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ラワレの風 ~ラベンダーは夜汽車に乗って~



夏が来れば…

夏が来れば思い出す、中富良野のラベンダー。
1990年代半ばごろに知り、20世紀のうちは毎年のように「ファーム富田」を訪れていた。
幼少の頃から大好きだった紫色が一面に広がる大地。
優しく見守るかのような十勝岳。
おとぎ話のような空。

初めて中富良野駅に降り立った時、懐かしい夏が迎えてくれたような心地がした。「中富良野村」の表記が残る農業倉庫の脇からラベンダーのかおりが不意に匂い立った。

当時人気のあった、富良野を舞台とした有名テレビドラマは全く見ていない。今もどんなお話かほとんど知らない。純粋に花が好き、紫色が好きだから中富良野を目指した。

その後ファーム富田で運営されていた「ラベンダークラブ」に入り、ラベンダー栽培の歴史やアロマの基礎知識について学んだ。富田忠雄代表にもお目にかかれた。

21世紀に入ると真っ白なパウダースノーと、凛とした空気が奏でる冬の表情のほうが好きになり、花の季節には行かなくなった。いつしか海外からの観光客の間で富良野人気が急上昇して、夏になると大勢の人が押し寄せて混雑するようになったと聞いた。

EXPRESS

2015年1月、真っ白なファーム富田を訪れた。
静かで、空は澄み切っていた。雪はサラサラと手袋から舞い、鞄から払うと跡に湿ったしみさえ残らなかった。結晶まで肉眼で見えた。この夏は久しぶりにラベンダーにも会いたいと思った。記憶とは様変わりしているだろうけど。

ラベンダー畑の色合いは天候に左右される。一般的に”ラベンダーカラー”とされている色彩よりもかなり濃い紫色なので、日差しがない時は黒っぽく見えてしまう。透き通った明るい空がほしい。飛行機の早期予約はかなり割引されるが、お天気だけは予約できない。直前になってホームページを見ても都合のよい便は満席か、もしくは目の飛び出る運賃が表示される。

このような時の強い味方が急行列車の「はまなす」である。青森を夜に出て、早朝札幌に到着。さらに乗り継いでいけば、観光客でごった返す時間帯直前にたどり着ける。「はまなす」は寝台車・指定席・自由席の混合編成で、オンシーズンの寝台券は確保が難しいが、この時は幸い取ることができた。

7月某日の夕刻、大宮駅に赴いた。夜の東北新幹線で新青森を目指す。21時37分終点新青森到着。盛岡から先は初めての乗車になる。新青森は市街地から離れた森林を切り開いて作られた駅だった。接続する21時46分発の青森行き普通列車に移る。結構混雑していて、扉の脇に立つ。JRの関係者らしき二人づれが隣にいて、「安い切符がある時はたくさん乗ってくれるんだどね」などと話している声が耳に入ってきた。

およそ5分で青森駅に到着。連絡船の時代から幾度となく通ったが新幹線延伸後はすっかりごぶさただった古いこ線橋を渡り3番ホームへ。「はまなす」は既に入線していた。おなじみの濃青色の車両。厳密な意味(全車寝台の特別急行列車)ではないが、まさに”ブルー・トレイン”である。

車体には金色の帯があしらわれていた(2015年7月)

持参している急行寝台券には「増21号車」と記されている。多客期なので増結が行われていて、それゆえに直前でも取ることができたのだろう。上段しか残っていなかったが、取れただけでも十分な僥倖である。

これから海を越える、星の寝台車
上段寝台

窓際の梯子を上り、とりあえず通路上のスペースに荷物を押し込み、ホームを見学。先頭の機関車には大勢の人がカメラを向けていた。いかにもオタクといったいでたちの人よりも、一般人風の姿が目立つ。家族づれや年輩の人も記念撮影をしている。近年はスマートフォンの性能が上がり、旅の記録として手軽に撮りやすくなっている。

「急行」 よい響きの日本語

ホームの案内表示機は「急行はまなす 札幌」と示している。急行列車。これから旅が始まるというわくわく感がたまらない。特別でも何でもなくなり、語感さえも軽くなり果てた「トッキュー」よりもよほど風格がある。

EXPRESS FOR SAPPORO

余裕を持って寝台に戻り、浴衣に着替えようとしたところで車内放送が入る。この列車に接続する別の列車が運転中鹿と接触したため遅れていて、その到着を待ってから発車するので15分程度遅れる見込みという。それを聞いて再びホームに出るお客さんも少なくなかった。私は揺れはじめないうちに洗面所に行き、歯磨きと服薬を済ませた。

何をするでもなく時の流れに任せていたら接続列車が到着したようで、結構な人数が3番ホームに来て「はまなす」に乗り込む。22時35分、17分遅れで青森駅を出発した。

車内は満席。思い思いにおしゃべりしたり、ベッドメイクしたり。いつもの夜行列車の光景である。室温もちょうどよい。以前は暖房の効かせすぎで暑すぎることが結構あった。冷房の季節のほうが快適である。梯子を上り2段ベッドに身体を横たえ、カーテンを引く。

構内ポイントをいくつも渡る音がギシギシと響く中で、改めて車内放送が入る。函館には1時01分到着予定だが、函館で停車時間が十分あるのでそこから先は定時で案内される。青函トンネルには23時22分ごろ入り、所要約37分とも話していた。

下り「はまなす」は蟹田駅で運転停車する。かつて上り「北斗星2号」上野行きとの行き違いを幾度か見かけた経験があるが、この日はその前に寝てしまった。

Road To Nakafurano

停車の衝撃がベッドに伝わって目が覚めた。デッキに出る。列車は東室蘭に停車していた。ホームの時計は4時15分を指しているが、既に明るい。ドアから顔を出してみる。ホームの先にはローズピンクの空が広がり、涼しい風が静かに吹き抜けていく。私は北国の夜明けの空気を胸いっぱいに吸った。写真に収めたくて、カメラを取りに寝台に一旦戻ろうとした瞬間、ドアが閉まった。

今日のスケジュールを考えるともう少し寝ておくほうがよいのだろうが、明るくなる一方だし、札幌が近づくと洗面所は相当混雑するであろうから起きることにした。着替えて歯磨きを済ませる。

まだ誰も起きてこない
樽前山が見渡せる

5時01分苫小牧を発車。市街地を抜け、海側にコンビナートを延々と眺めつつ一直線にひた走る。沼ノ端駅の端には大きな望遠レンズを取り付けたカメラを構えている人がひとり立っていた。今朝は絶好のコンディションだろう。千歳線に入り、美々を過ぎて林の向こうに飛行機が姿を現すあたりから乗客が少しずつ起きてきた。

列車は定刻通りに運転されていて、快調に札幌を目指す。ラベンダー畑が近づく嬉しさと、夜汽車にさよならを言う淋しさがないまぜになる中、豊平川を渡った。

終着案内放送が始まる

6時07分札幌駅3番線到着。ここのホーム隅にも大勢の撮影者がいた。コンコースに繰り返し響く列車接近3点チャイムで、札幌に来たと実感する。

道内で牽引してきた機関車

8番線に移り「スーパーカムイ1号」に乗り込む。6時51分札幌発、7時43分滝川に到着した。駅には「いい日旅立ち」の懐かしいキャンペーンマークが残されていた。「トワイライトエクスプレス」の1号車1番も体験しているので「いい日旅立ち」の楽曲には北海道の印象がとりわけ強い。東海道新幹線で同曲のチャイムを搭載する車両にあたるたびにしみじみ思い出す。

日本のどこにも私を待っている人などいない…けれど

滝川8時05分発の根室本線富良野行き普通列車に乗り換える。発車した途端、雰囲気が大きく変わった。1両運行ということもあるが、線路は古くなり、木々は覆いかぶさるように近くなり、現れる駅は絶句するほどの寂れよう。かつては石炭の積み出しで賑わっていたという赤平や芦別はとりわけ斜陽感が漂っていた。

9時14分富良野到着。ここで列車の旅を一旦終える。駅舎前には国鉄当時の駅名標が掲げられている。きれいに保管されている。

美瑛でも残してほしかった

駅前のタクシーに乗車してラベンダーイーストを目指した。

東中

ファーム富田「ラベンダーイースト」は上富良野町東中(ひがしなか)にある。富良野線には「西中」という駅があるが、東も駅名になっていないだけで、この地に存在している。富良野駅から北へ約10km、タクシーでおよそ15分。


ファーム富田公式サイトによれば、東中地区は富良野地域で最初にラベンダーが栽培された土地という。時は1948年、戦後復興の時代であった。一時期水田になっていたが、香料商品用として再びラベンダーの栽培を始め、2009年から7月限定で観光客に開放している。

ラベンダーイースト入口

本園とは対照的に、簡素な建物と遊歩道、駐車場があるのみ。それを取り囲むように無数のラベンダー(公式サイトによればおよそ9万株)が風にそよいでいる。門の2階が展望台になっている。

Welcome to Lavender East

はるか西にはファーム富田本園やオリカリゾート(上の写真では丘の中腹にある茶色の建物)が見渡せる。オリカはかつて幾度か宿泊した。西中駅前の道をまっすぐ歩き、やがて坂道になり、その傾斜が急になった先にあった。雪の夜、ホテルの窓から見下ろす中富良野の街あかりを見ていたら、まるで深海にいるかのような心地であった。

いちめんのむらさき

香料商品原料としての畑なので、観光客がいる前でも刈り取りのトラクターが黙々と作業を続けている。

写真からも漂ってきそう

本園は斜面に作られていて、畑にかなり近づけるがこちらは平原に余裕を持って植えられている。観光客は建屋付近以外に立ち入りできない。その代わり「ラベンダーバス」というトラクターに幌をつなげた乗り物があり、15分程度かけて園内をゆったり一周する。500円。

背後には夕張岳
町営ラベンダー園(右上)に「なかふらの」の文字
ラベンダーバス乗降場

後で乗ることにして、まずソフトクリームを食べる。数日前に歯の治療のため奥歯を抜いて、まだ少し痛みが残っているが別腹ならぬ”別口”。

軽食メニューもある(価格は2015年時点)
ラベンダーソフトクリーム

食べているうちに何気なく空を見上げていると、雲が天使の羽根のように見えてきた。文字通りの溶けそうなしあわせ。

一期一会

桃源郷に倣い「紫源郷」もしくは「薫源郷」と言いたいほど。あいにく時間を止めることはできないので、腰をあげてラベンダーバスに乗った。

十勝岳にはかすかに雪が残っていた

十分堪能したが、この広大なラベンダー園は日々黙々と畑を手入れして、花を刈り取る人たちの労働力に支えられていることを忘れてはいけない。

人、人、人

ファーム富田の本園はラベンダーイーストから4kmほど離れている。連絡する交通機関はないのでおよそ45分かけてのんびりと歩いた。

ラベンダー以外の花も道端を飾る

富良野川にかかる橋を渡ると目の前に広大な駐車場。中には夥しい数の観光バスが並んでいる。園内は人、人、また人。外国語も交えたおしゃべりが絶え間なく飛び交う。観光ツアーの添乗員が旗を持って何十人もの観光客集団を引率する。それも1組や2組ではない。ただ気圧されるのみ。1月に訪れた時の凛として清冽な空気感とは対照的だった。

トラディショナルラベンダー前の道路に向かう。昔撮影した雪景色と同じ位置からの撮影を試みたが、「ラベンダー」の標柱前は記念撮影する人が入れ替わり立ち替わりポーズを取っている。順番待ちまで見られて、断念せざるを得なかった。

トラディショナルラベンダー畑(2001年12月、フィルム撮影)
人影は途切れそうにない(2015年7月)

トラディショナルラベンダー畑の反対側には大きな蒸留装置や、苗木をドライフラワー用に乾燥させる棚がある。この一帯は昔と変わらない。

ラベンダー精油用蒸留装置
干し柿ならぬ「干しラベンダー」
富田忠雄代表のメッセージボードも新調されていた

富田代表のフランスの友人で、若くして亡くなり中富良野来訪が果たせなかったルネ・ギャロン氏にちなむカフェ「ルネ」の新館がメインハウスの花人の舎脇に建てられていた。1月来訪時はまだできていなかったように記憶している。高いガラス張り天井のwoodyな空間。東側(十勝岳側)にオープンテラスがあり、その真下近くまでラベンダーが植えられている。4月から10月まで営業しているらしい。さすがに雪の季節は閉鎖して、元からある花人の舎内カフェに移動する。商魂丸出しとも受け取られかねないが、多くの客をさばく観光施設として生き残るためには必要な設備なのだろう。

カフェ内では大勢の人が飲食を楽しんでいたが、ランチタイムのピークを越えた時分で、並ぶことなくオーダーできた。ソーセージカレーにコロッケ、コーンスープ、いちご果汁ジュース。改めて写真を見て文章にしてみると、自らの食い意地の張り具合を突きつけられているかのよう。抜歯したばかりで、ようやるわ。

1,510円

幸いオープンテラス席が空いていた。ラベンダーを背景にして置いてみると”彩りの畑”のようなカラフルさが際立つ。この日、実物の彩りの畑はあまりにも人が多すぎたので、あえて立ち寄らなかった。

カレーもスープもジュースも、もちろんおいしかった。が、どこかファミレスのような感触もあった。良くも悪しくも、それだけ定番観光地化してしまったのだろう。

Lavareの風

ファーム富田を訪れる時、帰りは西中駅まで歩くことが多い。中富良野駅に行くよりも若干距離があるが、観光客たちの喧噪が遠のくと同時に自然の声に耳を傾けられる。道端にポツンと保存されている昔の黒い貨車が印象的な、好ましい散歩道である。

この日も適当な時間にファームを後にして西中まで歩く心づもりだったが、時刻表を見て「富良野・美瑛ノロッコ号」が先に通ると気づく。観光向けに改造された客車で、車窓風景を楽しんでいただくため通常の列車よりもスピードを落として走行する。自由席もあるので、思い立ってすぐに乗れる。

ノロッコ号は西中には停車せず、ファーム富田に最も近い位置に作られる臨時駅「ラベンダー畑」に停車する。この駅は原則ノロッコ号専用で(最繁忙期は昼間時間帯に普通列車も停車する)、運転期間以外は設備ごと撤去される。文字通りの”仮乗降場”である。(以前道内にたくさんあった仮乗降場は地元の要望に応じる形で鉄道管理局が設置した恒久施設だった。)

改めて時刻を調べたら15時22分発と記されているので、15時まで園内を回る。北東隅の畑ではサルビアやマリーゴールドが花を咲かせはじめていた。

秋には園の主役

以前はラベンダーの刈り取りが終わると地味な色彩の畑に戻っていたが、近年は春や秋に咲く鮮やかな色彩の花も積極的に栽培している。ラベンダーの見ごろに来られない観光客をがっかりさせないためでもあるのだろう。旅行会社側も、ラベンダー最盛期以外にも出発日を設定しないと申し込み客をさばききれない事情があるとみられる。

花人の舎の2階には「富田忠雄記念室」ができていた。著書にも紹介されている、プロバンスのラベンダーナイト(騎士)に選ばれた時のガウンや、天皇陛下ご来園時の写真などが展示されていた。隣の部屋にはラベンダー各品種やハマナスなどのアロマが体験できる装置があった。

15時になりファーム富田を後にする。ラベンダー畑駅は以前にも使ったことがあるので道は覚えている。記憶を呼び起こすまでもなく、駅へ向かう人の流れが既にできていた。身なりや発するオーラこそ異なれど、都会の通勤ラッシュとあまり変わらない。

駅の入口には係員が常駐している。安全のため列車到着直前までホームに人を入れないようにしているので、入口脇のプレハブ待合所でしばし直立不動。わりと前のほうに並んだが、わずか数分で私の後ろに100人を超えていそうな列ができていた。

係員の合図を受けてホームへ。程なく夕張岳を背にする形で、派手な塗装の機関車に牽かれた3両の客車がやってきた。指定席1両、自由席2両。観光列車目当てに旅する人もいるが、私はそう関心がない。現地の移動において最も効率的な選択をした結果がたまたま観光列車であった、が好ましい。あくまでも一般の列車と同じように乗りたい。ゆえに自由席のある列車はありがたい。

この時間帯は乗車する人のほうがはるかに多い。風吹き抜ける客車はたちまち乗客で埋まったが、約7分で上富良野に到着するので立っていても全く構わない。15時29分ごろ(正確な時刻は調べられなかった)、西日に変わりつつある上富良野で下車。

ここで下車する人も多かった

かつてはただの空き地だった駅舎脇にもラベンダーが植えられている。

よく見たら客車はそれなりにくたびれていた

駅構内に隣接して建てられている東西自由通路(上富良野町で建設したものだろうか。うらやましい!)を通り東側に出る。東京郊外を思わせる団地脇などを20分ほど歩き、日の出公園に着いた。

ここは丘の斜面にラベンダーが植えられ、頂上には鐘もある。ファーム富田よりも観光客の姿は少なく、落ち着いて楽しめる。上富良野Naviのサイトによれば、1980年から栽培を始めたという。

パステルラベンダーに塗られた灯油タンクを見かけた

このあたりは美瑛にも近いなだらかな丘陵地で、広大な平原の中富良野とはまた違った趣がある。

ラベンダーの丘をのぼる

程なく頂上の展望台が見えてきた。ファーム富田では混雑防止のためウェディングドレス類を着ての撮影を禁じているが、こちらはその類のポートレート撮影も可能らしい。(町の公式サイトにも紹介されている)近年は「推し」のフィギュアと一緒に旅して、フォトスポットで記念撮影を繰り返す人やロリ系ファッションで旅する人をよく見かけるが、ここはその種の人たちにとってもありがたい施設だろう。

展望台と愛の鐘
丘の斜面にゆれるラベンダー

頂上に着くとラベンダー越しに上富良野の中心街が見渡せる。平地が尽きて山深くなる、そのあわいにできた町と見て取れる。

上富良野町中心街を望む

もう少しここにいたら夕陽が見られるかもしれないが、もう帰る時間。ラベンダー色に染め上げた一日が終わろうとしていた。

悔しいこと、納得のいかないことばかり思い起こす、あまり賢くない人生だった。それでもラベンダーの紫、粉雪の白に出会えただけでもこの世に生まれてきた意義はあったのだろう、多分。

駅に戻る

重たい夏に疲れたら
ラワレの風に吹かれよう
夜汽車の揺れに身を委ね
寝台(ベッド)で浅き夢みよう

心の旅と気取らなくとも
なごみの時は ほらそこに

Lavanda al vento 今日だけは
Lavanda al vento 洗いましょう
紫の花 織りなす丘で


泣きたい夏に疲れたら
ラワレの風に吹かれよう
かおりの園に身を任せ
雲の天使を見上げよう

心のドレスふわりと舞えば
なごみの時は 今ここに

Lavanda al vento 今日だけは
Lavanda al vento 洗いましょう
紫の花 織りなす丘で


Ah すてきな時は
Ah いつも早足
Ah 明日は酷暑の
街へと戻る

Lavanda al vento また来るね
Lavanda al vento 帰りましょう
夕映えの丘 紫の花
紫の花

・ラワレ(lavare):ラテン語で「洗う」。ラベンダーの語源とされている。
・Lavanda al vento:イタリア語で「風の中のラベンダー」

<参考資料>
(旧)北海道鉄道時刻表
JR北海道 「JRで行く富良野・美瑛2015」
ファーム富田公式サイト
上富良野町公式サイト
上富良野Navi
書籍「わたしのラベンダー物語」(富田忠雄・著)


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