は、そのことを知らされたのか。詳しく書こうと思います。その時の気持ちを書いてガッテンチームや家族にラインした物がこの視線入力のパソコンの中に残されています。

原田美穂子プロデュース「祐貴のお嫁ちゃんの瑶子さんを勝手に自慢しちゃうよ」のお披露目会で。息子からの感謝の言葉、というサプライズにびっくりする私たち。


2022年9月13日から入院して、15日に初めての胃ろう交換をしてもらう。すごい臆病で痛いのが大の苦手なので、静脈麻酔をお願いして交換にのぞむ。しかし、なかなか効いてこなくて結局終わるまで麻酔なしで終わってしまい、あまりの痛さに放心状態に。終わってストレッチャーで病室に戻るころになって猛烈な睡魔が襲ってきた。今ごろになって効いてくるとは(>_<)心身共に疲れ果てたが、それでも無事に終わって安堵したのか部屋に戻ったとたん号泣して看護師さんを心配させてしまった。そんな大変な一日でしたが明日には退院できるから頑張ろう、と言い聞かせて、寝ました。(まさか翌朝に地獄に突き落とされるような話を聞くことになろうとは、夢にも思っていませんでしたから。)しかし人生そう甘くないもので、何と寝ようとしたら体が熱いのでナースさんに告げると検温される。そしてそれまで私とジョーダンを言ったりして笑っていた看護師さんの顔がみるみる険しくなっていったのです。「38.6度?えー?!もう一回測りましょう」この瞬間おそらく二人とも同じことを思ったと思います。「わぁーやだー、コロナになっちゃったよー(>_<)」って。そこから怒涛の検査が始まります。既に眠剤を飲んでいた私は睡魔が襲ってきて、うとうとするのですが、ちくっ、ブスリ、鼻の穴奥ぐりぐりで眠気も吹っ飛ぶほどの痛いことが続き、結局0時過ぎまで続きました。あっ、ご心配をおかけしましたが、コロナではありませんでしたから、驚かせてすみませんでした。そんなハプニングもあった翌朝に、これでもかというほど、私の身に次々と試練が。

退院当日の朝、主治医の先生がこられ、昨日院長先生とはお話ししましたが、美穂子さんともお話ししておいた方がいいかなあと思って来ました、といわれる。主人から何度かその単語は聞いていたので、あのことかな?と予想は付きました。
しかし実際に具体的な話を聞くと、もう他人事ではなくなります。
究極の選択。あなたならどっちを選ばれますか。
声を失う。食事がとれるようになる。一つしか選ぶことが出来ません。
先生から気管切開の説明を受けました。どんな手術なのか。それによって受けるメリットデメリット、具体的に通すチューブまで見せてくださいました。もちろん今すぐにしなければならないわけではなく選択肢の一つとして知っておいてほしい、考えるなら早めがよいと言われました。なんか淡々と他人事のように聞いてました。何か聞きたいことはありますか、と言われ私は視線入力のパソコン画面に打ち込もうとしたその時、見る見るうちに溢れてくる涙で、目の前が何も見えなくなってしまいました。先生や看護師さんの前で泣くのは初めてでした。普通ならそんな失態は見せないと思います。胃ろう交換手術で相当心身ともにダメージを受けたばかりなので、これ以上何をがんばれというんだろう。私は涙で視線入力のピントが合わなくなったパソコンの画面に、『もうこれ以上頑張れません。胃ろうにする時も相当悩み踏み切りました。いやだけど生きるためにはやらなきゃいけない。あといくつ乗り越えなきゃいけない試練がまちうけているのですか?乗り越えられますか?』声にならない叫び声をあげて泣きました。涙が止まらなくなって窒息するんじゃないかと心配になるくらい嗚咽を漏らして泣きました。何分位泣いてたでしょうか。やっと泣き止んで、『先生お忙しいのにお時間取って頂いてありがとうございます。』と打って先生の方を見たら、眼鏡をはずして目をぬぐっておられました。

そして魂の抜け殻みたいな美穂子になって家に帰りました。
そして毎日このことを考えては、泣いてばかり、言葉を思い出しただけで涙が止めどなく溢れてくるのです。”声を失う!”衝撃すぎて、まともに冷静に考えられない自分がそこにいました。もうどうせ喋れてないんだからおんなじことじゃん、などと自分に突っ込みを入れてみたりもする。
少しでもたくさんの人に相談して、最後は自分で決めなくては、と。入院してた時にあるナースさんに言われたことを思い出す。「原田さんに伝えておきたいこと、それは最後の決断は自分でしてほしいということです。」と。
その時は、なんかぴんとこなくて、そうしてるつもりだけどなーくらいに思って聞いてました。今まさにこのことなんだとハッとさせられました。
ちょうどこの頃、グッドタイミングで妹が帰って来てくれました。9/20~22の滞在中に息子とお嫁ちゃんを呼んで四人で、咽頭気管分離術を受けるかどうかを私の気持ちも聞いたうえで、本気で考えてくれてそれぞれの考えを言ってくれました。(残念ながら主人は留守でした。)
この時の言葉に背中を押された気がします。「母さんがどんな選択をしようと、それを僕らは尊重するし、どんなことになっても全力でフォローし、応援するだけだよ。急がんでも、ゆっくり考えたらいいわね。」と。


なるべくたくさんの方に相談して、アドバイスを貰ってから決断しようと心に誓った美穂子であった。
そして以前にも書きましたが、若佐さんの人魚姫発言や、息子のお嫁ちゃんを自慢する会でのS先生からの「何をしてでも生きなくちゃいけんぞ」とい

35年来の友人、お兄ちゃんのような存在のS先生

う励ましと私は一人で闘ってるんじゃないということを確信でき、多くの人のサポートのおかげで安心して治療に専念できるんだとあらためて気づかせてもらったことなどなど。私が選択したことを知らせるとたくさんのエールと間違ってないという励ましのメッセージを頂きました。こうして私は、咽頭気管分離術をして声を失うということを自分で決断しました。
つづく



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