🔷既視感    時を飛び越えた何かの動き。


99年、作詞家・松本一起氏門下2期生 (合格入門も難病と伴う貧困で中退)

02年、大手レコード数社合同公募にて元YMOプロデューサー氏より指名合格 (難病と伴う貧困で選抜出場逸す)

2015年頃、SNS時代になった事で、Facebook上にて松本氏と再会、
しかし2010年より昼夜止まぬ ME/CFSへのネット上の執拗な中傷状況ゆえ、交流ままならずのまま、
2018年、アカウント乗っ取り被害で連絡不可となる。
そのまま2022年に、松本氏が逝去。

2023年、氏著書の入手により、その巻末に書かれた、氏の2016年の、門下に向けた呼び掛けを知る。


以上は、私のプロフィールに記しても別によい事かと思う。
ME/CFS、そしてそれに伴う偏見や貧困によって、人生を大きく変えられてしまった再三の例でもあるから、
寧ろ、
ME/CFSの未だ偏見視の払拭されぬ状況下を考えると、広く公表しておいたほうが良いとも判断が立つ。
しかし実は、
自身のアピールには強い抵抗を 生来や育ちに持つ私には、幾らかストレスな事ではある。

マウンティングするほど承認欲求好きな方々には、共感の微塵もない話であろう。
(そもそも作詞も、しようという気はどこにもなく、生来と生活上の自己主張や発言の足らずが生じさせた結果に過ぎない。)
いったい何処までME/CFSに関したストレスが生じれば、
ME/CFSへの偏見は、この国から、なくなるのであろうか。

私は、偶然的な氏の門下合格に至る直前、
声帯(=人生で一番、自分において大切にしていたもの)の悪化で、自暴自棄に過ごしていた際、三島由紀夫が夢枕に立った事で正気を取り戻した経緯があった。
しかし、なぜ、その知識も、ろくに読んだこともなかった 三島だったのか、分からなかった。
(私は三島逝去の頃の生れの為、私の成長は、三島がメディア等でほぼタブーの時期と全く重なっており、まるで接する事もなく、その時まで生きて来ていた。)

その後、
病と偏見ゆえ長く困窮中の2009年に、
ME/CFSや弱者環境改善の必要性を上層に身近に認識戴きたく勤めた霞ヶ関にて、
弱者ヘイトやメディア勤務者ヘイト(私はこの数年前に、某新聞社に同じく非正規で務めていた。)に 繰返し遭い、遂には、故意な冤罪による翌日の不当解雇を命じられたため、
自身の生の有効性を冷静に考えた結果、
翌朝、事情を記した、マスコミの知人宛の手紙を、省前のポストから投函の後、省最上階からの投身を考えていた。
当時まだ40になったばかりで、まだ先の可能性があった事と、相談で止められた事で見送ったが、
これがもし今の年齢であれば、迷わず実行していただろう、
又、その今の年齢となっても、
未だ、各種弱者もME/CFSも、何ら変わらぬ環境だとその時にもし知っていたなら、やはりあのとき迷わずの実行だったかと思う。
(心から悲しむ家族もなく、ME/CFSの偏見や誤解で悉く他の旧知や交流からも引き離された身は、それが現実的に可能な、数少ない者でもありました。
投函は、事の隠蔽防止の乞いと、僅かな恩返しの意の必要性でした。
実行があれば、アベノミスクも、襲撃事件も、至らなかったかも知れない。その理由は別の機会で。)

後の2010年代後半、三島が再度のブームとなった時期に、何気なくそれら放映等を観ていて、
なぜ、全く縁もゆかりもない三島が、あのとき私の枕元に立ち、救うたのか、やっと理由に気付いた。

身を遂すという点では、ゆめゆめ無い。
それほどまでに、国の先を慮(おもんばか)っていたという、共通であっただろう。
その思いは、安直に弱者ヘイトすらを行い、民をも欺いた官僚達議員達と、
何れ程の格差であったであろうか。

2023.9.23筆

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