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こんぐらっつ!THAチーム

アジア大会の団体女子で
3位銅メダルを獲得したのはTHAとKOR。
(決定戦はなく、SFに進出した段階で銅メダル以上確定)

写真はWT表彰式でのタイ女子の写真
各選手や関係者のSNS投稿では、みんな笑顔。
しかも沢山の人が、笑顔と祝福と誇りある投稿で溢れています。

東京五輪での女子団体では
3位決定戦で、香港が、なんとドイツを下してメダルを獲得しました。
その時も、香港チームは、本当に喜んで、帰国後もヒロイン扱いされていました。

3位で、こんなハッピーな笑顔は、新鮮ですし、嬉しくなります。


日本女子はたしかに強い。2番目に。
ずっと中国には勝てないので、銀メダルや銅メダルでは、大喜びはしません。

報道では、卓球の女子日本代表チームは、「若く」「楽しく」がモットーで、笑顔が絶えない、と書きますが、中国に敗戦後のメダルでは、「喜びも中ぐらいなり」です。

日本は、災害や戦禍で、普通の生活が出来ない厳しい時を過ごしています。
「有り難さ」を感じるのが、特意な国民です。
しかし、普通に慣れてしまって、普通の有り難さを忘れます。
いや、忘れていなくても、表に出す、表現する、意志を示す事は重要です。

最近の多くのスポーツのジュニア以下、いやシニアでも、「感謝」を常に意識するのは、当たり前みたいな、良いガバナンスやポリシーが浸透居ているはずなのに。

まあ、今回の日本女子は、悔しさを抑えて居ます。
それは、たまたま、中国女子に少し迫った満足感からではなかったでしょうか。
批判的に書く訳ではないですが、スポンサーや多くの関係者やファン、もっと感謝の言動があっても良いと思うし、少しはあるはずなので、そういう行為を報道すべきです。


日本の柔道競技の国際大会では、金メダル以外では喜びません。
以前ほどではないですが、「苦虫を噛み潰した顔」のイメージ。
例え、優勝候補の筆頭ではない選手がメダル獲得しても、滅多なことでは笑顔の大安売りはしません。

同様に、世界のスポーツシーンでも、サッカーの表彰式でも、嫌なシーンが時々見られます。

決勝で負けたチームは、すぐに実施される表彰式で、選手一人一人に、メダルの授与がされます。
首にかけて、3秒で首から外して、ポケットに入れる選手も居ます。
大抵が強豪チームです。

自分が100点の結果以外は、「あんなに頑張ったのに受け入れられない」と。
気持ちは理解できるが、
「ベンチ外の選手や、その場に進出できなかったチームに対しての配慮が足りない」
と、批判記事が、日本以外でも出ます。


昔・1970年-80年代の頃、プロ野球全盛期?テレビ全盛期?。
NPBでは、ファンに頭を下げたり、言葉で感謝を示すのは、年に一回の「ファン感謝デー」だけでした。

その頃から、他スポーツや競技では、試合前後にファンに「礼」や感謝の言葉をかける事がありました。

が、プロ野球では、全体的には潤っているので、あまり興味を示しませんでした。大名商売。

当時から、変な奴だった私は、強くない阪神タイガースの複数のファンに、試合後、勝っても負けても全員で、帽子を取り、「応援ありがとうございます」の一言ぐらいあって然るべき。と言い放ちました。
笑われました。

他チームや他スポーツと差別化すれば人気も出るし…という提案?をしていました。

自慢話ではありません。
今や、NPBの毎試合、高校野球みたいに挨拶します。
それは、客が少なくなり、身売りしたり、テレビの放送が激減し、商売が苦しくなって、言わば「普通ではない」状態になって、気づいたのです。

感謝の意を示すことも必要で、サッカーでも柔道でも、高校野球でも、街のカルチャーセンター・文化教室でも「礼節」的なものはある、と。


私が好きな言葉の一つに
「慮る」(おもんぱかる)
というのがあります。

辞書には、「周囲の状況などをよくよく考える。思いめぐらす」とあります。

日本人は得意とされますが、個人主義や、選択肢が増えて、慮る事が少なくなってきました。
ノスタルジーや、センチメンタルな事ではなく。

いくら、科学や文明が進んでも、結局は、人間が生きていく上での、「営み」を円滑にしたり、気持ちが動くのは、この「慮る」事を無視しては、あらゆる事で、質が低下します。

タイチームの選手の皆さん、おめでとうございます。

end



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