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「人生を肯定する」ハチャメチャなリズム...アラム・イリイチ・ハチャトゥリアン “ヴァイオリン協奏曲 二短調”










アラム・イリイチ・ハチャトゥリアン(1903-1978)はグルジア(ジョージア)生まれのアルメニア人指揮者・作曲家。生まれ育った街トビリシが「歌の街」を意味している通り、グリジア人の楽隊やアルメニア人の路上パフォーマンスに囲まれて育ったハチャトゥリアンはこの魅惑的で野趣あふれるリズムと旋律をオーケストラに持ち込むことで名声を博しました。

現在でも「剣の舞」がクラシックの枠を超えるポピュラーな曲として認知されていますが、ハチャトゥリアンの曲はシンバルやドラの乱用、強烈な同音の連打、そこに織りなされるジプシーの野趣とアラビア風の郷愁が特徴であり、独特な存在感を作り出しています。まさに”ハチャメチャトゥリアン”ですね。





彼の活動時期はちょうど旧ソビエト連邦のスターリン時代と重なります。このヴァイオリン協奏曲(1940)は特にスターリンのおぼえめでたく、同時期のソビエトの名手ダヴィド・オイストラフとの共演で自ら指揮をとり大成功を収めました。とはいえハチャトゥリアンが体制の犬だったというわけではなく、冷戦による社会主義リアリズム運動の強化によって、共産主義政府のプロパガンダとならない芸術を排除する「ジダーノフ批判」に指弾されるという憂き目にあったりします。

この社会主義リアリズム運動とそれに対する”旧ソビエトに愛されすぎた”芸術家たちの葛藤は非常に熱い部分なのですが、今回の曲目それ自体とは関係ないのでこのへんにします。

このヴァイオリン協奏曲にはハチャトゥリアンの人生哲学が詰まってるのかな、と思ったのでちょっと生い立ちの話が長くなってしまいました。それは本人曰く「人生を肯定する」ということ。

まずド頭のインパクト。全奏で繰り出される力強いリズム。さらにのっけからシンバルの連打は笑うしかない。下品なまでの乱打だけどハチャトゥリアンだからしっくりくる、そういう強さがある。

そして堂々と繰り出される舞踏的なヴァイオリンの躍動。そこにからむトランペットのかっこいいことかっこいいこと。ボロディンの交響曲第二番の導入を馬を駆る猛将と表現したことがありましたが、ハチャトゥリアンはなんというか、もっと直情的で、肉汁したたる感じがあります。対比される緩やかなメロディはアラブ調。ソビエトでも南の方の人であるなあという、昏いむわんとした響きがします。

そしてやはりヴァイオリン協奏曲の花形は技巧を閃かせ駆け上る最終楽章。その期待にそぐわない、というよりもこの時代の曲なのに、なんの衒いもないことに逆に聞いている方がどぎまぎしてしまうほどの堂々としたソロのパッセージとドライヴ。そしてほんと王道にもほどがある第一楽章の再現。最後は”ハチャメチャ”な主音の連打でごちそうさま。

これはステーキだ。ちょっとスパイスが効いてるけどド直球の肉汁ステーキ。満たされます。人生を肯定するとは、ステーキを食うことなんですよ。ハチャトゥリアンはステーキなんです。


「ハチャトゥリアンの個性は、彼の作品のあらゆる小節ごとに刻印されているあの特徴的な音楽語法だけではない。そう、この個性というものは、はるかに遠大で、作曲技術なんてもの以上のものを意味している。根本的には、我々の現実を楽観的に・ポジティブに見るんだと提示するハチャトゥリアンの作曲家としての視座、そういうものも含んでいるのだ」―ドミートリ・ショスタコーヴィチ