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何のために外に出るのか?


私の答えは誰かと会うためである。
行きたい場所はあまり無い。コロナ禍でのおうち生活をラッキーと思ってたタイプの人間だ。
推しのライブはまた別であるがあまり頻度は多く無いので今回は除いて考えよう。
つまり、私は外に出てどこかに行くことは誰かに会うための手段にすぎない。目的は友達や恋人に会って楽しい時間を過ごすことである。
しかし世の中にはそのように考えていない人もいる。彼らは基本的に1人行動をせず、誰かと会うということを手段とし行きたい場所に行くことを目的と捉える。というか、そっちのタイプの方が多いのかもしれない。
 いわゆる陽キャに多いタイプな気がしている。例えば〇〇ちゃんと遠出したいから『ディズニーランドに行こう』ではなく『ディズニーランドが好きだから誰かと行きたい』ということである。この程度なら誰にでもありそうな思考だがこれが一歩進むと『ディズニーの年パスあるから誰か一緒に行かない?』となる。
行くことが目的となっている。これってインスタのストーリーで『誰か通話しよー』と言ってる人と私からしたら同じだ。というか、誰とでも出かけることのできる精神は素晴らしいとしか言いようがない。私のような人見知りには土台難しい。たまに誘う側ではなく誘われることがあるがすごくビビる。
 私には彼らの考えていることがあまり理解できない。私は基本的に人と会うのが目的なのでどこに行っても基本的にその人と居れば楽しいし逆を言えばどこに行ってもご飯の味なんて本当は味わっていない。『美味し〜』なんて可愛いふりして行っているが、その実、味などわかったものではない。そんなことより会話を盛り上げて楽しむことに熱中しているのだから。
『美味しいね』と友人に微笑みかけられても私には味はあまりわからない。単純に人と出かけることに緊張していることもあるが。
そして少しだけ悲しい。そんなもんだと言われてしまえばそれまでだ。人間関係においても仕事においても絶対この人じゃなきゃ嫌だと思っても案外代わりはいるものだ。だからそんな誰かの特別に固執せず自分の楽しい物を見つけたらいいじゃない?と誰かの声が聞こえる。けれど、そんなことはわかっていても。
そんなに仲良く無い友人でも誰でも、とにかくテーマパークの年パスの元を取りたいとか、あのカフェ行きたいとかそんな目的のためなら誘えるのが凄いし寂しい。
 私は今日も味のしないドーナツを食べる。
友人曰く『世界一美味しい』らしい。
でも私の視界には友人のキラキラした笑顔しか映っていない。


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