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人の成功は疎ましい。

そんな日、貴方にはありませんか?


ないか。


私は良く、優しい子だとか言われてきた。
でも別に全然そんな事なんてなくて。

これをすれば喜ぶだろう、なんて
そんな打算な優しさは優しさではないし
喜ばれなかったら悲しいなんて思う
とても嫌な奴だと自分で思う。

人がやってたからいいじゃんとかも、
人並みに思うし、真摯さなんてものは
欠片も理解できないし、

正直やるべきかどうかもわからない。

人として最低限、ではあると思う。
真摯さってものが。

でも真摯さは、哀れみや慰めではないと
圧倒的に否定したい。

最近とても思う。

哀れみや慰めなんてものは自慰行為である。
そう、私は断言したい。

ただ自分が気持ち良くなるための
良い気分で1日を終えるための自己満足。

なんでそんなに哀れみや慰めを許せないのか
自分でもわかっていないけど、

たぶん、自分がされていたからなんじゃなかろうか、と
少し思う。
していたんじゃないかとも、思う。
優しさと偽善なんてものは紙一重で。

でも本当に、本当の優しさだけで行動する人間は
果たして人間と呼べるのだろうか。

なんの妬みも嫉みも哀れみも慰めも
何もなく、ただその人の為だけを思った人間は
果たして存在できる世界なんだろうか。ここは。


私は、嫌な奴だ。
人の成功は疎ましいし、自分の失敗には妥協する。

人生の最高到達点が自己実現だとして
果たして私が実現したいものなんて存在するんだろうか。

子供は嫌い。うるさくて、かつての自分だから。
小学生は嫌い。何も知らず無邪気に駆け回ってるから。
中学生は嫌い。黒歴史を思い出すから。
高校生は嫌い。全部の物事があとからすれば綺麗事になってしまうから。
大学生は嫌い。人生の夏休みなんて馬鹿にされているから。
社会人は嫌い。みんな上の言いなりだから。
老人は嫌い。いつか自分がそう成り果ててしまうから。

自分に関わる全てが許せない。やるせない。
許してしまっていいものか、と思っている。
一種の強迫観念に近い、何か。

誰のことも何のことも許せない。
自分を一番許せない。

許すって、赦すってなんだろうか。


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