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市川雷蔵『炎上』(1598年公開)

市川崑監督作品。
監督のこだわりで、モノクロで撮影されている。

何度見ても、映像も芝居も、すごいと思う。

主演の市川雷蔵も、二枚目時代劇俳優のイメージを飛び出す凄い芝居だし、周りもすごい。

二代目中村鴈治郎の老師の、単なる生臭坊主ではない、不可解な大きさと厳しい存在感。
人目のあるなしで態度が違ったり、女性問題だったり。
人柄としては全然好ましくないのに、なぜか、やはり国宝の住職、と言いたくなるその風情。

戸刈を演じるのは、仲代達矢。
溝口(市川雷蔵)が、彼に声をかけあぐねて、もたもたと後ろを歩く。戸刈の、一歩踏み出すごとに震えて伸び上がるような、独特の歩き方。逆光気味の背中の強烈なインパクト。

人は、見た目ほど単純ではなくて、どこまでも個別。そしてこの世は、ほとんど誤解とすれ違いで成り立っている。
この映画を見ていると、そんな気がしてくる。

泰然自若と見えて、外に子供ができて悩むなど俗な面も持つ老師。

自分の障がいを利用する強さがあるように見えて、時に相手をひどく傷つけて彼らとの距離や心を試さずにいられない戸刈。

そして、吃音を気にするのもあって黙りがちだが、実は外との結びつきや理解を求めている溝口。

老師、戸刈、溝口。
3人がそれぞれの性質を少しずつ入れ替えたら、ちょうどよく生きていけるのではと思ってしまう。

映像について。

火の点け始め、驟閣の中の像が、影といい視線といい、なんとも言えない不気味な静けさから、火が大きくなり、迫力の炎上シーンになる。

炎がゴウゴウと渦を巻いて夜空に昇るさまは、猛る龍のようだ。

山の斜面へ逃れた溝口が、樹々の向こうで驟閣の燃えるのを見るシーンは、DVDに付属の冊子によれば、火の粉に金粉を使っているらしい。

舞い上がる火の粉が、モノクロなのに夜空に金色の蛇がトグロを巻くようで、妖しく美しく、なんとも惹きつけられる。

後日、警察に連れられて、火災後の驟閣を訪れた溝口は、無惨な屋台骨ばかりになった驟閣を見る。

溝口の記憶のように一瞬、鏡池に、かつての驟閣寺が映るのだが、火事の残骸が浮かぶ池の水の澱み具合といい、この短いカットの持つ力に唸ってしまう。

(『ぼんち』でも、戦争の様子を表すのに、泥水に浮かぶ片方の靴のカットが入り、その悲惨さが目に残る。)

金閣寺なのに、炎なのに、白黒。

原作とまた違う味わいも含め、市川崑監督の作品、好きだなぁ、と思う。

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