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Spotify「Kate Bush vs Toyah 20」

Introduction

Kate Bush の「Running Up That Hill」が Netflix 「Stranger Things」で用いられ再ブレイク、全英シングル・チャート1位を獲得した、というニュースに接しました。Kate の全英 1位は、デビュー曲「Wuthering Heights」以来の 44年ぶりでギネス記録らしく、おのずとぼくの記憶も 44年前に引き戻されました。1978年といえば、プログレの黄昏とともに新たなムーブメントが起こってきた時節。ニューウエーブ前夜、とも言えますね。

「Kate Bush vs Toyah 20」 というタイトルに疑問を抱かれた読者もいるでしょう。二人にどんな脈絡があるのか、と。実は二人とも同じ1958年生まれ、同じインクランド出身、同じようにエキセントリックな女性……。そしてプログレの背景から眺めると、もろもろ感慨深いことも……。

Kate Bush 

Kate Bush でまず思いだされるのが、その鮮烈なデビューでした。1978年 Pink Floyd の David Gilmour に見いだされ、19歳で「Wuthering Heights」を発表、いきなり全英 1位を記録しました。はじめはアイドルあつかいの面が無きにしも非らずでしたが、彼女の実力はそれをいとも簡単に凌駕して、多くの聴衆の支持を得たのです。一度聴いたら忘れられない粘着性のある耳触りの声質、甲高い高音から這うような低音まで瞬時にワープする歌唱法。加えて、ヴォーカルと一体化した彼女のパフォーマンスは、当時としては画期的でした。ダンスとパントマイムをミックスした独創性に溢れるもので、それもそのはず、Kate はデビュー前にマイムの第一人者である Lindsay Kemp に師事していました。

デビューシングルの印象が強すぎて、78年にリリースされた 1st & 2nd アルバムのほうは霞みがちです。しかし 80年の 3rd「魔物語」のコンセプトは素晴らしく、このアルバムが Kata Bush のイメージを決定付けます。斬新かつ多彩なサウンドを基調にクラシックとアートロックを縦横に展開、本作が全英アルバム1位を獲得したことは同時に女性アーティストのアルバムとしても史上初の快挙だったのです。続く4th「ドリーミング」を含め、この時期が Kate のピークで、もともと芸術家肌の寡作気質でもあるため、生涯のディスコグラフィーにおいてもひときわ輝いています。

ただ忘れてはならないのが、この時期のシーンのベクトルです。プログレは完全に衰退の一途で、パンクの破壊衝動は長続きせず、ポストパンクと呼ばれるムーブメントが本来的な意味で新しい芽吹きを見せ始めます。つまり、Kate の音楽性は時代に受け入れられたというよりも、むしろ時代に逆行する、あるいはもっと大きなコンテクストで語られるべき事象たった、ということ。ぼくのイメージでは、時制の数直線上に透明の防御シールドで囲まれた別空間があり、その住人である唯一無二の Kate だけは時代性と無縁でいられた感じがあります。

なにかに庇護されている、ような。これは、英国民に愛される、といった印象にも通じます。Mike Oldfield の記事で「Pink Floyd と Mike Oldfield はちょっと別格で、もはや国民の音楽」という表現を使いましたが、あの感覚に似ているのです。Pink Floyd でも、Roger Waters ではなく David Gilmour のほうですが (英ラジオ局が行った、ロック史上最高のギターソロ・アンケートで Guilmour は堂々の1位ですから)。

そして1986年、Peter Gabriel との「Don't Give Up」で Kate は存在感を示します。彼女が絡む大物とのあいだには win-win の関係が見られます。

Toyah Willcox

一方の Toyah、こちらは Kate と対照的でした。ぼくが彼女を知ったのは 80年の 2nd「The Blue Meaning」でした。当時 S木くんといっしょにダイエー系列のレコード店でアルバイトをしていたので、そこで新譜をカセット録音したことを覚えています。サウンド的にはバリバリのニューウェーブで、パンキッシュな装い (髪型から挙動まで) を全面に押しだすフロントマンとして Toyah と出会ったわけです。

とくにアルバム・トップの「Ieya」はキャッチーで、それなりにインパクトがありました。ぼくはこの曲に惹かれ、かなりアルバム自体を聴き込みました。もちろん意識の片隅では、Siouxsie & The Banshees の二番煎じかもしれない、という当時の新人バンドにありがちな傾向にちゃんと留意しながら、です (アン・ルイスにも似ていましたね)。今後を楽しみにひとまずは及第点を付けた、というのが正確なところでしょうか。

その後、ぼく的に Toyah の情報が更新されることはなかったのです。ぼく自身のアンテナ不良は棚にあげるとしても、首尾よくニューウェーブに乗り切って音楽シーンの第一線に出るようなことは。まあ、これはべつに珍しいことでもなく、この時期、多くの新人バンド/アーティストが雨後の筍よろしく出てきて消えていったのは事実です。ところが、です。ところが次に Toyah と再会するのは、まったく予期せぬ、それこそ明後日の方角から不意打ちを食らうような形で……。そう、あのクリムゾンの総帥 Robert Fripp と結婚した、という……。

1986年、Toyah Willcox は Robert Fripp と結婚。Fripp は40歳で、ちょうど 2年前に再結成期クリムゾンを解散させて一息ついた頃です。

この一報を知ったときは「Toyahって誰? まさかあの Toyah?」というのが率直な感想でした。それほど違和感があり、と同時に彼女についてほぼ何も知らないことに気付きました。で、後追いで調べてぼくなりに整理できたのが、次の二点です。ひとつは、彼女がミュージシャンとしては (超一流というには) イマイチで、トップ 40 にはそこそこチャートインするものの、結局 1位になるヒット作はなかったということ。もうひとつが、音楽以外にも若い時分から演劇や TV での露出には積極的で、行動力はあったということ。社会活動家、あるいはリアリストとしての一面も無視できない。

この見方は、無意識下に眠らせながら、その後もずっと持ち続けていたのだと思います。それが意識の閾を超えて甦ったのが、何倍にも膨れあがって再認識されたのが、2020年、新型コロナによってステイホームを余儀なくされたときに放たれた、例の動画です (Toyah & Robert's Sunday Lunch)。世界中のロック・ファンが、おったまげました。ひっくり返りました。クリムゾン・フリークはなおのこと。いや、もう絶句でしたよね。

Conclusion 

ふと思います。Kate と Toyah、もしぼくが結婚するならどちらを選ぶのだろうか、と。かたやアーティストとして独創性に恵まれ、愛くるしく、情緒的だけれども不器用な女性。かたやリアリストとして秀で、社会貢献にもどんどんコミットする、しかし芸術的才能があと少し足りない女性。同い年、同じ国籍、でありながら、タイプ的には正反対。その二人が 80年前後の一時期、それとは知らずに音楽シーンの片隅で交差していたのです

で、上の問いに対するぼくの回答。もしぼくの年齢が 20代前半なら、と書きかけたのですが、やはり文字にするのは止めておきます。↑ の動画「Sunday Lunch」のどれを添付しようか選んでいたら (何本もこのシリーズを見ていたら)、だんだん Fripp 大先生に失礼な気がしてきたので。というより、これ以上弄言を費やすのはナンセンスですよね。恋愛対象を結婚という枠組で問うこと自体、いまや間違いなのでしょう。まあ、いずれにしても、こんな切口で作成されたプレイリストは世界にひとつしかない (自己満足)、ってことでお茶を濁しておきます。

それでは、また。
See you soon on note (on Spotify).






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