アメリカネオンの原風景 -タイムズスクエア編-②
タイムズスクエアの立役者について、思い出してみよう!
"素晴らしい創意工夫を凝らしたキネティック・アーティストであるダグラス・リーは、タイムズ・スクエアのスペクタクルのほとんどを、それらを建設・管理するアートクラフト・ストラウス・サイン・カンパニーと共同でデザインした。"
⚫︎ダグラス・リーってどんな人だっけ?
…そうだ、屋外広告のパイオニアだった!
エンパイヤステートビルに照明をつけた人。
⚫︎ キネティックアートかぁ。
動くアートといえば、カルダー先生!
⚫︎そういえば、モンドリアンのブロードウェイブギウギは、調べると1940年らしい。車やジャズ、ネオンの街あかりがダンスみたいに動いてたのかなぁ。
「私の作品はすでに高速で動いている!」らしい。
"1930年代半ばの最初のA&Pコーヒーの看板から、1950年代後半の最後のバージョンの喫煙キャメルの看板まで、リーの壮大なアニメーション・ディスプレイのセンスは、タイムズスクエアに国際的な名声を与えた。"
⚫︎"A&Pコーヒー"の看板の下には、焙煎したてのコーヒーの香りが、ファンで吹きつけられたらしい。
⚫︎そして、"Camel"の看板には、コンソリデーテッド・エジソン社の蒸気ダクトを使って、4秒ごとに輪になって煙が吹き出すような仕掛けをしたらしい。
ネオン以外の視覚や、嗅覚に訴える広告なんて、インパクトすごい!広告屋さんは、いつだって新しいアイデアを探求するのに余念がないなぁ。
"もちろん、アートクラフトのガラス職人、レイアウト職人、電気技師、金属職人たちの技術的な工夫がなければ、彼のコンセプトは紙のままだっただろう。しかし、彼らの努力によって、イルミネーション広告は、その大胆な実行力において、典型的なアメリカン・アートフォームとなったのである。"
いいアイデアといい技術が揃って、はじめていいものが出来る。"驚き!"も人に喜んでもらえる大事な要素だよなぁ。
※ 引用部分については、Let There Be Neonさんのご厚意により、直接許可をいただいています。
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