1曲目『でんでんぱっしょん』
親には、散々迷惑をかけてきた。
どうしてもやりたいことがあるからと入った専門学校を中退し、毎日ニコニコ動画を見たり、ゲームばかりしていた。
精神状態はやけっぱちで、安いウイスキーを買っては瓶のまま飲んだりしていた。おいしくはなかったが、脳を麻痺させるには充分だった。
誇張だと思われるかもしれないが、事実だ。
でも、願望がなにもなかったわけではない。
当時、ぼくはアニメの同人小説を書いていた。なぜなら、物語は好きだが、絵は下手だったからだ。(もちろん、自分なりに、小説への愛着は持っているつもりだったが)
ぼくは、小説家になりたかったのだ。
当時、少しのアルバイトはしていたけど、金がなかった。
だから、同人誌を出したいから、印刷代を出してくれと親に無心したことさえあった。
同人誌とは何か? を、口ごもりながら説明し、コミックマーケットとはいかに健全なイベントであるかを、うつむきながら語った。
親は、印刷代を出してくれた。
「お前が頑張りたいことは、応援したい」
と、言ってくれた。戸惑うような顔で。
もちろん心は痛んだ。甘えと言えばそれまでだ。
でも、この「後ろめたさ」が、ぼくにとって必要だった。
こんなことは間違ってる、と自分で確認できたから。ぼくは、(おそらくほかのふさぎこんだ若者たちと同様に)自罰的である必要があった。
同年代はすでにパリッとしたスーツを着て、「シューカツ」とやらをしていた。でも、それは別世界の出来事だった。
これが、当時のぼくの限界だった。
東日本大震災をきっかけに、次第に、抱えていた「後ろめたさ」がふくらんでいった。
働こう、と思った。
そうと決めたら、ぼくは早い。迷う前に公言してしまうからだ。
早いというより、逃げ場がなくなった。
まず、親に言った。
親は、実に複雑な表情をしていた。
きっと、露骨に嬉しそうにしてはいけないと自らを律したのだろう。あれはそういう顔だった。
同人活動で得た知識を活かせる仕事を探した。
さいわい、実家のすぐそばに、それはあった。
ぼくは、面接で、今までに作った同人誌をテーブルに広げて、御社で働くに足りる人間であると示そうとした。
結果、採用となった。
面接1社目だった。
嬉しかった。飼いならした「後ろめたさ」も喜んでいた。
そしてぼくは、何よりの目的であった「自分でも正社員として給料を受け取ることができるという証明」に成功した。
変な話だけど、
「正社員になれたこと」そのものよりも、
「正社員になろうと動いた結果、それを実現できた」ことがぼくにとって励みになった。
『自分の思い描いた人生を送る能力』が、自分にも備わっているのだとわかったから。
ただ、それだけが嬉しかった。
もちろん、不規則なフリーターに慣れきった体に、フルタイムの労働はなかなかにこたえたし、つらいこともあった。
『自分の人生を自分の思い通りに送る能力』は、それほど発揮されなかった。でも、ここから頑張るしかないと思えた。
いつからかぼくの中に安住してしまった「後ろめたさ」と決別するために。
いつか、「むかしは親に金を借りるようなやつだった」と振り返って書けるほどに、「うしろめたさ」を遠くに追いやるために。
働いて半年ほどで、一人暮らしを始めた。
とはいっても、会社が実家の近くなので、必然的にぼくが借りたワンルームマンションも、すぐそばだ。
自転車通勤。自転車は、『Steins;Gate』の影響で買ったビアンキ。でも、安いやつだ。
家賃は3万円代。敷金礼金なし。都内ではないので、この値段でそこそこのワンルームが借りられた。
引っ越しの日、ぼくはでんぱ組.inc『でんでんぱっしょん』を聴いた。
いい歌だな、と思った。
ここからはじめよう、と素直に思えた。
一人暮らし初日。春先の寒い日。
ぼくは手を揉みながらワンルームマンションから飛び出し、ビアンキの自転車で会社に向かう。
その道中でイヤホンから流れるのは、もちろん、でんぱ組.inc『でんでんぱっしょん』だった。
彼女たちは歌う。
——ララララ 突き進め!
高らかに、のびやかに。
——私たちと 君らを繋いで 叫ぶよでんでんぱっしょん!
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