見出し画像

$10 Station


何でも漢字にしてみよう

漢字(表意文字)はおそらく人類が生み出した最も優れたアイデアのひとつだろう。表音文字は少ない文字数を無限に組み合わせ、それに意味を乗せて言語を構築していくのに対して、表意文字は文字そのものに固有の意味を有し、それに音を乗せる。ゆえに表意文字はいわゆる”言霊”的発想と結びつきやすい。その分ロック音楽のようにビートやグルーブを主に表現する表音文字文化圏の芸術とは相性が芳しくない。

西洋の表音文字言語でのみ使われて、相当する日本語が存在しない事物や概念に漢字をあてはめていく工夫は江戸時代後期の自然科学分野が発祥だろうか。たとえば19世紀はじめ、オランダ語で化学を意味するchemieに「舎密」という文字をあてて「せいみ」と読ませた。化学物質の慣習的な漢字名もこの時代に生み出されている。

いわゆる「開国」により諸外国との国交が本格的に始まると、他分野でも西洋言語の漢字化が盛んに行われ、外国の地名や通貨の単位にも漢字をあてはめていった。「弗」(ドル)はその中でも傑作の部類に入るだろう。ドルの通貨記号の形状が由来である。「ドル」の文字コードはSに縦線1本の"$"だが、かつてはSに縦線2本を加える書き方もポピュラーだった。弗の形はSや$と向きが逆でしょ、とツッコミを入れるなかれ。Sに相当する形の漢字が見当たらないがゆえの”妥協”である。

舎密、仏蘭西(フランス)、米(メートル)などは漢字を表音文字的に使っているが、「弗」の読みは「フツ」「ず」で、ドル(dollar)にはかすりもしない。もともとの使い方は”打ち消しの助詞”である。先に化学分野で「フツ」の読みをfluorine(フッ素)にあてはめて「弗素」としているが、その斜め上を行く発想である。「ドル」は外国との交渉や通商文書に頻繁に出てくるので、発音を尊重して画数の多い文字や複数の文字をあてる漢字表記をしていたら煩雑に過ぎるが、「弗」ならば簡単に書けるという事情もあったと推察される。

沼の口

日本人が北海道を”蝦夷地”と呼んでいた頃、今の十勝地方を流れるある川沿いに集落を形成したアイヌは、その土地を「ト・プッ」(沼の口)と名付けた。川口近くに沼があり、川とともにより大きな十勝川に注ぐ形を示している。

日本人が入植すると、「ト・プッ」に”十弗”(とおふつ)という漢字をあて、アイヌが暮らしていた集落に接する川を「十弗川」と命名した。fluorineと同じく「フツ」の音から「弗」を連想したのだろう。「十」は十勝地方にあるからこの文字を選んだのだろうか?

アイヌ以来の十弗集落は水害を受けやすく、住民は高台のほうに移住を始めた。1904年、新たな十弗集落近くに釧路線(現在の根室本線)が建設された。集落住民は早速駅設置の請願を始め、1911年12月15日十弗駅が開業した。

開業以来長らく旅客・貨物・荷物を扱っていたが、1971年10月旅客のみに削減され、同時に無人化された。かなり早い時期の”合理化”対応といえる。かつてはホーム1面2線・列車行き違い可能で、過去の時刻表を参照すると実際にここで待ち合わせをする列車が運転されていたと読み取れるが、JR引き継ぎに際して駅舎側の線路が撤去された。

無人化に際して地元簡易委託に移行され、しばらくの間は乗車券類の発行を引き継いでいたが、それも1992年に終了している。「さいきの駅舎訪問」サイトによれば、1988年ごろまで国鉄形式駅名標が残されていた模様。

十弗ノート&$10 note

十弗駅は”10ドルの駅”として、ごく一部で親しまれている。
今は10ドルを「十弗」と記す人はほぼ皆無だろうが、19世紀末から20世紀半ばごろまでに書かれた日本語の文章にドルの「弗」はよく登場する。私の幼少期でも年輩の人は時折使っていた。この文字を見るだけで脳内に古びた本の匂いやレトロ感が漂ってくるから、刷り込みとはげに恐ろしきものである。十弗という駅があるということは中学生時代に読んだ本により知った。今その本を読み返すと「北海道の米作の極限地」と解説されているが、富良野市の法螺吹米があるから正確ではなさそう。

1995年5月、初めて十弗駅で下車した。乗ってきた列車は記録していないが、前日は釧路に宿泊していたので、釧路7時22分発の滝川行き普通列車を使い、9時15分に到着したと推定される。

あいにくの曇り空で肌寒い日。気象庁の記録(池田)を参照すると10℃に達していなかった模様。古くからの木造駅舎はどこか淋しげだった。乗車券の委託販売も国鉄形式駅名標も既になく、寒さもあいまって冷たいふんいきさえ漂っていた。

それから25年過ぎた2020年12月、再び十弗駅に降り立った。フィルム時代の写真を整理していて、1995年の訪問時はきちんと写真に収めていなかったと気づいたがゆえである。25年ぶりの十弗駅。駅舎のたたずまいはほぼ記憶のままだったが、今度はよく晴れて、爽やかな青空が広がっていた。

北海道の駅でおなじみのサッポロビール広告つき黄色枠駅名板が駅舎の柱にやたら多く取り付けられているのが特徴のひとつ。

駅舎側の線路を外した跡地に砂利が残されている(2020年12月)

「ドル」といえば私も含め、ほとんどの人は米ドル(USD)を想起するだろう。が、世界には「ドル」を通貨単位としている国がたくさんある。その中でアメリカの隣国、カナダで発行されている10ドル(CAD)紙幣は価値も米ドルと大差なく、紫色基調のデザインがおしゃれなのでわざわざ取り寄せて、この旅に持参してきた。サッポロビール広告駅名板とのツーショットを撮影する。

これをやってみたかった(2020年12月)

日本円や米ドル、ユーロの紙幣は横に長く印刷されているが、カナダやスイスの紙幣は縦に長い短冊形。スイスの哲学者ヤーコブ・ブルクハルトの肖像をあしらった紫色の1,000スイスフラン紙幣は威厳さえ感じられる重厚なデザインである。日本では2024年に新紙幣発行が予定されていて、デザインは既に発表されているが、数字フォントだけユーロ調は安っぽい印象で、いかにも中途半端。たまには紫色や短冊形があってもよいと思う。

駅舎の扉を開ける。かつての小荷物扱いカウンターに設置された本棚は見覚えがあったが、その脇に硬券入場券を模した表紙の駅ノートが置かれていた。

「駅ノート 10$ 当駅廃止まで有効」

と記されている。本物の入場券に使われている文字フォントを丁寧に再現しているが、この表記には一瞬ギョッとさせられた。近年のJRはほとんど利用客のいない駅の整理を始めていて、十弗も決して安閑としていられないという現実をつきつけられる思いがした。

十弗駅ノートと$10 note(2020年12月)

紙幣は英語でbillもしくはnoteという。noteはbanknoteの略。撮影した際は意識していなかったが、ノートとnoteの写真でもある。

ホームの滝川寄りには有名な?「10$駅」大型看板がある。2000年7月に設置されたそうで、前回来たときはまだなかった。2000年といえばWebサイトが普及した頃で検索システムも発展途上、「弗」を「ドル」と読むことを知っている人が最も少なかった時代にあたる。JRはよくこれを作る気になったものである。

よく見たら近年整理された駅が張り紙で抹消されている。「次はおまえだ」と言わんばかりに。

アメリカ合衆国旧10ドル紙幣をモデルにしている(2020年12月)

簡易郵便局

駅前には「十弗簡易郵便局」がある。時折車が現れて、集落の人が出入りする。そこそこの利用はあるのだろう。

簡易郵便局入口(2020年12月)

中に入ると部屋が2つあり、片方が郵便局窓口、もう一方がフォトギャラリーになっていた。

十弗簡易郵便局フォトギャラリー(2020年12月)

この旅のために用意してきた郵便を差し出す。85円航空切手(1952年発行)に、消印を丁寧に押してもらった。たまたま未使用が1枚余っていて、調べたらあまり郵趣プレミア価格がつかないそうなので、正々堂々郵便料金として使う。係の人によれば、ゆうちょ銀行としての扱いは窓口のみで、ATMは置いていないという。

Green Christmas

十勝地方は関東平野と同じく西と北に山地がある地形で、冬は晴天の日が多いが、雪が降る日はしっかり積もり、気温が低いのでとけにくい。12月になると根雪ができる。しかしこの日はクリスマスイブにもかかわらず積雪は全くみられなかった。とても珍しいという。

かつては構内踏切が設置されていたのか?(2020年12月)

駅に戻る。ホームの端にクリスマスツリーのような木を見つけたが、青々としている。私はPhil Spectarが制作したアルバム「A Christmas Gift for You」の冒頭でDarlene Loveが歌う「White Christmas」曲中のセリフを思い出した。"such a day"はオリジナルの歌詞で表現される「白い雪の日」を指す。

The sun is shining, the grass is green
The orange and palm trees sway
There's never been such a day in old L.A.
But it's December the 24th
And I'm longing to be up north
So I can have my very own white Christmas

"White Christmas" sung by Darlene Love
十弗の”クリスマスツリーの木”(2020年12月)

生涯最低気温

冬の北海道には幾度も魅了されているが、サンピラーやダイヤモンドダストをはっきり見た経験はまだ有していない。2022~2023年冬の北日本は気温が低めということで、何かしら見てみたいと思い立った。十勝と旭川・上富良野、いずれに行くか迷ったが、天候が安定していそうという理由で前者を選び、3度目の十弗下車を企図した。

夜明け前、帯広のホテルを出る。気温は-22℃で、おそらく私が生まれてから経験した中で最低気温だろう。まさしく冷凍庫の中を歩いている。

帯広駅、-22℃(2023年1月)

6時20分発浦幌行きで十弗を目指す。市街地を抜け、霧がもうもうと立ち込める札内川を渡る。6時44分池田着、13分停車中に日の出時刻を迎えた。

7時07分十弗着。集落背後の山からちょうど太陽が顔を出す時間だったが、サンピラーの形にはなっていなかった。
サンピラーの条件は気温-20℃前後、天候快晴、風静穏という。それにある程度湿度が高くないと凍るための水蒸気が足りなくなり、太陽光に煌めかないという。この日は気温、天候は十分だったがやや風があり、湿度が低かった模様。事前の予報では雪の可能性もあった上富良野もこの朝はよく晴れていて、-27℃まで下がったそうで、そちらを選んでいたら当たりだったかもしれない。地元テレビ局Webニュースによると、旭川市忠別川のほとりではダイヤモンドダストが輝いていたという。

せっかく来たので、駅近くの道を歩いてみた。根室方にある踏切を渡り振り向くと、太陽が森を縫うように昇りはじめていた。これはこれで美しい。

十弗の日の出(2023年1月)

明るくなると砂利を積載した大型トラックが2~3台通りかかった。近くに事業所があるのだろうか。

十弗橋を渡る。下の川は完全に氷結しているようで、霧は全く見られなかった。

Blue Morning(2023年1月)
十弗橋(2023年1月)

駅に戻る。釧路発札幌行きの特急列車が通過するところだった。

おおぞら2号(2023年1月)

ホームの雪が朝陽に輝いている。ホーム両端の手前にいつのまにか柵ができていて、前回来たときに”クリスマスツリーの木”を入れて写した位置には入れなくなっていた。

”十弗クリスマスツリーの木”と再会(2023年1月)
サッポロビールが消えてしまった(2023年1月)

町の高校に通学するのだろうか、若い人がひとり駅にやってきた。”生きている駅”と実感する。
その人とともに新しい気動車に乗り込み、十弗を後にした。

さよなら十弗(2023年1月)

この後帯広に戻り、翌日限りで閉店される地元百貨店「藤丸」のラストバーゲンセールで豚丼のたれを安く買い、店前に積まれている氷のオブジェ(夜間はキャンドルライトアップが行われていたらしい)を見て、豚丼のおいしいお店に行き、帰りの飛行機から金色に輝く襟裳岬を眺め…と十分に楽しんだが、事前の判断力が鈍り上富良野のサンピラーを見逃したかもと思うにつけ、甚だ贅沢かつ十勝に失礼ながら、若干の心残りを感じる。エルニーニョの発生による2023~2024年冬シーズンの暖冬予測にがっくり肩を落とした。この先の健康寿命や資産寿命、世の中の動きや大規模自然災害の恐れを勘案すると、時間はありそうでそれほどない。

面白駅名にも流行あり

「十弗」は「10ドル」とも読めるではないか!と気づく人が現れたのはいつ頃からだろうか。案外早い段階からいたかもしれないが、昔は仮に思いついても話のネタとする発想は存在していなかっただろう。戦時中はもちろん口にするのも憚られていたはず。戦後世の中が落ち着いてきて、観光目的の鉄道乗車が普及しはじめ、なおかつ”外貨獲得”が国家目標になった時代に少しずつ広まっていったのではないかと想像する。

戦後しばらく、1米ドル=360円に固定されていた。日本経済の安定と自立を目指すべく1949年にGHQの方針により決定され、1971年まで続いた。食堂のカレーライスが100円、ざるそばやラーメンが80円程度の時代、10ドル=3,600円は一般庶民が”プチ贅沢”をするのに手ごろな金額であった。現代の40,000~50,000円に相当するだろうか。そのあたりも親近感を与えただろう。

2019年に長万部町の鉄道資料館を訪れた際、帰りの列車までしばらく時間があり、なおかつ雨が強く降っていたので、雨宿りも兼ねて資料館備え付けの本に目を通した。その中に1967年ごろ?出版された、全国の変わった駅名を紹介する本があった。この記事を書くにあたり検索しても見当たらず、正確な書名や出版年を記録していないのが悔やまれる。国鉄私鉄問わず、私の記憶よりも1世代前の駅名標写真がふんだんに掲載されている。埼玉県の大和町(やまとまち。現・和光市)駅の写真も確かあった。この本で「十弗駅」は金運のよい駅として数ヶ所で紹介されていた。その時代ドルを使う海外旅行は庶民の憧れで、著者は人一倍思い入れが深かったのだろう。

1974年に広尾線愛国駅・幸福駅が注目されたことによる”縁起きっぷブーム”も追い風になり、1970年代から1980年代にかけて面白い駅名を紹介する”雑学本”は数点出版されているが、駅名の選択を通じて著者自身の興味・関心分野および出版当時の世間的価値観が透けて見えてくる。

たとえば1977年出版の佐藤武雄・著「駅名マニア」(牧野出版)では乙女(小海線・長野県小諸市)、妻(妻線・宮崎県西都市)などの駅名や「生」のつく駅名への思い入れの強さがうかがえる。1979年出版の「国鉄駅名全百科」(小学館)では「鎧」(山陰本線・兵庫県城崎郡香住町)「甲」(能登線・石川県鳳至郡穴水町)への執着が強い。この本は鉄道友の会東京支部員の共同執筆で、多分お好きな方がいたのだろう。

表現形態が紙に印刷された書籍のみだった時代は駅名の文字がもたらすおかしみが注目されていたが、近年は南蛇井(なんじゃい・上信電鉄)、小前田(おまえだ・秩父鉄道)、相ノ内(あいのない・石北本線)など発音が面白く、聞く人を一瞬ギョッとさせる駅がもてはやされているようで、時代の変遷を感じさせられる。

10$持ってどこまで行ける?

最後に10ドル(相当の日本円)で十弗駅からどこまで列車に乗っていけるか、手元の時刻表バックナンバーで検証してみよう。

なお、周遊券などの企画乗車券については十弗発が存在しないし、帯広など近くの主要駅における発売実態も判明しないので割愛する。学生割引など特定の乗客を対象とする割引制度についても煩雑になるゆえ、ここでは取り上げない。

1967年

10ドルは3,600円である。旅客運賃に1等・2等が存在していた。

★片道乗車券(2等)
1,580kmまで3,570円。すなわち本州まで行けるが、本州に渡る場合は青函航路(2等380円)に前後の鉄道運賃(乗車キロ数は通算)を加える。従って鉄道1,380km(3,210円)以内の区間が10ドルに収まる。十弗から函館まで585.6km(滝川経由。石勝線は開業していない)なので、青森から794.4kmまでが圏内である。東京都区内(鉄道1,326.0km・3,140円。青函航路との合計3,520円)ならばおつりが出る。さらに藤沢(鉄道1,377.1km)・相模湖(同1,375.4km)・五井(同1,374.9km)まで行ける。いずれも3,590円。なお、この時点で武蔵野線や総武快速線は開業していない。相模湖は池袋経由、五井は秋葉原経由で計算している。青森から奥羽本線・羽越本線・信越本線を南下するコースでは石川県の粟津まで行ける。

★往復乗車券(2等)
580kmまで3,540円(片道1,770円)。函館往復は10ドルをわずかに超えるが、桔梗(十弗から577.3km)まで10ドルで往復できる。

★池田から急行利用(2等)
十弗から札幌まで滝川経由で299.3km。乗車券1,080円、急行料金300円で合計1,380円(往復2,760円)。すなわち10ドルあれば札幌まで急行で往復した上、食堂でお昼がいただける。

400kmまで片道乗車券1,450円、急行券300円なので札幌を越えて倶知安(十弗から392.3km)まで急行往復可能。

★片道急行・片道夜行普通列車
小樽-釧路間夜行普通列車(上りは十弗21時15分発札幌6時02分着、下りは札幌22時15分発十弗6時59分着)の2等寝台を使って札幌へ行く場合は寝台券下段1,000円で、乗車券とあわせて2,080円。夜行普通列車と急行の組み合わせ(合計3,460円)で往復すればほぼ10ドルになる。

1971年

クリスマスプレゼントとしてボードゲームをもらい、「弗」を「ドル」と読むことを覚えた頃。10ドルは変わらず3,600円。旅客運賃の等級制は1969年に廃止されている。

★片道乗車券
青函航路普通船室は500円。鉄道1,020km(3,130円)までが片道10ドルに収まる。東北本線白石(宮城県)・常磐線新地(同)・羽越本線加治(新潟県)まで行ける。

★往復乗車券
420kmまで3,460円(片道1,730円)。昆布・幌延まで往復できる。

★池田から急行利用
札幌まで片道1,220円。急行料金は普通車300円。合計1,520円で、変わらず10ドルで札幌まで急行往復可能。寝台料金はB寝台下段1,200円になり、片道急行・片道夜行普通列車コースでは10ドルを上回る。

この年12月のスミソニアン協定で米ドルの切り下げが行われ、1ドル=308円に改められた。この時点では固定相場制を維持する方針だったが、わずか1年あまりで再度の米ドル切り下げが行われ、1973年2月変動相場制に移行する。”十弗”の価値は坂道を駆けるが如く下がり始めた。

1978年

変動相場制移行直後は1ドル=260円台で、その後数年間は300円前後を推移したが、1977年に入るとみるみる円高が進み、1978年10月には177円台となった。今の水準から見ればかなり円安ではあるが、「ドルの価値が7年で半減」は当時大きなニュースとして報じられた。この流れから一般庶民の財力でも高級輸入品や海外旅行に手が届くようになった。

一方国鉄は1976年に大幅値上げを行い、毎年のように労使交渉がこじれるなど体力を消耗するようになり、1978年10月には「減量ダイヤ改正」が断行された。ここでは10ドル=1,800円で計算する。

★片道乗車券
240kmまで1,800円。すなわち本州どころか札幌へも10ドルでは行けなくなってしまった。滝川(十弗から215.8km)より函館本線に入るまでが精一杯。茶志内が限界である。

富良野線経由では旭川(十弗から213.0km)まで10ドルで到達可能。宗谷本線に入り蘭留まで行ける。

★往復乗車券
120kmまで1,800円(片道900円)。東鹿越、上尾幌が限界。10ドルで釧路往復がやっとになってしまった。

いずれも特急・急行の利用は論外。

1982年

米国の経済政策が奏功して再びドルの価値が上昇、11月には1ドル=270円台まで戻している。国鉄では石勝線(1981年)、東北新幹線(1982年)が開業したが経営が限界に達し、メディアの国鉄叩きとローカル線ブームが同時進行する流れが生じた。鉄道旅行記や旅行指南書が静かな人気を集め、今の”鉄オタ”の原型ができた時代。ここでは10ドル=2,600円で計算する。

★片道乗車券
200kmまで2,500円。函館本線に届かなくなり、茂尻・初田牛が限界。新得から石勝線に入れば追分まで200km圏内だが、石勝線には特急・急行しか運転されていないので10ドルでは足が出る。富良野線経由は千代ヶ岡まで。

★往復乗車券
100kmまで2,520円(片道1,260円)で、近郊区間のみとなる。10ドル釧路往復はかろうじてキープされている。

1989年

1985年9月の「プラザ合意」は今や伝説となった”バブル経済”の導火線となった。再び急速な円高が進み、1ドル=120円台まで進行した。現在の為替レート基本相場はこの時代にできている。

発足当初のJRは「当分の間値上げしない」とアピール。青函トンネル完成により津軽海峡線が1988年に開通して、寝台特急「北斗星」がデビューした。1989年には札幌駅周辺立体化工事が完成したが、札幌圏への一極集中が顕在化した時代でもある。ここでは10ドル=1,300円で計算する。

★片道乗車券
”幹線”運賃で80kmまで1,260円。釧路にも行けなくなり、新得・庶路までが限界。

★往復乗車券
40kmまで1,280円(片道640円)。帯広までしか往復できない。

1995年

バブル崩壊後も円高は進み、1995年4月には1ドル=80円を割る「史上最大の円高」となった。もはや往復の計算は意味をなさないので、片道乗車券のみ紹介する。

50kmまで800円。芽室・尺別まで行ける。

2004年

21世紀に入ると1ドル=100~110円台でしばらく安定する。円高も円安も急激な変化は起こりにくくなった。「比較的安全な円資産」という言い方を耳にするようになったのもこの時期からだろうか。

JR北海道は1996年に独自の値上げを行い、時刻表掲載の運賃表が煩雑になった。ここでは10ドル=1,050円で計算する。

片道乗車券は60kmまで1,040円。芽室・尺別で変化なし。往復乗車券は30kmまで1,060円(片道530円)。札内・浦幌までで、帯広にも届かなくなった。

十弗駅の「10$大型看板」が設置された頃、”10ドルの旅”は既に懐旧の世界に入っていた。

現在

2022年ごろから円安に転じて、同年秋には久しぶりに大幅な動きを見せたが、今のところ1ドル=150円がラインになっていて、その値に近づくと振り子が戻るように少し円高になる。すなわち10ドルで帯広まで往復できるようになったら”危険信号”とみなされている。

帯広駅掲示の運賃表(2024年1月)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?