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イタリアでウインドサーフィンしてきた

そもそも、イタリア旅の発端はここ。
ウインドサーフィンの欧州選手権。

いろいろな縁がつながって、つながって、参加できることになりました。
やっぱり、やりたいことは「私はこれがやりたいです!」バンッってていろんな人に宣言したほうがいいね。

そうやって自分で伏線張り巡らしてたら、なんかきっかけがあった時に
「あ、そういえばあの子なんか言ってたなー、声かけてみよか」
ってなる。ありがたい。

いろいろな人にいろいろ頼んで、お話聞いて、助けてもらって、なんか自分でもびっくりするくらいうま~く事が進みました。ありがたい。

出場権決まったのが1月5日。
めちゃくちゃ覚えてる。
新年早々歓喜のニュースが舞い込んできて、
「よっしゃああああ2023最高の年確定やん!!!!」って思ったから😀

今年の目標「見たことない景色をいっぱい見る」

もうすでに「いっぱい」の「ぱ」くらいまで一気に見ちゃった気がします。

最後の「い」がとてつもなく巨大な「い」でできてるのかもしれないけど。


決まってからは、ほんまに一瞬で3か月過ぎた。
一月往ぬる、二月逃げる、三月去る。

いや。私は、
一月行ったれえええ!二月逃がすもんかああああ!三月さあ行くぞおおお!
って感じやった。

我ながらセンスええやん。

英語でエントリーして、メールして、チャーター艇手配して、初めてのややこしすぎる国際送金して、航空券取って宿取って、お金やばい!なってめちゃめちゃ働いて、イタリア語猛勉強して、ジム行って鍛えて、、、、、


とにかく必死やった。


そして、この大会のためにできることやり切った!!!!!!!!!

夢にまで見たガルダ湖。ほんっっっまに綺麗で涙出たわ。


衝撃まとめ

・「バック無理〜」も「スタボ〜」も「ルーム〜」もなにもかも、
 「ウォーウォーウォオオオオーーー!!!」なこと​

スタート前、いろんなとこで吠えてます。ウォーーーーーーーーーーーってこっちで聞こえたらたぶん私です。郷に入れば郷に従え。

​・無微の時、レース海面までコーチの送迎サービスがあること
コーチのいない私たちは必死でエイトとマスパン。着いたら、涼しい顔した子達がすーんって待機してた。せこない?


・オーバー認定のハードルが高すぎること
大会1日目、いきなり全ノボプレレースみたいなん3レース。バックトゥバックトゥバック。3時間半くらい出っぱなし、えぐい。うげぇーーーーって死んだ魚みたいな顔して帰着したら、How was your race today 😄?と、ニッコニコのチュニジア🇹🇳の男の子がお出迎え。いや、元気すぎん?って思って話聞いてたら、「ちょっと今日は風が抜ける時あって面白くなかった💦前のレースは30kt(15m/s)くらいあったよ😄」とのこと。へえー。30ktか。


・レースでダックジャイブしてる人がいた
かっこええ。パフォーマンス用やと思ってた。

・風の予報が当たらんすぎる​
アベ1.5マックス2みたいなマスパン予報で10余裕で吹いてた。
👇この予報で、ノボプレです。


・6時間APした後、激寒震えながら出艇

レース海面着くや否や、鬼ブロー👹に襲撃され、ヤバい時のホーンが鳴らされ、強制帰還しました。30kt以上あったらしい。ホンマに、波もえぐいし、とにかく気温と水温低すぎ。

イタリア来て氷水入ってんの、私らとイッテQ温泉同好会くらいしかおらんで。

コーチのいない日本人たちはどんどん流され、山の端が見えました。2時間くらい、凍えた🥶

👇帰着後の風景。雪が積もってる⛄

👇帰りの空、どう見てもやばい、あの青色の中にいました。

​これをサバイバルゲームって呼ぶんやで。

・レース後パスタが無料でついてくる
めちゃくちゃ美味しい。夜ご飯代浮かすために2回並んで2杯もらってるガメつい日本人やってましたσ(^_^;)

・運営がAP中ワイン🍷グラスでちゃんと飲んでる
あれ?昨日見たレスキュー船のおじちゃんちゃん??

・とにかくみんなウインド楽しんでる‼️
わたしもここ来てウインドそれ自体の楽しさ再認識。これが1番。



最後に

・観光2週間(ハードモード1人観光)
・大会1週間(もちろん過酷)

きついことばっかりやったし、はたから見たら修行みたいな3週間やったと思います。

でも自分自身、20年の人生でイッチヴァン濃密で人としての成長率えぐい3週間だった自信があります。

ほんまにどんどんイタリアが好きなってった。
めっっちゃ素敵な国❤️😀
なんなら日本帰りたくなさすぎて逆ホームシックで関空着いてお母さんとしゃべってたら「イタリア帰りだいーーーー」って涙出た。(失礼)

もちろん、ウゲーーーってこととか、ウヒャーーーってこととか、ギョーーーーーってこともいっぱいある、というかそんなことしかなかった。

でも、そんなこんなも含め、野望な挑戦をした自分を誇りに思います。

それ以上に、勝手に決めて勝手にイタリア飛んでった私を許してくれた(と願っていますお願い🥹)全ての人々に感謝申し上げます。


Grazie mille!!!!!!!

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