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#1 自己紹介

はじめまして


 みなさん、はじめまして。このnoteを執筆している“lighthouse”です。

 私は都内の大学に通う、ごく普通の男子大学生である。私の身の上について、まずはこれだけ認識していただければ必要十分であろう。さて、「普通の大学生」と言ったものの、何をもって「普通」というのか?明確な基準は誰にも分からない。ただ、近郊の実家から都内のキャンパスまで通学している、関東の大学生においては多数派に該当する属性である人間であると思われることは確かだ。
 ここから発信する自分自身の言葉がどこまで届くものなのか、全く見当もつかない。身内だけの回し読みで終わるかもしれない。はたまた、瓶に詰められた手紙のように、自分も知らない誰かのもとに届く可能性もゼロではない。であるならば、誰が読んでも分かる文章を心掛けていきたい。これから私がどんな方向に舵をとっていくか、あるいは漂流していくのか。行く末が少しでも気になると思っていただけた方は、ぜひフォローをお願いします。

※筆者を多少でもご存知な読者の皆様へ

 noteを通して自分自身を全世界に公開することには、軽めのバンジージャンプを飛ぶくらいには度胸が必要です。ひとつひとつのエピソードをある程度ぼかしつつ、読む人が読めば分かる文章に仕上げます。これからまだまだ、たくさんおしゃべりするつもりですので、「プロフ帳」の完成は首を長~くして、待っていてください。

noteでやりたいこと


 私がこのnoteを通してやりたいことを一言でいうならば、書き言葉による言語化である。

 幼いころからお喋り好きな性格をしていたおかげで、自分の考えを話し言葉によって言語化することには、ある程度の自信を持っていた。しかし、読書感想文が苦痛であった小学生時代を過ごしていた私にとって、自分の考えを書き言葉によって言語化することへ苦手意識があった。そして、それはある程度学年を上がったとしても依然として根強いものであった。そのため、志望理由や自己PRのような就職活動のエントリーシートを書くことは、慣れるまで非常に骨の折れる作業に感じられた。
 ただし、大学のレポートや小論文のような文章を書くことに対する抵抗感は薄かったし、もちろん今も得意に感じている。一般的な事柄を理路整然と説明するための文章には、自分の主張が介在する余地がないからだ。

 自分の考えを文字にすることへの苦手意識が和らぎ、かえってその面白さを初めて感じられたのは、人と話しているときには出てこない言葉があると気付いた瞬間であった。まっさらな紙と向き合う時間を通して、自分自身を絶対的に評価することができたと考えている。

 会話による言語化の過程には「話し手」と「聞き手」の2人が存在している。この場面において、「自分」と「他者」を比較し、相対化することによって、自分自身を推し量っているに過ぎないと捉えることができる。もちろん、他者との対話のなかでしか得られない気づきがある。この機会そのものや、この体験を通して得られるモノを否定したい訳ではではない。むしろ、対話を通して得られた学びは、私自身を形づくるうえで大きな役割を果てしてくれていると感じている。

 しかし、対話だけに自分の全てを見つけることはやはり難しいと思う。「自分自身がやりたいことは何なのか?」「自分が好きなことは何なのか?」「自分の人生において働く目的とは何なのか?」___
 就職活動で直面した、このような類の問いに対して答えるため。いや、より広い視点で「自分の人生の軸」を確立するうえで、自分自身と向き合うというのは非常に重要な時間になると思う。このような過程を経て、文字にすることによって自分と向き合うことの奥深さにも興味が湧き始めてきた。

 つらつらと長ったらしく語ってきたが、「せっかく、書き言葉で自分の思いを綴ることの面白さに気づくことができたのだから、もっと楽しんでみよう!!!」というのが、このnoteの目的である。

ペンネームについて


 “lighthouse”というペンネームは、私の本名(ファーストネーム)から連想した「灯台」を意味する英単語である。noteというメディアを通して、自分自身を表現することの意味や目的を考えたときに、自分のアイデンティティから切り離されたペンネームを名乗ることに、少なくないもったいなさを感じた。とは言ったものの、本名と自己開示の成果物をインターネットの荒海に晒すことにも一抹の不安があることは否めなかった。そこで、通学路の電車に揺られながら、ひとり連想ゲームを開催した。その結果、この“lighthouse”へと流れついた。

 本名の方の由来についても語っていきたい。小学2年生のころ、出生や幼少期のエピソードを調べるという授業があった。(同年代の方々もあっただろうか?) 10数年前に両親から聞いたところによると「キューピッドとなった友人の方の名前から、ひらがな2文字を拝借した」ということらしい…まぁ名前の由来なんてそのようなモノか、少し拍子抜けてしまったような気分であった。ただ、この惚気たような(?)意味だけではなく、きちんとした意味もあるということを教えてくれた。

 「海が凪いでいるときも、シケのときがあったとしても、自身の人生の行く先を暗礁に乗り上げず、順風満帆に進むことができるように。」「自分自身と関わる人達にとっても航海の道しるべとなるように、いい影響を与えられる人であるように。」

 このような意味を与えてくれていたようだ。これまでの二十数年を改めて振り返って、私自身の現在地から周囲を見渡してみると、そう悪い気分はしない。たしかに嵐のときもあったが、自身は順調な航海を続けられていると思うし、身の回りを見渡しても、愉快で前向きな航海士たちが多いようにも思う。


  折角の機会であるから、lighthouseという言葉の定義の側面からも探りを入れてみるとしよう。 まずは、英単語としての“lighthouse”ではどうか?

light‧house: a tower with a powerful flashing light that guides ships away from danger
(訳:船舶が危険から回避するように誘導する、強力な閃光を放つ灯器を備えた塔)

ロングマン現代英英辞典より、和訳:著者による

 では、日本語としての「灯台」ではどのような違いがあるだろう?

・灯台:①油を灯してあかりとする室内照明器具。結灯台・高灯台・切灯台などの種類がある。結灯台は3本の棒を1カ所束ねて上下を開いて立たせ、上に油皿をのせたもの。灯明台。灯檠。

②航路標識の一つ。沿岸航行の船舶に目につきやすく建てられた塔状の構造物で、夜間は灯光を用いて、陸地の遠近・所在・危険箇所などを指示し、出入港船舶に港口の位置を示す。「岬より入日にむかひうすうすと青色の灯ひをあぐる―」

広辞苑より

 日本語の①が意味するモノは英語の方には全く包摂されていない意味であり、当然、私の意図する「灯台」は②である。1:1の対応をしている関係性に見える単語であっても、日本語と英語では違いがあると思うとおもしろい。また、その言葉の壁を超えることは、いわゆる4技能で測ることができる語学力を身に付けるだけでは難しいことが想像される。


 前段の典型的な日英言語比較論を言い切り、そろそろこの話も切り上げようかと思い、少し力が抜けたところである。ふと今の自分の客観視してみる。すると、卓上のデスクライトを灯して、パソコンに向かい合っているではないか!
 「現代の『灯台』のもとで、言葉を綴っていく自分」___
 このような捉え方で、”lighthouse”(「灯台」)というペンネームを認識しても面白い。棚ぼた的な意味ではあるが、元々意図していなかった内容で後から肉付けすることもまた、ひとつの「意味」のあり方なのだとも思う。

あとがき


 「#1 自己紹介」はいかがでしたでしょうか?
 タイトルだけを先に決め、書くべきことを書こうとキーボードを叩き続けた結果、「言語化」と「名前」をテーマとした記事に仕上がりました。ある程度方向性を定めてはいるものの、流れに身を委ねて、自身の思うがままに語るつもりです。また、これからの投稿の多くは、今回のように自分語りと論説文、その他諸々がごちゃ混ぜになった総合格闘技のような、随筆チックな文章が出力されていくと見込んでいます。「熱い想いを語りたい。」「周囲に訴えたいことがある。」などの確固たるテーマが現れたときには、この限りではないと思われます。悪しからずご了承ください。

 まだまだ稚拙で読みづらい箇所もあったかと思います。ですが、この記事まで足を運び、あとがきまで飽きずに読了していただいたことに感謝します。次回のタイトルは、「#2 他己紹介」です。そのうちリクエストにも応えられたらなぁ…なんて、考えていたりもします。楽しみにしている人がいるような言葉を紡いでいけるように、自分の感性と知性と、表現力を磨いていきたいと思います。 では、また今度……

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