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家族のこと 3

酒乱の祖父に対しては小学生くらいの頃は恐怖でしかなかったが、年齢が上がるにつれて私が母を守らなければと思うようになっていった。
暴れてる祖父に何も手出しをしない父が頼りなくて父の代わりに母を守らなければと思った。

当初は朝昼晩関係なく家に来ては暴れていた祖父だが、時が経つにつれて夕方から夜間に来ることが増えた。

祖父のパターンはいつも決まっていた。

泣きながら「許してくれ 許してくれ」と家に入ってくる。最初はそう言って泣いている祖父がどんどん恨みつらみに変わっていく。その内容は我が家に対する恨みつらみだった。その恨みつらみを言うことで更に気分が高揚していって、最後に手が出るという有様だった。

何をそんなに我が家に恨言があるのかと思ったのだが、どうやら「商人の出のくせしてえらそうにしやがって」というのが根本にあることに気づいた。

「わしは武家の末裔。お前らは商人。それなのになぜわしよりいい暮らしをしてるんや」

これに尽きていた。
まともに話を聞いていたら気が狂いそうなほどの嫉み嫉み恨み辛みのオンパレードだった。

一度、あまりの罵詈雑言に腹に据えかねた祖父(いわゆる父の育ての親であり、父の伯父)が、その酒乱の祖父(父の実父)の目の前に、お札をばら撒いたそうだ。「そんなに我が家が憎いのか。お金があるのがそんなに憎いのなら持っていけ!」と。
そうしたら、必死でそのばら撒かれたお札をかき集めて帰っていったそうだ。

ただその次の日は今度はまた「金の力を見せつけてわしを馬鹿にしやがって!」と暴れに来た。

武家の末裔であり、信長と戦った、信長に滅ぼされたが今でも城の跡は残っている 
それが祖父のおそらく誇りであったのだろうけれど
実際の今の暮らしは質素なものであったので、いわゆる武士より身分の低い商人だった我が家が気楽に暮らしているのが憎かったのだろう。

一度酒乱の時期が始まると5日は続いた。我が家に怒鳴り込みにきたら、まず家中の包丁を隠した。包丁を持って殺すぞと言われることもあったからだ。
警察を呼んだことも何度もあった。それでも警察は身内の問題として不介入であり、一晩牢に入って出てくるだけだった。ただそうなった翌日は
「警察を呼びやがって」と更に酒乱は悪化した。

私は中学、高校と年齢が上がるにつれて母や祖母(その頃はもう曽祖母も父の育ての親である祖父も亡くなっていた)を守らなければと思うようになり、父の実父であり酒乱の祖父が怒鳴り込みにきたら家族の前に立ちはだかるようになった。
そして祖父にありったけの軽蔑の言葉を浴びせるようになった。火に油を注ぐことは承知していたが、言われっぱなしということに我慢ならなかった。

「まともに聞くから腹が立つんや。こういう時は全然違うことを考えてたらええんや。相手にしたらあかん。そうしてるうちに気が済んで帰って行くから」と父は私にそう言った。
私はその考えには納得いかなかった。
そういうその場しのぎの父の態度だから、調子に乗って祖父は毎回暴れにくるんじゃないのか。
私はずっとそう思っていた。

ある日、高校生の時に学校帰り歩いていると、酒に酔った祖父が我が家の方に向かってるのを見かけた。その日は家に祖母(父の育ての母)しか家にいなかったので、私は一目散に家に走って行った。
その祖母の前に立ちはだかった私を見て祖父は、鼻でせせら笑った。「お嬢様学校に行ってるお前がわしにこんな態度をとるのは学校の先生は知ってるのか。学校に電話してやろうか。」と言ってきた。
その後も罵詈雑言を私と祖母に浴びせてきた。

その時、なぜか分からないけれど私の中で本当に何かのスイッチが入った。


遠くから祖母が「〇〇ちゃん(私の名前)、やめて!やめなさい!〇〇ちゃん!」と叫んでいる声が聞こえてきてハッと気づくと、私は祖父の上に馬乗りになり、祖父の首を必死で絞めていた。
そしてその私をなんとか止めようと祖母がしていたのだ。






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