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座りしょん

「座りしょん」という言葉聞いたことありますか?男性が排尿する時に、便器に座って排尿してください。ということを「座りしょん」と言います。
この座りしょんを勧めているところって、施設(高齢者や障害等)が多いのですが、僕はこの「座りしょん」という考え方は違うと思っています。
この「座りしょん」の考え方の一番悪いところは、介護する側、支援する側の立場から出ている考え方だからである。
高齢者介護にしろ、障害者支援にしろ、障害児支援にしろ、利用者の立場から考えてケアを行わなければなりません。利用中心のケアでなければいけません。「座りしょん」は、ケアする側の立場から出て来た考えが9.5割くらいだと思います。何故なら、トイレ掃除するのは職員です。職員の掃除の手間をかけさせないために座って排尿しろ!と上から目線で命令しているわけです。高齢者は65歳以上、障害者は18歳以上の年齢を指しますが、18年間排尿の時だけはたって行って来た生活習慣があります。それを職員の掃除を楽にさせるために、なぜ、長年培ってきた利用者の生活習慣を強制的に替えようとするのでしょうか。そんなつもりはない!というかもしれませんが、そういうことをさせているのです。現実には。つもりとかつもりじゃないとか、現実に座りしょんを勧めているのだから、つもりだとかの問題じゃない。例が少し乱暴かもしれませんが、包丁をあなたに向かって投げてきた人がいて、あなたが「危ないじゃない」と怒鳴ったら「怪我させるつもりじゃない」といってきて、それを信じることできますか?

掃除が大変って、それが仕事なんだから仕方がない。それをしたくない。さぼりたいなら他の仕事をすればいい。

介護という職種で飯を食っている職員であれば、もっと頭を使うべきだろう。
自分で掃除をするのが嫌なら、汚した利用者に掃除をさせればいいだろう。大抵高齢者で汚す人は認知症や認知機能が低下してきている人である。その人達がトイレを汚したのであれば、一緒に掃除して汚したら片付けるということが出来るようにしていけばいい。そいうことをさせるのが介護ではないのか、馬鹿の一つ覚えみたいに、なんで「また汚してケツかる」と文句を言いながら掃除をしなければいけないんだ。馬鹿か。知恵があるのか?考えているのか?何しながら仕事している?そいうことが考えることが出来無いのは、仕事をしていると言わない、ただ作業をしているだけだろう。

高齢者になると今まで出来ていたことが出来なくなり落ち込んでいく。認知症になれば、その落ち込み方は大きく、深い。そんな時に、人の役に立つことが出来る。トイレ掃除をして、認知症の方が掃除して綺麗になって、みんなから感謝されて生きる希望が持てて、元気になっていく。そうすれば、多少なりとも認知機能は向上する。もちろん、認知症の人が掃除をして、褒められるほど、綺麗に掃除できない。職員の99%のサポートがあってこそ綺麗になる。しかし、そこで「あんたなんか掃除しても汚れていくだけじゃん」と言いたくなる気持ちを抑えて、認知症の人がやってくれてとても綺麗になった。助かる。ありがたいと自分にも周りにも吹聴して認知症の人にエールを送る。これがケアってもんでしょう。これが介護している醍醐味で楽しみで、嬉しさでしょう。そこに喜びを感じることが出来無いのであれば、あなたは介護職に向いていない。今すぐ辞めてください。と言いたい。(言ってるけど。笑)

障害者支援であれば、尚更トイレ掃除をしてもらった方が良い。18歳二十歳などのこれから長い人生がある人達は、一人で暮らしていく。一人で生きていく。為のトレーニングが必要である。その為に、トイレを汚したらその都度トイレ掃除をして、汚れがまだ小さい、少ないうちに綺麗にして、こまめに掃除をする習慣を身に着けさせる。座りしょんの習慣を付けさせるよりも、トイレ掃除が出来るようにさせた方が後々その人の人生にとってプラスになる。そういうことをケアしながら考えないのだろうか?頭がおかしいとしか思えない。

そして、もし、障害児支援だった場合。座りしょんの習慣を付けさせるのは割と簡単だ。まだ子供だから。変更は簡単に出来る。その場合の問題点としては、座りしょんが習慣化して、その児童が軽度の知的障害だったとして、普通の学校に行けたとする。そうすると、学校のトイレは、座りしょんでなく、立ちしょん。座ってする時は「大便」のときだけ。そして、小学校の時というのは、自分も経験があるが、学校のトイレで「大」をしようとして、座りトイレに入ると揶揄われる。出てくると「くさい」逃げろーとか言って逃げて行く。そんなこと言う奴がクラスに1,2人は居る。ただ本当に揶揄っているだけで終ればいいが、イジメに発展して行く可能性がある。軽度の知的障害の自動でなければ「くさい」逃げろーと言われたら「ウンコ大魔神だ」とかいってその友達を追いかけまわしてそれをコミュニケーションの一つとして、きっかけとして使うことが出来る。しかし、軽度の知的障害があると、悪口を言われたと思われてしまいイジメに発展する前に、不登校になる可能性もある。

座りしょんの弊害を本気で考えて、そのように提案しているのか。提案者は。もし、こんなことも考えることが出来ずに、弊害の対応策も考えておらず、提案していたのなら、「死んでくれ」と思ってしまう。

高齢者分野、障害者分野、障害児分野でも座りしょんをして、その人達が利益を得ることはほぼ無く、職員が仕事をさぼれる時間が出来るだけ。そんな提案アホらしくて聞く時間ももったいない。もっと利用者が楽しく、元気に、希望を持って生きることが出来る提案をして欲しものだ。


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