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映画『ヒノマルソウル』 つないでいくもの。そして。

※以下、内容に大きく触れています。(一部敬称略)

♪こぼれ落ちた涙 手でぬぐい笑った しがみついた夢に お別れをしたんだ♪

挿入歌MAN WITH A MISSIONのPerfect Clarityが流れる頃はすでに泣いている。涙はとめどなく。

わたしは1回目は字幕メガネで(詳しくは下記リンクで) 2回目は字幕付上映でみた。

だから歌詞もわかった。もしかしたら聞こえる人以上に。観る前はPerfect Clarityが流れるタイミングが素晴らしいと聞いていて、分かるか不安だった。エンディングMISIA「想いはらはらと」は出るだろうなと思っていたけど。それは杞憂だった。ばっちり歌詞でいま流れてるんだなと分かった。歌詞を見てそれこそ涙がはらはら落ちた。ちなみに「TOKIO」も歌詞が出ている。

田中圭さん主演の『ヒノマルソウル』。ドローンで撮影された会場が映る序盤から目の奥がつんとし、もう涙はスタンバイしていた。最初に泣いたのはリレハンメルから帰ってきた西方さんを幸枝さんが迎え入れるところだ。「おかえり」そこで西方さんは堪えていた想いを表に出すことができた。

そして涙が止まらなくなったのは、スキー連盟の役員かな?がテストジャンパーにお願いに来るところから。落ち着いて考えると非道とも思えるその要請が事実なんだと思うと涙が溢れてきた。実際どんなやりとりがあったかは知るよしもないが、25人のジャンパーが悪天候の中飛んだのは確かだ。

テストジャンパーのゼッケン「F」は「for」からきている。これだけでもこころが詰まる。NEWS 23でも流れた当時の映像を見ると、実際の西方さんは「F24」。公式な記録は見つけられなかったけど、下記個人の方のブログ見ると、高橋さんの記録はテストジャンパーの中で最長の131メートルだったらしい(これ以上飛んだのは日本選手では原田、岡部の137メートルのみ)。そしてジュリーが指名し、重視した銀メダリスト西方さんの記録はK点越えの123メートル。なお、高橋さんは五輪直前西方さんが優勝した雪印杯全日本ジャンプ大会(1998年1月11日 記録237.0点 87.5m 96.5m※筆者注 ノーマルヒル?)の 1週間後の1998年1月18日、STVカップ国際スキージャンプ競技大会で岡部らをおさえて優勝している( 記録244.3点 118.5m 130.0m)。当時ニュースになり、それまでの実績がないため、代表には選ばれなかったけれど、テストジャンパーに選ばれたことは私は知っていた。でもあの金メダルの舞台裏にそんな活躍があったことは知らなかった。まさに高橋さんの記録を見る限り事実は小説より奇なり、だ。(以下5つ出典先を貼って、さらに下に感想は続きます)

公式記録

雪印杯

STVカップ国際スキージャンプ競技大会

映画に話を戻そう。当時のオリンピックのマーク、ポスター、スキーケース、バッグ、「チャクシン」表示のガラケー、全てが懐かしい。特にスキーケース、上を折り曲げる細いタイプだったな。今はスノボも入るような幅広だ。バッグもポケットがいっぱいあるやつだった。本当に懐かしい。新聞が小道具としてよく使われてて、あと何日、も効果的で感心した。ドロミテ、フェニックス、コロンビア、デサント…馴染み深いスキー関連メーカー、スポーツウエアも親近感。

さて、本来であれば大盛り上がりの東京オリンピックのはずが、無観客とコロナ禍の元、微妙なものとなってしまった。おそらくオリンピックのタイミングにぶつけようと1年延期した本作の公開、冬の落ち着いてたように見えた頃が良かったなと今となっては思う。タイトルもいつもよりアレルギーが出てしまう人もいるだろう。もともとはジャンプ団体の愛称、日の丸飛行隊からとったのかもしれない。劇中に重要なセリフとして出てくるのでこれしかないというのは分かる。実際他のタイトルを考えようとしても思いつかない。長野の奇跡、(サブをそのまま)舞台裏の英雄たち、歓声のない舞台、NAGANO、金メダルへの道…ううむ。ピンとこないな。

これはオリンピックやメダル礼賛の物語ではない。一緒にみたそれぞれ別の友人が西方と原田の物語だと言ったり、原田の物語にすればいいのにといっていたけどそれは違うようなと思った。たしかにアンダーウェアとグローブの話はエモい。原田さんの苦悩も相当なものだ。西方さん(わたしは選手として認識していたけど)を知らない人も多いかもしれない。でも目の前にあった金メダルを逃した西方さんの苦悩を取り上げたこと、さらにいえばテストジャンパー同士の愛の物語でもあると思う。舞台裏の人たちの物語。終盤、スタートする前に西方が言うセリフ「俺が原田に金をとらせます」からもそれが伺える。予告では「おれが日本に金をとらせます」だったとか?なのでオリンピック礼賛に聞こえてしまったのはあるかも。(私は聞こえないのでわからなかったけど、これだけは聞こえなくて幸いか(苦笑)ほんとは予告に字幕入れてほしかった。要望したんだけど。)実際には人間の悔しさや葛藤、後悔、ジレンマ、それを押し隠す苦しさ、自分の置かれた立場への熱い思いと苦しさ、家族への愛、仲間への愛が詰まった人間ドラマだ。

また、俳優陣が素晴らしい。わたしが思うに全ては目に尽きる。

小坂菜緒。鍵となる言葉を発する重要なポジション。大きな目をキリッと見開き、啖呵を切る。オリンピックへの熱い思いを語る。それが演技の経験によってはどんなに難しいことか。監督も田中圭さんも絶賛していたけど一番演技が伸びた人だとか。

眞栄田郷敦。いや〜な奴を見事に体現。でも目に葛藤がチラチラ見えていて、おや?と思わせる。そして後半、直前まで危険だと言っていたのに、みんなと一緒に頭をさげる。そこから彼は変わる。その目と表情の変化が、素晴らしい。

土屋太鳳。ヒノマルソウルの前に撮ったと思われる主演の「哀愁しんでれら」とは違った表現に驚かされる。母となった女性の慈しみ深さ。西方のの愛情。ときには包み込むような目、ときには突き放した目。どの目も西方が好きだから。愛してるから。本音を隠してまで励まし、突き放す。「おかえり」の時の声がよかったと聞くが、私は聞こえないから目を見てたな。受け止めるよという目のサイン。大会のときの祈るような目。やめちゃえばの時の目。いろんな目の表情。

古田新太。もうコーチは彼以外考えられないくらい、コーチ(ご本人も名前忘れてるしw)。自分の嫉妬心を隠そうともしないところも実はあたかかいところも厳しいところもあますところなく魅せてくる。基本的に笑った目はないんだけど、やはりあの烏龍茶はさすが!!これは脚本の話になるんだけど、何故西方を選んだのか聞きたかったな。「よっ」とか「はいっ!」と旗を振り続ける神崎コーチが本当に愛おしいですw西方が無事飛んだ時ににやっと目をほ細めて笑うのも。

山田裕貴。彼の演技は別々に同行してくれた友人たちも注目していた。彼のは目の表情というより目線だ。目線が素晴らしい。聞こえない人は常に目で情報を得ようとする。顔を凝視したりする。私は女だから聞こえる男性にそんなに見ないでよと言われたこともあるけど、それが普通なのだ。色っぽい意味じゃなくて。山田裕貴はそこをしっかり体現していた。どんなときも相手の顔や口に目線をやる。みんなが注目したところへ、遅れて目線をやる。聞こえない人かと思った!とろう者に慣れている聞こえる友人が言うくらいだった。語弊を恐れずに言うなら、発音の仕方も自分の声が聞き取れない人のそれだった(口の形でわかる)。オフィシャル本によると彼の少年の頃の野球のコーチが聞こえない方だったらしく、耳に残っていたんだろうな。この高橋さんで山田裕貴は助演男優賞とれそうなくらいだ。しかしだ。私はろう者の立場であえて言おう。この役は聴覚障害者にやってほしかったと。もちろん山田裕貴は素晴らしい。彼は全く悪くない。繰り返すが助演とれると思うくらい。

ヒノマルソウルの初見のあと、続けて私は洋画の『クワイエットプレイス2』を見た。見た意図はろう者の女性が聞こえない役として出てくるからだ。彼女は映画では家族の一員で、決して端役ではない。蚊帳の外に置かれてはいない。そして読み取りのわからなさというのがしばしば出てくる。家族はみんな手話で話すから会話がスムーズだが、家族以外の男性の言うことは分からず、伝わらないことに彼女と男性双方もどかしく感じるシーンがある。対面でもそうなのだ。ヒノマルソウルではけっこう大勢で話すシーンがあるが、これを読み取るのは至難の業に近い。一人一人の自己紹介、賀子の父親がきて騒ぐところ、西方さんにアドバイスをくださいと賀子→南川が口々に言うところ、そしてなによりジュリー会議の結果を役員がもってくるところ、ここは一発では読み取るのはかなり難しいと思う。それは別々に一緒に行った友人と意見が一致した(ただ、賀子が倒れたとき「大丈夫?」「大丈夫」と隣の人とジェスチャーしてたし、ジュリー会議の結果のところは隣の人に目をやってるので聞いたのかもしれない。そのあと彼はもっと知りたいと思ったのか他の人を押し除けてまで前に出てくる)。私は3人以上の会話にいつも苦労して神経をすり減らしている。時には神経が限界になり眠くなるくらいだ。部屋で3人で話していて高橋が寝てしまうのは実は疲れてるからかもしれない。ろうの友人もそう言っていた。目の前でなにを話しているかわからないことくらいもどかしいことはないのだ。話の進行上繰り返して聞くという、そういう部分は難しいのかもしれないけど、読み取れないということも出して欲しかったし、それは本当のろう者を使えば容易すぎるほど容易だ。演技の指示も通訳がなかったら全くわからないはすだ。まあ、でも当事者がでたらそれは当たり前で山田裕貴のように称賛されないのかもね。

高橋さんは素晴らしい成績をもっていたのに、海外の大会やオリンピックに選ばれなかったのは何故か。それは聴覚障害者は身体的には聞こえないだけで、身体は自由に動かせるが(三半規管に障害があるとバランス感覚が悪いことはある)、その身体の動かし方をコーチしてもらう時に分からないのだ。ある程度センスがある人は見ただけで再現する人もいるだろう。でも頂上を争う場では細かいところがモノを言う。そういう指導が分からないことが多い。高橋さんもスピードを争うものは合図や競技中の指示が聞き取れないので断念したと聞く。ジャンプは神崎コーチがやる通り旗だし、一人で飛ぶ。だからやれた。私事で申し訳ないが私はスキーが好きだが運動神経がないこともあり、ほとんどうまく滑れなかった。でも手話で細かく教えてくれた方がいて、それなりに滑れるようになった。2級も取れた。自己責任が求められる海外のスキー場に滑りにいけるくらいにはなった(余談だが海外のスキー場の植生は日本と全然違うか、森林限界があったりして、景色が違う。冒頭のリレハンメルのリフトのシーンはああ日本だなと親しみすら感じる)。それが限界だったけど、手話で教えてもらえなかったらいまの私のスキーの技術はない。大学のときにスキーの講義をとったけど、現地でみんなについて行くのに非常に大変だった。次になにを練習するかもだがどこまで滑るかも分からないからだ。周りの人に聞きまくってようやくついていった。だから高橋さんは若い時は手話されなかったようだが、隣で書き取るなどきちんと情報保障がある中で練習をつめていたらもしかしたら代表になっていたかもしれないなと思う。優勝した大会も勤め先?かなんかの「歯科」クラブとして出ているからそれが伺える。コミュニケーションの障害は実は色々難しいことがある。そんな事情もあることを知ってほしいなと思う。

話が逸れてしまったけど、山田裕貴は与えられた役目をきちんと果たしただけで素晴らしい。「聞こえたよ!」の前に無音になるときいた。そのときにうっすらと唇にはく笑顔は高橋さんの素そのものだった。ちなみに聴覚障害演技監修は手話あいらんどコーディネーター南 瑠霞(るるか 手話通訳士)さん。ちゃんと指導聞いてるんですね!なんといまプロフィール見たら田中圭ファンが待ってる総理の夫にも出るらしいですよ!政見放送か記者会見の時かな??

南さんのヒノマルソウルについてのページ

そして。我が推しの田中圭。

一緒に行った友人からは山田裕貴くんの感想ばかりで、田中圭についてはあまりなかった。上手いよね、とか憂いを帯びた演技だよねと。そこがポイントなんだなと思う。「西方」としてそこに「あって」生きているのだ。主人公なんだけど前面に出てこない。俺についてこい!という感じではない。結構我慢といったらアレだけど、抑えていると思う。だからわたしは西方としてそこ「ある」と思った。演技とかいう枠を超えて、本人そのもの。実際やさぐれて酔っ払ってるシーンは西方さんのご家族に「仁也そっくりだ」と言われたとオフィシャルブックで書かれている。そして、登場人物の中で目の動きが一番顕著なのはこの田中圭の西方だ。冒頭の落ちろというときの怨念のこもったような目。リレハンメルの時、するりと手からすり抜けた金メダルを思い、でも同学年の仲間である原田を助け起こす時の無表情な目。記者会見で泣き出す原田を横目で見る時の目。リレハンメルから帰国して幸枝さんに迎えてもらった時の悔しさを堪える目。船木が注目されているときのかすかな焦りの目。誰が代表に選ばれるか記者が話してる時のまた別の焦りの目。リハビリの時の執念を感じる目。原田が先に選ばれるテレビを見つめる昏い目。復活し、トンネルの中で神崎コーチを見ない時の目。雪印杯で幸枝のことを想い、すーっと高みにのぼり雑念の無くなる時の目。代表に選ばれなかった時のテレビを見つめるほの暗い目。テストジャンパーを打診された時の憤りの目。思い出の場所で悔しがり、その直後に幸枝に辞めちゃえばといわれて白黒する目。自己紹介の時の適当にやりすごそうとする目。賀子の熱い思いを受けて何かを思い出しかける目。原田がアンダーシャツを貸してくれといった時の思わず激昂してしまう目。我に返ってテストジャンパーの前で失言したことに気づき、泳ぐ目。宿で幸枝に電話しようとして逡巡する目。そして。みんなが一致団結して作戦を立ててすらいるのにすねたように入らない目。というか入れない。賀子が無事着陸した時一人天を仰ぐ目。そして。自身が飛び立ち、着陸した時の笑った目。原田をからかう目。まだ続けたいと恥ずかしそうに無邪気に言う目。息子ににちかたとメダルをかけられて涙目で父親に戻る目。まだまだいっぱいあるがとにかく抑えた中に目が雄弁で。とくに印象に残るのは、3つ。一つ目はリレハンメルを思い出してる時の目だ。遠い目をしてきょろきょろ動く目。そして最初は高橋に配慮してゆっくりしゃべっていたのに、素に戻り独り言のようにごによごにょ語る。読み取れない口調になる(実際私は読み取れない)。ここ、すごいと思う。二つ目は先程も書いたが、優勝しないと代表はないという雪印杯で緊張していたのに、すーっと無我の境地になる目。これは「飛ぶな」と確信する目つき。3つ目はこれも書いたが原田に激昂して、スキージャンパーの皆がいるのに失言してしまったことに気づき泳ぐ時の目。情けないとエレベーターによりかかるときもそうだ。

そして、最後まで自分で動こうとしない主人公なのに愛らしいとすら思えるのは時に見せる愛嬌と正義感のおかげだ。正義感としてはバランスを崩した賀子に真っ先にかけより、南川のことをかばい、テストジャンバーはモルモットじゃないとはっきり言う。再開をかけたテストジャンプでも賀子にやめても誰も責めないと声をかける。そして、愛嬌。リハビリの先生(理学療法士?)に抱きつくところ。寝ちゃった高橋をつまめつまめといったり、起こしてあげるところ。アドバイスを求められて南川や高橋にはぐらかしたり冗談を言うところ。飛ぶ前の高橋に話しかけてウイスキーうまかったな、楽しんで、と笑いかけるところ(ここもちゃんと手で高橋を呼んでるね)。どれも人好きのする笑顔を向けていて好きだ。それはそのまま田中圭のもつ魅力につながる。西方と田中圭の共振だ。

監督も似たようなことを語っている。田中圭をキャスティングした理由について。「(西方は)テストジャンパーをすることになっても気持ちが晴れず、最後のジャンプをするまでうじうじしている。この設定では、ともすれば西方はとても嫌なやつに見えてしまいます。
しかも西方は自分から発信する言葉がほとんどありません。強いて言えば、終盤に引退するというくらい。周りが発信したことを受け取っていくのが主の人物です。その中で変化していかなくてはならない。
この役を嫌われないように演じられ、受ける芝居が豊かなのは誰なのか。結果、田中圭さんでした。」

その受け演技のせいか同行してくれた友人にはやはり山田裕貴のほうが目立っていた印象を受けた。でも西方がここまでどっしり存在しているから周りが生きてくるのだ。アフォーダンスと言って、それがあるとその行動が起こるという考え方がある(引き出しがあるから開ける、みたいにね)。西方がこうして居るからこその周りの反応なのだ。

こちらの記事でも私が思うことに似たことをかいてくれている。「裏を返せば、田中にしか演じられない役でもあるのかもしれない。生身の男の清濁合わせた等身大の感情をあらわに表現しながら、それでも憎めないチャーミングさ、それでいて体温が伝わるリアリティを醸す。役者・田中圭の本質にある魅力があますことなく伝わる作品でもあるのが本作だ。」

こちらでもそうだ。

「 この“内面の演技”だが、本作で田中が演じた西方は決して聖人君子ではない。元・代表選手としてのプライドを持つがゆえに、他のテストジャンパーを格下とみなし、ぞんざいな態度をとってしまったり、代表入りした原田(濱津隆之)に激しい憎悪をぶつけたりする。観客に好かれようとする計算高いキャラクターとは真逆の、実に人間くさい人物なのだ。

 もちろん、西方が屈辱を乗り越えてリーダーシップを発揮していく展開が後半にしっかり用意されているのだが、前半で観客に嫌われてしまったら、そこにたどり着くまでに求心力を失っているだろう。そうした意味でも、田中が“人間力”をいかんなく発揮したことで役を“K点超え”まで連れて行った功績は、非常に大きい。」

観客に気づかれずに、最後までひっぱっていくその力。実はすごいことなのだ。

そしてこれを世に放つことを承諾してくれた実際の西方さんに感謝する。かつてここまで人間くさく、嫉妬や悔しさを、やさぐれ感を前面に押し出したスポーツ選手を描いた映画があろうか。カタルシスはもう終盤のみにしかない。映画とはいえ多くは事実だし、モデルは自分なのだ。その勇気。器の大きさ。

リンク先のインタビューで西方さんはこう語っている。

「聞き手:自身のエピソードが映画化されていますね。
西方:日本のスポーツ選手は悔しいとか悲しいとかを表現することがタブーとされていることがあります。今回の台本を読ませてもらった際に、「実はこの時こんな風に言いたかったのかもしれない」というような、心の奥にしまっていた感情が、そのまま映像となって、言葉となって皆さんに伝えることができていて感動しました。」

こうやって自分のネガティブな感情を出すことをむしろ受け入れている西方さん。強い。と思った。だからこその銀メダリストなんだ。本番で実力を出せるその胆力は並大抵のものではない。そして下記の対談で原田さんに「1998年の長野オリンピックが終わって、そのあともずっと4年に1回ずつその話題が取り上げられるんですよ。あのときはどうだったって。今回こうして映画にもなっていて、もしあそこで金メダリストになっていたら、こういう話にはなっていないはずなんですよね。それを考えたときに、あのときはあれで良かったんだなって。今はもう感謝しています。金メダルは獲れなかったけれど、ありがとうと言いたいなっていうのがありますね」と感謝の気持ちを伝えていて器の大きさを感じる。

そしてテストジャンプについて「恐怖心はあるけれど、やらなきゃいけない。でもあのときは、迷いなくこれで大丈夫だって思いながら飛べましたね。絶対行けるっていう気持ちもあったし、飛んだあとに“見たか!”っていう気持ちもあって。アナウンスで「2本目のジャンプが開催されます」って流れて次につながったときに、小さいガッツポーズが出たんですが、そこでガッツポーズをしていたのは自分だけかなって(笑)。次につながって“あとは頑張れよ”という気持ちで、やり遂げられたことが嬉しかったですね。」と話している。

つぎに「つながる」ということ。これもこの映画のキーポイントと思う。「襷のようにテストジャンプで再開という次につながること」。「20年以上の時をつなげてこの物語が教科書には載っているものの、映画になって広く伝わること」。舞台挨拶のときの田中圭の挨拶の終盤にも「つながり」について述べている。以下抜粋。『言いたくはないけれど、こういう時代だからこそ、「目に見えないけれど確かにあるもの」を、一つずつでも「確かにつないでいきたいな」と思ったし、「そういう作品を僕らは毎回作り上げていかないといけないんだな」と思いました。もちろん、毎回そうなるかは分からないけれど、「そうありたいな」と改めて思いました。
つまり、何が言いたいかっていうと、皆さんがこの映画を観て、「僕らの出演している違う作品を観たくなる」というのが、縁のつながりだし、この作品を「ああでもない」「こうでもない」と話をしてくださるのも縁のつながりだと思うと、「本当に素敵な仕事をさせてもらっているな」と思いました。』

こうして繋がっていく物語。つないでいくもの。そして。

1998年2月の長野五輪から16年、ソチで女子ジャンプが正式な種目となる。そのソチではリレハンメルの団体銀メダリストで、かつ長野では団体メンバーを外れた葛西紀明が個人で銀メダルを取り、団体ジャンプでも銅メダルをとっている。彼の金メダルへの旅は続いている。西方さんの息子さんもジャンパーだ。こうして繋がっていく。今年は長野から23年。

なぜコーチはあのメンバーを集めたか。西方には繋いでいってほしいと願ったのではないか。そして女子もいつかは活躍できるようにと。障害があっても関係なく活躍できるようにと。

原田と西方の物語ではなく、舞台裏の人にスポットを当てた映画。未来へと続く映画。そこがポイントだ。

ーー(西方モノローグ)記録にも記憶にも残らない。拍手も歓声もないーー

いや、長く記憶に残る話だと思う。わたしも高橋さんがテストジャンパーしてたのは知っていても、メダルへの道をみんなで切り拓いたことは知らなかった。あのメダルに感動したあの日、そんなことがあったなんて。

願わくば上映終了後に各地の学校で上映するような映画になってほしい。日本人なら誰もが知るような話へ。わたしが映画『ハチ公物語」を授業で見せてもらって深く胸に刻まれたように。

ヒノマルソウル、未来まで、つないでいけー!!


【おまけ】本文中にうまく引用できなかったけど、素敵だなと思ったヒノマルソウル関連記事。

▶︎昨年の田中圭さんへの取材記事

▶︎二度の公開延期となり送り出す側の苦悩
「選手ではない裏方に焦点を当ててこの映画を製作しようと思った時、同時に、社会の隅々でがんばる裏方の方々にエールを送りたいとも考えました。その思いは、さまざまな社会的矛盾が露呈し、強者と弱者の溝が広がったコロナ禍でますます強くなったのです。主役でなくても、日々歯を食いしばり精一杯生きている方々に、この映画で少しでも光を見出していただければと願います」

最後に、平野プロデューサーのこの言葉が、他の公開延期となった作品の担当者も含め、多くの映画人の心を代弁していた。
「なかなか巣立たないので、なおさら(作品が)愛おしくなり、心が痛い」

▶︎サイゾー自身も「らしくないと言われた」と言った記事 ライターはヒナタカさんということで納得

▶︎映画批評家服部さんの感想

 「これがいい。良かった。

 このタイプの映画では、精神的にネガティブになっている(暗黒面に落ちている)主人公が、何かのきっかけで立ち直り、浮上してくるところが見せ場になる。精神の落ち込みが底付きし、周囲を巻き込みながら新たな挑戦に向けてぐんぐん気持ちが上昇して行くのだ。この底付きから浮上のタイミングが、映画のどこにあるのか? 本作はそれが、通常の映画よりずいぶん後ろに配置されている。」

▶︎西方さんへのインタビュー

▶︎監督へのインタビュー

飯塚監督は「そんな舞台裏で戦ったテストジャンパーの存在を知った瞬間、映画にすべきだと直感しました。(東日本大震災のあった)2011年のことだったから、より一層『この絆の物語なら、勇気を受け取って貰えるのでは』と強く思えたのかもしれません。」と、本作の映画化を決意した当時を振り返った。さらに、「あの震災当時に映画化すべきだと強く思い立ったこの作品が、今、より多くの人々に届くことを願っています」とコロナ禍の今、本作が人々を勇気付ける存在であればと思いを紡いだ。

▶︎当時現場にいた方のレポ

テストジャンパーは何かに追われるように次々と飛んだ
テストジャンパーのジャンプを見て印象に残っているのは「やけに次々と飛ぶんだなあ」ということである。間合いをさほどあげずに、次々と飛んでくる。
何かに追われてるように次々と飛んでいるぞと、そうおもって見ていた。
そして、それは、ほんとに何かに追われていたのだ。誇り高いジャンプだった。

▶︎西方さんらの公開授業

抜粋

吉泉賀子さん:
当時は今のように女子ジャンプがメジャーではなかったので、私が飛ぶことで「女子でも男子に混じって飛べるんだぞ!」と思ってもらえるように頑張りました。スキージャンプは男性の競技と言われていたのですが、誰かがやらないと道が開けないと思ったので、頑張りました。そのスタートに立てて良かったです。「いつかきっと女子ジャンプも認められて、正式種目になるんだ」という強い気持ちをもって挑みました。


西方さん:
吹雪で危険な中、「自分たちが飛べるのかな?」と思いましたね。でも、安全に飛べることを証明しなければいけなかったので、難しかったです。25人が襷を繋ぐようにジャンプを成功させていって、「自分も絶対に成功させて代表に繋ぐんだ!」という気持ちでした。



















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