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ブランコから見えた景色

夫とブランコに乗った。

ハイジのブランコみたいな名前の、高台にあって、ちょっとしたスリルを楽しむというやつ。ブランコが特別好きなわけでもないけれど、その日は素直に乗ってみようと思った。

係のおじちゃんが手で押してくれて、もうひとりのお兄さんは預けたスマホで写真まで撮影してくれる。

祝!結婚24周年


犬さんにはちょっと待っててもらう

子どもたちはもう家を出ているし、最近は夫と犬さんの3人で出かけることが多い。昔、子供たちを連れて出かけた場所を、懐かしく思いながら楽しむことも増えてきた。

子供を連れて出かける遊園地や公園は、子供が楽しむ場所だと思い込んでいたけれど、大人も楽しんでいいんだなと、当たり前のことに今更ながら気が付いた。

いつも子供が最優先で、息子と娘の喜ぶ顔を見るのが幸せだったから、
「お母さんもブランコ乗りたいな。ちょっと待っててね」と言ったことはなかった。

でも言っても良かったんだよな。

親だって楽しんでいい。遊んでいい。子供に合わせて行動しなくても、それぞれの希望を思いやりながら楽しむこともできたはずだ。

改めて考えてみると、「親とはこうあるべき」という理想像みたいなものが勝手に出来上がっていて、疑問を持つことすらなかった。

そうやって長年、理想像レーンの上を自動運転で生きてきた。
時々湧いて出てくる私の小さな願望たちは、たくさんの言い訳にかき消されて自然と消えていく。
「子供がかわいそう」
「そんな親いないでしょ」
「夫に迷惑かけられない」

言い訳の扱いは本当に難しいし、かなり厄介だ。苦楽を共にしながら何十年と一緒に生きていたのだから、そうそう簡単に関係を断つことは出来ない。

「子供を最優先する親」の本当の姿は、「周囲からきちんとした人だと認められたい私」。
そのポジションを奪われないよう、
私の存在価値がなくなってしまわないよう、思考をフル回転させて必死な言い訳で自分を偽る。
長年に渡り、私にはそういう癖が身についている。

あの日、ブランコに乗ろうと思ったのは、「これからは私の気持ちを最優先に生きていくんだ」という自分自身への小さな決意の表れだったのかもしれない。

言い訳との決別。
自分がやりたいか、やりたくないか、ただそれだけ。あらゆる決断はすごくシンプルであっていい。思考を挟まないスピード感をもつ。そういう練習を重ねていこうと思う。

ブランコから見えた景色は、無限に広がる世界の入り口だった。

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