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ぼくのプログレ四天王

ぼくの実体験から言うと「プログレ5大バンド」という括りかたは比較的新しいものでした。少なくとも、ぼくが本格的にプログレを聴きだした頃は「プログレ四天王」という呼称のほうが馴染みがあり、Pink Floyd、King Crimson、Yes、ELP、の 4バンドを指しました。おそらくその理由は 、デビュー時期うんぬんよりも、社会的認知を得た時期によって見方が変わったからでしょう。Genesis のヒットがもっとも遅かった、ということです。

それぞれの初ヒット

Pink Floyd「Ummagumma」1969年・5位

King Crimson「In The Court Of The Crimson King」1969年・5位
 
Yes「The Yes Album」1970年・4位

ELP「Emerson Lake & Palmer」1970年・4位 

Genesis「Selling England By The Pound」1973年・3位 

原題表記のみ

全英トップ5 に初チャートインした年度を見ると、Genesis だけ3・4年遅いのがわかります。下積みが長ったというより、他の 4バンドの印象が鮮烈すぎたのでしょうね。つまり「5大バンド」という捉えかたは、Genesis がメジャーになり、その後の偉大な活躍ぶりを振り返ることによって再定義された側面があったのだと思います。で、ぼくの「ブログレ四天王」は上記の 4バンドとは異なります。

レコード収集の「担当制」

ぼくの「プログレ四天王」を記す前に、当時の文化的状況をあらかじめ共有しておくほうがいいですね。LP レコード全盛の時代ですから。

↑ の馬場教二さんの描写は、そのままぼくの青春期です。とくに 3頁「担当制」のくだりはドンピシャすぎ、中学ではまさにぼくが「プログレ本流担当」だったのです。中学時のぼくの小遣いは3000円でした。毎月 LPレコードを一枚買うことが楽しみで、当時は洋楽情報がきわめて少ないため、失敗か許されないプレッシャーを抱えながらジャケット・デザインとレコード帯のキャッチコピーだけを頼りに「これだ!」と腹を括ってキャッシャーに向かったものでした。そうしてレコードを収集することが、イコール音楽を聴くという趣味の形でした 。コンテンツはフィジカルに依存しました。

ぼくが 14歳~16歳にかけて LP収集の対象としたプログレは、Yes、ELP がほぼ同時 → King Crimson → Genesis、といった順番でした。Pink Floyd が含まれないのは、友人 S木くんのお姉さんが代表作を持っていたからで、ほとんどカセットテープに録音してもらっていました。まさに「担当制」の恩恵でした。他にも I 藤くんはユーロ・プログレを、N川くんは Camel、Caravan といったプログレ傍流を、自然発生的に担当していました。

S木くんのお姉さんは 5歳年上で、ちょうど先行世代のロックを聴いていたようです。The Beatles、Jimi Hendrix、はもちろん、Led Zeppeiln、The Who、Uriah Heep、David Bowie、等々。薄暗い和室でお姉さんの所蔵品を並べ、ジャケットの品評会をしたことは鮮明に覚えています。ぼくを共犯者にするかのように次々とレコードを引っぱりだす S木くん。サイケデリックやインド哲学にも傾いていたのか、Tangerine Dream、Ravi Shankar、もありました。急にお姉さんが帰ってきたら怒られるな、とドキドキしながらも、大学生の秘密を盗み見るような甘い罪悪感がありました。

意中のプログレバンド 

そういった経緯があり、ぼくの「プログレ四天王」からはまず Pink Floyd が脱落しました。実際 Floyd の音楽性は 70年「原子心母」~75年「炎」までほぼ同じで、どのアルバムを聴いても変わり映えがしない、冗長なワンパターンで個々のテクニックに欠ける、等々の批判がありました。まして多感な十代ですから、日々成長を続ける感性にはマンネリズムが許せなかったことも付け加えておきます。1974年以降はプログレ自体がダウントレンドに入ったのに、Floyd の何もしない (新たな試みがない) 姿勢は逆にぼくを苛立たせたのです。体感的/主観的に十代の 1年は五十代の 5年に相当します (ジャネの法則)。いま思えば、Pink Floyd の壮大さを理解するにはぼくはせっかちで若すぎた、ということでしょう。

次に「プログレ四天王」から外れたのは ELP でした。こちらは典型的な「熱しやすくて冷めやすい」症候群に見舞われました。プログレ初期の魅力のひとつがキーボードにあったので、当然ぼくも Kieth Emerson と Rick Wakeman をフォローはしました。しかし、サウンドに飽きると、今度はバンドとしてのバランスに目が向き、各々のバンドでキーボードの占める割合が大きければ大きいほどそのバンドは魅力を失うように感じました。早い話、Rick のいない Yes はあり得ても、Kieth のいない ELP はあり得ません。また71年「展覧会の絵」「タルカス」~73年「恐怖の頭脳改革」までに ELP の可能性はすべて出尽くした感もあったのです。お笑いで言うところの「出落ち」ですね。その見方は現在も変わりません。

1977年に最新作のリリース状況に追いついたぼくは「アニマルズ」と「ELP 四部作」を聴き、ファンとしての行末に憂いを覚えたものです。そしてこの頃には、Yes、Genesis、King Crimson、の 3バンド (=御三家) が明確にぼくの中心になっていたと思います。

四番目の玉座に座るのは?

御三家の詳細はそれぞれの記事に譲るとして、では四番目の候補は何だったのか。1976年~80年までの十代後半を、ぼくはぼくだけの「プログレ四天王」を無意識裏に探し求めます。まず Camel が筆頭候補でした。が、残念な点がふたつありました。ひとつは活動時期が微妙にズレていた点、「蜃気楼」「スノーグース」「ムーンマッドネス」と内容的には素晴らしい作品群を発表したにもかかわらず、1974年以降のプログレ界はまさに逆風でイマイチ人気が沸騰しませんでした (1973年プログレ絶頂説を参照)。もうひとつはヴォーカルおよび歌詞が脆弱な点、当時のプログレには必須と見られていた「哲学」が根本的に欠けていました (このへんのニュアンスはいまの若者には信じられないでしょう)。

そうです、当時のプログレには思想・内的宇宙・理論的背景といった「哲学」がセットでした。Yes には Jon Anderson が、Genesis には Peter Gabriel がいて、Crimson には Pete Sinfield という作詞専門のメンバーがいました。彼らは難解なテキスト・メッセージを昇華させ、文学的かつ前衛的意匠を纏いました。ファンはファンでそれらの「理解不能性」をカッコイイとさえ思っていました。新興宗教かよ、と突っ込まれそうですが、たぶん信仰のメカニズムは似ていたのだと思います。「哲学」のないバンドはどこか軽薄に映り、時代性から零れ落ちたのです。

Camel のその欠陥を補うかのように、次に関心を寄せたのが VDGG でした。Peter Hammill の歌詞は内省的で、どんどん惹き込まれました。Crimson のダークネスとヘビィネスをさらに深めたような世界観。詩人 Peter の渋い声色を支えるバックメンバー。LPは片っ端から聴き、Peter のソロアルバムまで追いかけました。しかし、深みに嵌れば嵌るほどそこから日常に戻るのがいかに難儀か、あるとき不意に気づきました。結局 VDGG の本質は Peter の弾き語りなのだ、という認識にぼくは至ります。その閉鎖的な深遠に溺れるのは、やはり四天王にふさわしくないのではないか。

つまり、知名度が VDGG には足らなかったのです。いかにツウ好みであれ、あまねく知られなければ四天王とは呼べません。なので、ぼくの四番目の玉座はずっと空席でした。あるときは The Enid に近づき、あるときは The Alan Parsons Project に期待をかけました。

誤解されては困りますが、これら四天王に落第したバンドを、ぼくは決して嫌いだったわけではありません。「好き嫌い偏差値」で言うならもちろん50オーバーの「好き」、プログレというジャンルだけで 55はあったと思います。ここまで挙げた Pink Floyd、ELP、Camel、VDGG、はもう偏差値 63〜65近辺だったのです。ただ、四天王の合格偏差値が 70は欲しかった、ということ。これ、かつて受験産業に携わった者の悪しき職業病ですね。現在では顰蹙を買うのかもしれませんが、このほうが分かりやすい読者もきっといるでしょう。

ところがです、ところが、そのときは突然、舞い降りてきました。ちょっとしたコロンブスの卵でした。四天王という場合は、なにもバンドである必要はない。その観点から四天王の要素を満たすアーティストを見回すと、ぼくはすでに一人の天才と出会っていたことに思い当たります。

ぼくのプログレ四天王の最終席、それは Mike Oldfield だったのです。1982年、ぼくが渡英留学したときの話です。

と、ここまで盛り上げれば「Mike Oldfield 20」に跳んでいただけるでしょうか。「はあ? 全部が長~い前フリだったの?」というお叱りを受けそうですね。申し訳ありません、仰せのとおりで。過小評価、とは言わないまでも、もっと広く知られる価値がある Mike Oldfield。ぼくのプレイリストがきっかけで、その素晴らしさの一端にでも触れていただければ望外の喜びです。是非「Mike Oldfield 20」もお読みください。

それでは、また。
See you soon on Spotify (on note). 



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