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お母さん、91歳!

先月末の、娘の誕生日を沢山の方にお祝いして頂き、ありがとうございました!

今日は私の母の誕生日。
なんと、91歳!!
体が丈夫で元気なこと、決して当然なんて
思わず、心から感謝です。




私は母が39歳の時に産まれた。
当時はその年齢での出産は私の周りでは
珍しい方だった。
周りのお母さんたちは確かに若かったかも。

でも、ある程度の年齢になればそれ程変わらないのでは?と思っている。
年齢を重ねるほどに、性別も謎になりがち…

「おばあちゃんかな?…いや、
おじいちゃん?…ん?…わからん💧」

母は、その域に入ってそうで、
まだ入ってない雰囲気。なぜなら、
ネイルと香水が好きだから!

まだ指先にたっぷりの女っ気を持っている。


(今の時代、男もネイルしますよ!)

…はい。分かってます。

女性=ネイルの思考で未だに女性感を持っている母を尊敬しているのであります。


母は娘時代、「その時代、それで良かったの?」と思うほど奔放だった様子。
母は二女で、家の手伝いは、なんだかんだと理由をつけては長女に押し付けていたらしい。自由人。
「裕福ではなくても楽しかった!」と
娘時代を話してくれたことがある。



結婚してからは、苦労の人。
鬼のような姑と同居だし、
モテ男の父は留守ばかり…。

借金は増す一方で、それはそれは私たち
子どもにとっても恐ろしい日常だった。

電気が止まり、電話が止まり、学校の集金は家中の小銭を集めてなんとか納めた。

朝から闇金業者が押し掛けては土足で家に
上がり込み、隠れている母を見つけて罵声を浴びせる。

そんな生活の中、父は余所にも家庭を作っていた。
なんですか?これは?時代ですか?


余談ですが、昔は地区ごとの結束が強く、
地区別対抗の大運動会が盛大に行われていたり、子どもたちのスポーツ大会は親たちが
コーチしたり休日も朝から練習に付き合ったり。親子旅行が毎年恒例だったり、
お祭りでも団結して仲の良い町だった。

しかし、その中で、実は3組も不倫騒ぎがあったことを大人になってから知り、
なんか…、ドン引きした。

そんな日々の中で、母にとって、父の存在はとても大切だっただろうに、大してアテにもできず。
それでも母は泣き言も言わず、
毎日の生活をしてくれた。

長姉は私より10歳以上年上だから、そんな
母の支えになっていたと思う。
精神面はもちろん、経済面でも。

私には言わなかった泣き言も、
見せなかった涙も、
頼れるところでは見せていたのだろう。


私が中学生の時に両親が離婚した。

離婚しても、父をずっと「好き」だと言っていた。優しいんだって。
夫婦だけにしかわからない時間があったん
だろうな。お母さんが好きだって言うなら、もうそれはそれで、
うん。…いいよね。


自立していった姉たちと別々になり、
私と母の二人暮らしが始まった。

そこから、ようやく

「お母さんて、こんなに笑うんだ?」と
知った。

いつも痩せていて、なんとなく暗くて、
元気のない母が普通だと思っていた。

しかし、何かを吹っ切ったのだろう。
「本来の母は、こうであったか!」と
知ることが増えた。

基本的にはポジティブな人だった。

中学、高校は私が誰よりも母を困らせた。
学校に呼び出され、「親の躾が…」とか、
「こんな子どもじゃダメですよ」みたいな
攻撃をくらった。職員室を出てすぐに、

「あんなこと言われて悔しくないん?
娘を侮辱されたことが悔しくてしょうがない!」と、反論できなかった自分にも
悔しがって涙を浮かべていた。

色々悩ませても、家族の誰もそんな私を見捨てなかったし、何でもないことのように変わらず接してくれた。ありがたい。


そして、何があっても、
一度笑顔を取り戻したら、
それからの母はいつも笑顔だった。


年月が経ち、その後も、私の二女のことでも心配はさせたけど、、
ほんとに関心するほどお母さんの態度は
なーんにも変わらなかった。

まずは娘である私のことを真っ先に気にかけた。ごはん食べてる?眠れてる?と。

二女に対しては、腫れ物にさわるような態度は一切しなかった。

筋緊張で一枚板のように全身を硬直させている二女。
その二女の体が楽になれる抱き方のベストポジションを発見しては私に披露したり、
二女の笑顔を取り戻すためにあらゆるオモシロに挑戦したり。
(袋のガサガサする音に反応する二女の満面の笑みを引き出したのは母だ!)


すごいと思う。
母はいつも、
その中での最善に尽くしている。
誰の目も気にしない。気にならない。
前をみている。

物事に動じることなく、
受け入れる心を持っている。
それはとてもさりげなくて、
でも揺るがない強さを感じさせる。
身を委ねても包んでくれる安心感が
空気に漂っている。



「88歳になってから、急に頭がバカになっちゃったんよ」
と、その頃は母の周りで起こる、
母にしか見えない何かや、
母にしか聞こえない声に一日中苦しんでいた。
同居の姉も苦しむ母と共にしているうちに
体調を崩してしまった。

そして、翌年、入所した。

「短期入所するだけだからね」と、
騙すような形で泣く泣く母を入所させることになった。


その後の初めての面会の時。

「迎えに来たん?」って言われたら、
何て言えばいいんだろう。と姉と話した。



久しぶりに会った母は、とても綺麗に身支度していて、指先のネイルは相変わらず綺麗だった。

もともとは、華やかなのが好きなんだろう。

残念ながら香水の香りはしなかったけど
指輪はそのままさせてくれていて、
首に巻いたスカーフと、綺麗な手が、
今の母を表しているように感じた。


そろそろ面会が終わる…。

そして、母が口を開く。



「寂しい時もあるよ。あー、帰りたいなぁ。って一人でしくしく涙が出ちゃう時もあるよ、…でもさ、こうするしかないんだな。って分かってるからね。心配しないで。
「ここで、笑って過ごすのがいいんだな』って、お母さんも頑張るからさ。みんなも、
忙しいんだから、身体に気をつけて頑張って!待ってるから!また、すぐ会いにきてね」

と小さくガッツポーズをしながら、やっぱり笑顔で話してくれた。

茶目っ気のある、鼻にクシャっとシワを
つくったいつもの笑顔はとびっきりキュートだった。

滲んだ涙は流れる前にすぐにこすり、
母と姉と私で同じ仕草と同じ笑顔で
手を握りあった。


その日私は、
自分の状況を受け入れる柔軟な心を
今でも変わらず持ち続ける母を、
改めて心から尊敬した。

自分がここまでいい歳になったのに、
こんなに大人になっても、
まだまだ尊敬の対象で見続けられる母のことが本当に誇らしい。


私が、その歳になった時、私も母のように
子どもたちに同じ姿を見せていきたい。

潔く、爽快なお母さん、私もそんなお母さんを目指すよ!





昨年、「また肉が食べられるようになったよ~😋」と、大喜びして報告してくれた
お母さん。

この前の入院時、
「どうしても寿司が食べたい!
○○さん(施設の方)に、みんなに内緒で病室に持ってきてほしい。って頼んでおいて!」と
私に懇願したお母さん。

今日はどんなお祝いをしてもらうの?
楽しみだよね!
お母さん、お誕生日おめでとう!
一番大きな感謝を届けます!待ってて!

あ!
まだまだ元気に長生きしてくれるってことは
知ってるからね!


※誕生日プレゼントを渡しに、長女と一緒にお母さんの所に行ってきました。久々に会えた長女は涙をこぼして喜んでました。
お母さんは今日、長女の事もすぐに思いだし、「すっかり大人になって見違えたよ~
すごいよ~✨」と本当に嬉しそうに感激してくれました。
「みんないい人たちだから、仲良くやってるからね。みんなが会いに来てくれるのが本当にうれしいからさ、また来てね!」と手を握り、その後は見えなくなるまでずーっと
「バイバーイ!バイバーイ!」と大声で見送ってくれました。逆に大量の元気をもらった気がする😂

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