見出し画像

精神病院の閉鎖病棟は、伝説を作るにはいまいちだったけど

普段から精神病をネタにしているから、或いはタフになってきているのだろうか

眠れないから文章でも書こう。さすがに昼は、夜に比べて眠れない。とりあえず、もう二〇二三年も一一月八日だな。

つい昨日もせっかく書いた長文を消したりしていたのだけど、こうしてまた何だかんだで書き始めている。最近では、自分はあまりそういう事に精神的なダメージを食らわなくなったようだ。

このタフさは、或いは普段から障害をネタにしている事から生まれてきているのだろうか。以前は精神的に弱かったのだとしても、気付かずに強くなっている可能性はある。

そもそも自分は、本当に精神的に弱かったのだろうか。それも疑問だ。最近では、何があっても動じなくなってきているし。

このブレない人格は、一体どこから生まれてきたのだろうか。もう何が起こってもどうでもいいのかもしれない。結局、自分は自分だ。他人がどうであっても特に関係ない。

精神病院の閉鎖病棟は、伝説を作るにはいまいちだったけど

そもそも若い頃の自分には、伝説を作ろうという野心があった。その伝説は、何でもよかった。自分は、特に拘りもなくただ漠然と伝説を作ろうと思っていた。

それで気が付いたら精神病院の閉鎖病棟に閉じ込められていた。少し、思ったのとは違っていた。精神病院の閉鎖病棟は、自分の感覚からは伝説としてはいまいちだった。本当は自分は、刑務所なんかがいいと思っていたのだ。

それにしても精神病院の閉鎖病棟は、笑いのネタぐらいにはなるのではないだろうか。と、そう思って今は生きるしかないと思うのだ。本当はもっと格好良くやりたかったのだが、まあ格好悪くてもいいだろう。それもまた人生だ。

刑務所がリアルに格好いいと思っていたので、そこへ行くと精神病院は格好悪い印象があった。自分は大いに不満だったのだが、それでも生きて行くためにはそれを笑いに変えて行かなければならないのだろうから仕方がない。

自分で決めた訳ではないが、結局人生なんてそんなものだ。何事も格好良くは行かない。

何が起こっても、ネタに変えて行く強さについて

それで、自分は結局現在何が目的なのか。若い頃は、確かに伝説を作る事が目的だったのだが、今となっては格好悪い過去を笑いに変えて行くしかない。

それが生きて行くという事で、格好良くても格好悪くても関係ない。

結局、せっかく書いた長文を消しても、また書き始めなければならない。くよくよしていては、また病状が後退して行く。

それで少し思ったのだが、伝説を作りたいという感覚はその時には既に病気だったのだろうか、或いはそこまでは一般的な感覚だったのだろうか。

よく分からないけど、事実は事実で進んで行く。深く考えている暇もないほどの速度で。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?