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辞世の句を読む

今は羽田に向かう電車の中。
早朝にも関わらず、なかなか混んでいる。
そうか今日は平日だったと
iPhoneのカレンダーを見て
今さら気付く。
このところ人気タレント並みの忙しさで
睡眠時間も3時間ほどで日々こなしているけれど、忙しいことが、救いになる時もある。

東京は嵐のような風と雨
春の雨だ
こうしてひと雨ごとに季節が変わる。

今日は鹿児島の知覧へ向かい
特攻隊のご英霊が発った地に
立つのだ。
特攻の父と呼ばれている大西中将は
戦時中に特攻隊を作った。
人間が、爆弾を装置した飛行機とともに
敵陣に突っ込む作戦だ。
そんなものに誰が志願するだろうと思うが
日本を守るために、愛する家族を守るために
日本国の未来のために特攻機に乗り
飛び立った若者たちがいる。
日本人の魂は清らかであり、恐ろしくもある。
自分自身より大切なものがあり
そのために命をかけることができた方々が
不謹慎な言い方だけれど、
今のわたしにはとても羨ましい。
わたしもいつ死んでもいいと思っているが
それは大切なもののためではなく
自分が自分であることを諦めそうになるからだ。ご英霊の皆さまとは全く違う。

話しは戻って
大西中将が特攻隊など作らなければ
彼らは戦後の日本をどう生きただろうか。
優秀な飛行機乗りが特攻隊だったのだ。
生きていたら、生きていたらと
思いを巡らすが、あの時天に還られたのも
生まれた時からの決まりごとだったのかも知れないと今は思う。
戦争が終わった年の8月16日
特攻隊の父大西中将は自決した。
腹を切り、頸動脈を切り、胸を刺したそうだ。
それでも死にきれずにいて
医師が見つけた時には腸が飛び出ていて
助けようにも無理なことがわかり、
苦しまずに逝かせてやろうと医師が近寄ると
出来るだけ長く苦しんで死にたいから
やめてくれと手を振ったそうだ。
そして半日苦しんで苦しんで
絶命された。
世論では特攻隊など作ったのだから当然のことと思われるだろう。
特攻隊を作り、未来ある若者たちの命を奪ったのに、日本は敗戦した。
この先の責苦に耐えられずに自殺するならピストルでも何でも一瞬で死ぬ方法はあっただろうと思う。
ところが
特攻で逝かせた若者たちと同じ苦しみを
いやそれ以上の苦しみを
一秒でも長く味わって死にたいいう
大西中将のその思いを考えると
たまらなくなる。
何百年も前の話ではなくたった79年前のこと。
乃木希典大将も然り。自分自身に苦しみ
悲観して死んだりせず、日本国のために自分を生きて、この世でのお役目が終わった時に
自分とともに戦ってくれた人びとの元へ
還ったのだ。
日本とはそういう男たちで溢れていたのだ。
自分もそうありたいと切に願う。

そしてわたしは
遥かに美しい精神で生きている。
時にそれが堅苦しさを感じさせてしまうのかも知れないけれど、穢らわしいより
美しくありたい。

日本を守った方々の志し。
それがもたらす計り知れない葛藤。
だけれども決めたことを貫く
強さと美しさ。
鹿児島の知覧に立ち
新たに生き方を考えた。


『これでよし 百万年の仮寝かな』

自分の死にざまはこれでよいと。

大西瀧治郎海軍中将の辞世の句だ。

死は遠くない
隣にあるのだ。

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