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支持する党は、パジャマ党。
ほしいものは、聞き耳頭巾。
すきなひとは、知能知識でなく知性あるひと。
常連になりたいのは、喫茶「謎」。
勤めたいのは、チャンドラー探偵社。

(※上記の、私が思う「知性」とは、
「鵜呑みでなく自分自身で考える力」+「品性を備えた言動と判断を持つさま」を云います。🐾)


実家に騙される形で地元へ戻され就いた官系ライフライン企業新人OL3ヶ月目に、
ME/CFS ( 2014年専門医による診断。
ウイルス感染由来の免疫暴走による各種神経系障害。
尚この疾患が、単なる疲労や詐病や精神疾患、又ヘルペスやダニによる感染症という説がデマである旨は、MDSマニュアル上においても明言がされている。
これらのデマは、1990年代以降、また2010年以降のインターネット上にて、悪意的になされた流布である。)
に罹患発症、
ほぼ同時に、声帯麻痺 (2005年「日本の声帯の権威」による診断。)も発症。
当時、医療からの寄り添いの一切ない中で、
4年目に、とうとうに至った寝たきり状態を、
実家からネグレクトを受け、後、退職。
その後、小康状態と寝たきりを再三繰返しながら、
一般非正規として、
愛知県庁議事堂受付、美術彫刻モデル、ホテルフロント、デパート美容部員、国際交流施設受付、ジャズバー店員、日雇工員、クラブホステス、物流事務、美術館員、通信企業、新聞社、複数省庁(国会官邸出入りを含む)に従事。

政権交代や東日本大震災時には、政府内部からそれらを眺めるに至りました。

作詞家松本一起氏門下2期生。
(99年合格ののち入門、難病ME/CFS悪化により中退。
十数年後Facebookで氏と再会も、
数年後、ME/CFS中傷と交流妨害を執拗繰返すストーカーによるアカウント乗っ取り被害で、再度連絡不可となり、そのまま氏の逝去により、永劫の別れとなる。
後、氏のその後の著書にて激励の筆を知る。)
修験行者先達の末裔。

偶々に、カトリック幼稚園、プロテスタント系教会日曜学校、曹洞宗寺院子供修行合宿、仏教系学園教育実習、神道系大学卒、という経緯を辿りました。

子供の頃(昭和)のライフワークは、
すて犬すて猫の保護及び里親探し、天体観測、音楽演奏及び鑑賞、山沢一人歩き、野点(裏千家。悪友の母上に師事)、など。

部活は、器楽演奏系各種、放送、合唱、硬式テニス。
(発症前に好評だったのは、通学路での手袋人形漫談、音楽室での楽聖漫談、人物画、アナウンス、創作文、歌声、創作曲、ダンス。)

学生バイトは、15才からのドーナツ屋とコンビニ。
(故意の留年を実行できていれば、場末のピアノ弾きのバイトで貯金の後、東京の新聞奨学生で音響技師の卵になっていた筈でした。。😿
コンビニバイトでは、
一人で店番の際に、
車で煙草を買いに来たヒムロックを応対、
当時ボウイはデビュー時から知っていたが、人気絶頂でもヒムロック本人を知らなかった為、ただ「動作に一切無駄の無い、ホスピタリティに溢れた、やけに格好良い大人」として記憶されており、随分後になって気付いた。笑😹)


新人OLの頃、虐待な実家から逃れる為に劇団の手伝いに通っていた際、不意に、足りなかった端役で舞台に立つ事となり、
その後、某国営的局全国区ドラマ出演の話が出たが、同劇団の役者勢からの反発とイヤガラセにより、件だけでなく劇団も離れるに至る。
(劇団の恩師は、私は全く知らなかったのですが、そのドラマの関係者だったのです。)
その恩師は、私にとって「始めて出逢えた、生きた父」のような存在で、
半年後には戻るべきとの判断に至ったのですが、
既に難病と発声の悪化が始まっており、このまま戻っても恩師の役には立てないと考え、
病を治したら、と病院を回りましたが、当時、ME/CFSは医療全体からの協力がなく、
引き離されたまま、3年後の恩師急逝で、
永劫の別れとなりました。
恩師は生前、劇団内で私にのみ、片目がほぼ見えない旨は話しておりましたが、それ以外は聞いておらず、実際、全くの急逝でした。
しかし恩師の亡くなる数時間前、私は何故か急に「今、会わないと今生の別れになる」気がしたため、稽古場へとても向かいたかったのですが、
当時、既に難病は相当悪化しており、
通勤車中の座席に横にならないと、とても通えない状態を、這って通っている様な状況でした。
ですから、その日も
とても帰路に稽古場まで足を延ばせる体力がなく、
「私が行くまで先生、生きてろよ、」との思いを抱えて這うように帰宅をしました。
そして翌朝、
案の定に、とても出勤不可状態のため会社は休んだのですが、
夕刻になり、やっと身体を動かせ、新聞に目を通していたら、
普段は殆ど目を向けない訃報欄に、
恩師と非常によく似た顔の写真の掲載があり、
経歴を読むと、これも恩師とよく似ていて、
最後に住所を見て、恩師だと気付きました。
葬儀の後、
関係者に話を聞いて回ると、
私が「今生の別れ」と感じた時間に、普通に稽古場へ向かえていれば、
まだ恩師が普通に生き、歩き話せていた時間であった事が分かりました。
その稽古の直後に、恩師は倒れ、
そのまま急逝されたそうです。
その恩師と離れ離れの3年間、
私は、今日も恩師も頑張られているから、という気持ちで、這って通う毎日を送っていました。
恩師の逝去後、
私に反発し私を追い出し恩師に小判鮫をし続けていた人達が、そこで奮い立って劇団を頑張らない事に、
私は内心強く怒りを感じたのは、言うまでもありません。。
その後にも、
人を、無闇に我欲の身勝手でイヤガラセしたり徒党で追い出すような人というのは、
所詮、皆これ同様の腑抜けでした。
音楽や医療の場、実家周辺や社会の上下、政治の中などでも、
多く同様の、人や場との不当な引き離しに遭いましたが、
いずれの該当の人々も、皆そうでした。
またそれらの人々は、
私の病身に気付く事もありませんでしたし、
伝えた暁には、
病への侮蔑も必ず欠かしませんでした。
そのような人々は、
今も一生懸命に私を無視し、孤立化させ
それら悪行を隠蔽してしまおうとの謀りを続けており、
まるでそれは、
金の衣服を纏った害虫の如くに滑稽です。


🐾


世は善よりも運なのかと苦闘して来ました。
善は心から生じますが、
運は何処から生じるのでしょうか。
心とは、違うところで生じてしまっている気もします。
ふと、地球の温暖化と同様の経緯にも思えます。
それが、
ブラックホールの此方側だけの論理であることを、
私は望みます。

2023.10.15筆

インターネット上の支配者が
世界の支配者となった様な顔をしてはいるが、
そのインターネットの破壊者は、
戦火の勃発者ともなりましょう。

第二のノアの洪水は、
インターネット上を含めた浄化かも知れない。

2023.10.15筆

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