とはれずかたられず

 私は人の気持ちが分からない。そして、そうであるならばなおさら言うまでも無く、彼女の気持ちを分かろうとすること自体が酷い無駄足で、どうしようもない徒労であったのかもしれない。
 分かりあおうとする姿勢自体が重要なんだなんてことを言われてしまったら、私は渇いた笑いと共に、そうだねと言って会話を打ち切るしか術を持っていない。人間をパズルのピースに例えて、欠けた穴を埋め合わせることのできる者が何処かにいるのだろうなんて言う人も居るけれども、その喩えに則って言うのであれば、私と彼女のピースが一瞬でも合った、なんて考えてしまったのが不幸の始まりだったのだろう。
 彼女はきっと、誰にでも当てはまるピースだった。そうであるが故に、私よりももっと綺麗に当てはまるピースが幾らでもあった。
 私はきっと、彼女の形を錯覚していた。彼女は私の形を錯覚していなかった。そうして二人は離別と言う結末を迎えた。そんな、ごく当たり前の帰結。私と彼女の間にあった話は、つまるところそういう類の話であるに過ぎない。
 だから、残滓としての記憶を、形を伴った記録としてこうして残そうとしてしまうのは、私の未練であり弱さであるのだろう。

 
 瞼を閉じる。
 瞼は私と世界を隔てる赤黒い天蓋となってただそこに在る。
 瞬き、暗転。夕刻を示す鐘が鳴っている。
 私は冷たい青緑色をしていた椅子に腰掛けただそこにいた。
 瞼を開ける。


 無駄に質量を伴ったリュックサックが肩で存在を主張し、それに面した背中をじっとりと湿らせる。服の熱はどこまでも内に篭もり、包まれていなかった頭だけを冷たく凍えさせていく。木枯らしが長い髪の間を抜けてするりと肌を撫でて、ぶるりと身震いをさせられる。たしか今は気温の上ではマイナス十度を数えるほどになっていただろうか。
 夕刻少し手前ということもあり人影も疎らであるが、そのどれを見ても肩を寄せ合い楽しそうに歓談をしている様子が窺える。それはきっと日常の風景。当たり前のものとして反芻されている消耗品。それが今の私には酷く厭わしく、けれど酷く眩しい光景であった。気を反らす様にして、顔を上げる。そこには、ただ寒々しい白色に剥かれ、どこまでも漂白された、北アルプスの尾根が冷然と聳え立つだけであった。
 それが人為的なものであるにしろ自然なものであるにしろ、土地には何らかの性質が埋め込まれていると何処かで誰かが言っていた。あるいはそれは彼女が戯れに言った科白で、それを私が忘れているだけなのかもしれない。
例えばここ安曇野を例に取って出すのが許されるのであれば、この土地に染み付いた情景とはすなわち破れた恋の思い出と別離であるだろう。それが良いのか悪いのかなどは関係ない。ただ、何故かは知らないが、この土地を訪れた創作家がみな一様にして、破れた恋の思い出と別離をこの地に仮託し、ある者は歌を、そしてある者は詩を編んだ。
 そのように紡がれてきたものが実話であったか虚構のものであったのかなど、今の私にはどうでもいいことであるし、また同様に興味もないことである。ただ私にとっては、それが虚構から滲み出した真実となってしまったということだけが、紛れもない事実であるというだけだ。

 注連縄で仕切られた出口から出て、覚束無い足取りで歩みを進める。古びた駅舎を出ると、そこには人の生活を感じられる卑俗的な光景が広がっていた。冷然とした空気の中で、近代的な建物だけが、確かにそこにあったのだというくっきりとした輪郭を主張している。ああ、ここではない。ここではないのだ。私はそこから目を背け、どこか違う、彼女の、そう彼女のいた痕跡を探し始める。
 駅のロータリーには親子の像があった。それは「登頂」という名前を冠している。叫びという動的な行為を象っていながら、固定化されているが故にどこにも届くことのないだろう姿を私に見せていた。私は歩を進める。一歩一歩確かに紡がれる動作は、けれどどこにも繋がることはない。コンクリートで出来た壁にはスプレーで落書きが描き散らかされているが、壁の手前に存在しているフェンスを同じ色に汚く染め上げていた。

 幸福であって欲しいと彼女はかつて別れ際に言った。私といない方が幸福でしょうと。
 ああ、けれど。かつての私にとっても、今の私にとってもそれは幸福に思えないのです。底冷えする感覚の中で私は全てを失い、こうして無明と過去を重ねて彷徨い漂っている。
 すべてを知っているときはそれでよく、すべてを知らないときもそれでよかった。
 断片的に何かを知っているとき、その断片はいつかの何かの混ざり合った残骸になって、そうしてそれらは価値のなく宛名のない遺失物になる。

 彼女とかつて歩いた方向へと彷徨い続ける。服屋が見える。宝石を飾るためのトルソーは、虚ろな骨格と中身が空洞であることを主張している。近代的な建物が立ち並んでいるが、それも遅からず剥離し、その土地の抱える原風景へと私を誘う。
 そこには一面の田畑が広がっていた。冬という季節における田畑は黄金色の穂の悉くが刈り取られており、薄茶色に染まった地面は私の仄暗い感情を吸収して何も示すことはない。記憶と現実の断絶というものはどこまでも深く、記憶に付随して在った色さえも脱色させていく。匂いは――いや、匂いすらもう私に何かを指し示すことはない。漠然としたイメージのみが今の私を構成している。私はあのとき、いや、今、今だ、何を感じていたのだろうか。彼女という辛い毒は私に染みわたり感覚を鈍磨させていく。
 黄金時代が儚くして終わりを迎え汚らわしい青銅の時代が幕を開けた様に、幸福は脱色する。黄金はくすみ、やがては色を失い全てを凍りつかすような白色だけがそこに残るだけ。
 私という個体は吹けば飛ぶようなものであって、元々何かの記憶を錨のようにしてそこにしがみついていたに過ぎない。そうしてその先で絡まり合い、その絡まった先の物体と自分が同質のものだと間抜けな勘違いをする。ああ、けれど、けれど。絡まった先の物体は様々な色に輝き、私はそれにどうしようもなく目を惹かれ、そうして私という存在は固着せず明るく焦がされる。
 ああ、人が纏える色彩には限界があるなんて、きっと、それはその通りだろう。色を纏うために肥大化した自己は、いつの間にか混ざり合って消えて行って黒に染まり、やがて耐え切れずに外側から色を失っていく。そうしてあの尾根のように全てが漂白されていき、そうして何も抱えることのない白に染まる。外側だけを記憶の残滓としてこうして切り離して、こうして私は誰でもなくなっていく。
 私が纏っていた色は元々白色だったのだろうか。
 足元が崩れるようにして無くなっていく感覚。
彼女の象っていた色に染まれていたのだろうか。
 白色とは何か。私の心臓を彩る色とは何だったのだろうか。
ああ。
 
 私はそれでも、思い出すことを試みている。彼女の色は果たして何色だったのだろうか、と。無色にくすんでいく思い出の中で、どこか明るく、そしてどこか仄暗く影を持ったものとしてだけ彼女の姿が浮かび上がってくる。それは輪郭を歪ませ、ぼんやりとした形状があるばかりで唯一持ちうる色すらも消え去っていっている。その色が本当に過去にあったものであるのかなんて、私にはもう分からない。分からないけれども、今再びその色に染まることが出来たのならば、私はあの頃の自分に戻ることが出来るのだろうか。けれどその思考は、きっともう無意味なことなのでしょう。
 ふと、かつて車窓で眺め見た川を思い出した。青く仄暗く輝いて底の見ることのできない川を。攪拌されながら流れていくその川は、一つの流動的な物質ではなく、鱗のように個別の波を形成して全体像を歪ませている。
 私はその澱んだ河の畔に脱いだ靴を置く。枯れた鬼灯が秘め事をするように赤い実を葉脈の網で覆い隠していた。
 ああ、こうして私の物語は終わり、私の(あるいは彼女としての)物語は始まるのだ。そうして私は冷たい空間へと身を落とし、爪先から青色の思考へと染まっていく。


 瞼を閉じる。
 瞼は私と世界を隔てる赤黒い天蓋となってただそこに在る。
 瞬き、暗転。
 瞼を開ける。

 閑散とした車内には誰もおらず、静寂が辺りを包み込んでいる。つり革だけが一様に同じ方向に揺れている。ふと暗い車窓を眺め見ると、流れていく風景の中で私だけがそこに張り付いて動くことのできない固着物のように見えた。

 注連縄で仕切られた出口から出て、覚束無い足取りで歩みを進める。夕刻を過ぎ暗くなった風景が私に何も伝えることはない。
 辺りは闇に包まれていたが、宵闇の鱗雲の上に月が虹色の迷彩を掛けている。私はそこに彼女の影を見出したように感じ、どこか救われたような気分に陥った。

 ああ、そうだ。あの時彼女と歩いていた時に感じた悲しさは、一人で歩いた時にも感じられた。彼女と歩いていた時に感じた嬉しさは、一人で歩いた時には感じなかった。問うまでもない。ただ、あの時に感じた孤独は彼女のものではなくて、どうしようもなく僕だけのものだったのだ。そうであるなら私はきっと……。

 
 この物語は結局のところ、私と彼女の別離を示すものであるということに相違はないのだ。問われず、そうであるが故にどこにも語られることはない。思いはどこまでも胸の内に塞がれ、そうして未来から補われた断片となっていく。過去を継ぎ接ぎになぞることで、私は彼女との別離を経験し、彼女との邂逅を繰り返す。そうして私は、失われた私を彼女との邂逅から取り出し、そうして私は私へと再帰していくことだろう。

 そのような円環の中にいながら、中にいるからこそ。
 ああだからこそ。
 私は彼女のことが好きなのです。

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