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お年玉って、こんなに泣けるんだ?(;∀; )愛に溢れてた。

私は4姉妹の末っ子で、おまけに年が離れているのと、結婚が早かった姉がいるから
「叔母」になったのも早かった。初めての姪ができたのは私が小学校1年生だった。
その後、一番仲良しの、すぐ上の姉の子は
私が高校1年と2年の時に産まれた。
この仲良しの姉家族とは今でもずっと仲良しだ。この姪2人に当時から私は格別な愛情を持っていた。

先日、上の姪が新年の挨拶に。と我が家に来た。…17歳になる娘を連れて。
そこで、お正月恒例のお年玉を渡す時が
思いもよらない感動の時間になった。という話し。



2人の姪は、私が結婚するまで同じ家に
一緒に住んでいたこともあり、沢山の思いがある。
私が仕事をするようになっても、
「既婚でありながら、ほぼシングル」のような忙しい姉に代わり、
公園に連れて行ったり、買い物に行ったり、具合が悪い時は病院に連れて行ったりした。
私の仕事が平日休みなのをいいことに、
仕事のない日は幼稚園のお迎えもした。
とにかく可愛くて仕方なかった。

2人が思春期の頃は、私は既に結婚していたが、上の姪は中学後半から不登校気味になり、昼夜逆転生活で夜中にフラフラと出掛ける以外はずっと家にいた。
下の姪は、中学に入って間もなくから
「積み木くずし」または「不良少女と呼ばれて」(古いか💦)な生活で、上の姪とは逆に
全く家に居ない子だった。
真逆の2人と対する姉は、いつも、

「あー。足して2で割ってくんないかなぁー」とぼやいていた。

2人が小さかった頃のように、2人の日々に
寄り添うことは出来なかったけど、
大切な姉が悩んでいる時はできる限り
姉に寄り添った。

そんな2人だけど、2人がどんな状況であっても私の愛情の強さは変わらなかった。
なんとか今を大切に過ごしていってほしい。と願い、姉も私も試行錯誤しながら接してきた。

2年程経過し、最盛期よりは落ち着いてきたものの、2人とも高校進学が果たせず、
身内の経営するお店でバイトをするようになった。姉も私も同じお店で仕事していたので、会う時間も増えた。
見る人によっては難儀な子ども達だったかもしれないけど、素顔は小さい頃と変わらない良い子たちだ。可愛い。

そんな中、私がいよいよ自分事を最優先しなければいけない状況になった。
次女の病気の発症だ。
完全看護の病院だったので、私は毎日付き添いに通うようになった。
姪たちどころか、我が子である長女のことも満足に接してあげられない。
長い入院生活、夏休みにどこか連れていってあげることもできない。

すると、ある日、姪2人から提案された。

「あのさー、Mたんを映画に連れて行ってもいいかな?」(うちの子たちの名前に〈たん〉をつけて可愛く呼んでくれる♡)

姪たちは16歳と17歳くらいだった。
長女は4歳。
電車に乗らないと映画館には行けない。
おまけに長女は電車に乗った経験はあったか?なかったか?という程度。慣れていない。
2人に迷惑をかけるかもしれない。
でも、2人は「それは想定内だし、
それでも連れて行ってあげたいんだ。」と
言う。

お願いしよう。と素直に感謝した。
2人の気持ちに感動した。
どうか、長女を楽しませてあげて下さい。とお任せすることにした。

当日、我が家の最寄駅から私と長女で電車に乗り、2人の待つ2つ先の駅へ向かった。
長女はウキウキで爆発しそうだった。
もう少し落ち着け💧と思ったけど、期待以上の楽しみぶりに私も嬉しくなった。
2人と合流して、更に2つ先の駅まで4人で
電車に乗り、微笑ましい会話を見ながら泣きそうになった。
我が家が少し辛い日々が続いていることに
気づき、元気をくれようとしていることが
どんどん伝わってきた。

映画館のある駅に着いた。
私はまだまだ先の駅に向かって次女の待つ
病院へ向かう。その私に満面の笑みで手を振りながら3人はホームで見送ってくれた。私も愛しい3人の姿を見えなくなるまで目に焼きつけた。

3人とも大好きなポケモンの映画を観に行った。タイミング悪くだいぶ待ってからやっと観れたようだ。ピカチュウのバケツに入ったポップコーンを買って、ずっとウキウキで良い子だったよ。と教えてくれた。
けど、帰りの電車に乗る頃には疲れも出てきたのか、少しずつワガママを言い出したようだ。「ダメだよ」と2人が止めても、長女はなぜかピカチュウのバケツを激しく上下に降り始めたらしい。
周りの乗客を気にしながらそっとなだめている最中、2人の心配は的中し、ピカチュウのバケツからポップコーンがまるで出来立てのようにバラバラと弾け飛び、電車内に撒き散らしてしまった…。
「すいません、すいません💦」と若い娘2人がバラ撒かれたポップコーンをかき集め、
バケツだけもってボーゼンとする長女。

今では笑い話になってるけど、当時は相当
大変だったろう…。2人が忘れることのないその出来事は、長女との関わりで代名詞となるエピソードになっている。



そんな出来事があってから20年近くたつ。

姪2人は、すっかり大人である。
上の姪は17歳で長女出産を筆頭に3人の子の母になった。3人のうち、2子である長男を
病気で亡くしている。やはり完全看護の病院に通う日々を過ごした。
なんでも黙々とこなし、弱音を吐かない強さは見ている方が少し心配ではあるけど、今は
自分の人生も大切に考えていて、30歳になる頃、高校卒業資格を取り、看護学校へ通い、今は更に上の学校へ通いながら病院勤めをしている。

下の姪も結婚はしたものの、子どもには今のところご縁に授かれず、夫婦2人でシェアハウスのように各々自由に生活している。
上の姪と同じく高校卒業資格を得て、
今は美容師の学校に通い、いずれ自分の
サロンを持つことを目標にしながら
寝る間も惜しんで、仕事に学校にと、
再び青春を謳歌して充実の日々を送っている。

そして、先日、上の姪が娘1人を連れてやって来た。ワイワイとお喋りしてるうちに、
私の長女が仕事から帰ってきた。
長女は今年社会人1年生で、この正月は
「私もお年玉あげる側になったなぁ。
どんなポチ袋にしようかなぁ~」と、大人の仲間入りを楽しんでいたから、長女にとっては「従姉の子」である姪の娘に、厳かに、そして少し照れ臭そうにそっとお年玉を渡していた。姪は、私とのお喋りでその事に気づいていなかった。
今回は一緒に来られなかった姪の下の娘の分を渡したかった長女は、
「Mちゃん、、」と、姪の肩をたたき、
「これ、Aちゃんの分のお年玉!渡しておいてくれる?」とポチ袋を差し出した。

「えっっっ?!」と姪が驚きの声をあげると共に、
「えー!やだー!Mたん、お年玉くれるのー?!やー!ちょっと泣いちゃうー!」
とポロポロと涙をこぼしはじめた。
長女は、その反応にワハハと笑いながらも、
「私も今年から仕事しはじめたから、
初お年玉だよー。渡す側になったよ!
今まで貰ってばかりだったから、ずっとありがとね!」と言って、笑いながら涙目になっていた。

こんなに喜んでくれると思っていなかったのだ。
姪はずっと感動が収まらず、オイオイと声を出して泣いている。普段、感情を表に出さない姪がこんなに涙するのは初めてみた。

そして、
「あんなに小さかったのに〰️
電車でポップコーンばら蒔いてたのに〰️…」
と沢山の思い出から真っ先にあの日のエピソードを出し、感激しっぱなしだ。

もう、これは、お年玉どうこうのレベルじゃない。

私も姪の成長と、共に過ごしてきた激動の日々と、そして数年後には我が子の成長に
沢山協力してくれてきた年月、気持ち、
長い間本当に良くしてくれている感謝が溢れ出してしまい、各々がお互いを想いながら
大人3人でオイオイと泣き笑いした時間となった。


そういえば、以前、下の姪と、長女と長男の4人でランチに行った時、長女が「彼氏ができたよ!」と報告した時も、
「やだっ!嬉しい!すごい嬉しい!
Mたん、良かったね〰️!わ〰️〰️ん
嬉しいよ〰️。ポップコーンばら蒔いてた
Mたんがこんなに大きくなって〰️😭」と、
やはり大泣きして喜んでくれた。
もちろんその時も私も長女も、もらい泣きして、店員さんも驚く、泣きのランチになったのだった。
姉妹で同じように感動してくれる。

こんなにも我が家の子どもたちのことを
大切に思ってくれる姪っ子2人に、感謝の
気持ちでいっぱいだし、その親である姉にも感謝している。
感謝の渦にグルグルにされ、とても
幸せな気持ちになった今年の始まりでありました。

※ポケモンの映画鑑賞は、2人が連れていってくれたあの年から、コロナになるまでの、15、6年間、夏の恒例行事として毎年必ず
行っていた。次女も一緒に行ける時は私も
行き、その後、姪の子どもたち、私の息子も参加するようになり、夏がくる度に年月の流れを感じていた。またそんな恒例ができるといいな。


※後れ馳せながら、今年の初投稿であります。みなさま今年も宜しくお願い致します。
また、震災の被害に苦しい思いをされている方々が明るい光につつまれる日が早く訪れますよう、微力ながら、できる限りの協力をしていきたいと思います。辛い日々が必ず報われる時がくることを心から願います。


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