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ボクのゴジラ論 part2

日本アカデミー賞に続き本場のアカデミー賞でも視覚効果賞受賞!

おめでとうございます㊗️

受賞はさておき、前回に続いてボクのゴジラ論を書きます。

終戦からたった9年後に核の象徴として誕生したゴジラ。加えて昭和29年は自衛隊設立の年、そしてアメリカによる度重なる水爆実験で日本のマグロ漁船の第五福竜丸が被曝し半年後に乗組員が亡くなるという大事件があった年です。

原爆以来またも日本人が核の犠牲となったことで大きなニュースになったようです。しかし当時はGHQによる統治から自治を取り戻したとはいえアメリカに対して強く抗議することも出来ず単なる見舞金という形で処理されたという。そのことに対する怒りや、憲法9条がらみの自衛隊創設への異論。それらがテーマとなって「ゴジラ」は誕生した。

米ソの対立が深まる中、水爆実験で生まれたゴジラは可視化された核の脅威そのものだったのです。

映画の中でゴジラに対するのは正式には自衛隊ではなく防衛隊であり、映画の中で米国という単語は一度も出てこない。このあたりは自治を取り戻したとはいえ、まだ各方面に気を遣いながらの制作だったことが伺えます。

防衛隊はゴジラの進行になす術もなく下がる一方で、戦闘機の機関砲はことごとく外れ、あんなに大きな的にさえ当たらないという無能ぶりが描かれています。国会のシーンでは情報の隠蔽に抗議する女性議員を若き日の菅井きんさんが演じています。ラストシーンでゴジラが東京湾に沈んだ後に、

「あれが最後の一匹とは思えない、もしまた水爆実験が繰り返されるなら…あの同類が世界のどこかに現れるかも知れない」

という主人公の一人である山根博士のセリフで終わります。

「ゴジラ」は単なる怪獣映画ではなくあの戦争への反省であり、今なお水爆実験を続ける米国への抗議、真面目に言えばかなりの圧力を受けるであろう反戦、反核のメッセージを大怪獣空想映画の中に秘めていたのです。

映画は大ヒットしたが、世の中が復興から経済成長へと向かう時代において露骨な核批判は問題で、二作目以降その思想は影を潜め、三作目ではアメリカからキングコングを迎え引き分けるというなんとも政治的な決着に。

そして次第にゴジラも変化していきます。顔もドングリ眼のカワイイ顔になり、岩を蹴ってサッカーをしたり、当時流行ってたギャグを入れたり、悪い怪獣をやっつける正義の怪獣みたいな立ち位置で、反戦・反核から一転、鉄腕アトムと共に原子力発電を推し進める時流に乗っかっていきます。

小学生だったボクにはもちろん反戦とか反核なんて意識はなかったけど…脅威じゃなくなったゴジラに興味をなくし、その後登場するゴジラの息子ミニラや、4年生の夏に観た「ゴジラ対ヘドラ」でゴジラが飛ぶシーンには怒りさえ覚えた。それが原因で二学期が始まって早々に学校で事件が…いま思うとそれが素直だった少年が捻れ始めるきっかけだったかも…😅 ま、それはここでは関係ないのでまたの機会に…

そして小6の冬に「燃えよドラゴン」を観て、完全にゴジラへの興味はなくなった。

70年代のゴジラは夏冬春休みの子供向け映画でしたが、84年に公開された「ゴジラ」以降は核問題や米ソ冷戦時代の世情を反映した大人も楽しめるストーリーになります。

第一作の「ゴジラ」には到底及ばないが、そのストーリー性を少し取り戻した感じです。その中でボクが推すのは95年の

「ゴジラ対デストロイア」

昭和29年の「ゴジラ」のストーリーを引き継いでおり、当時の映像も使われている作品です。体内での核分裂を制御できなくなって暴走するゴジラが都心でメルトダウン!

ゴジラ死す!というサブタイトルがついてます。実は2作目以降ゴジラは死んだことがない。ゴジラが死ぬ⁉️ と久しぶりにワクワクして観に行きました。

後に3.11の福島原発事故のニュースでメルトダウンという言葉を何度も聞いて、これはエラいことになったと、この映画を思い出したっけ😅デストロイアのカッコ悪さは大きなマイナスですが、昭和29年の「ゴジラ」の後に観るのをオススメします。

やっばり長くなったので、また次回。

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