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ALS患者の希望とは

2020年7月23日、京都府警中京警察署の前を市バスで通っていたら、警察署の前にカメラを持った人だかりができており、ただならぬ様子を感じ取りながら帰路に着いたのを覚えている。


その日、京都府警はALS患者の嘱託殺人の疑いで二人の医師の男を逮捕した。患者を安楽死させたとして医師が逮捕されるのは、12年ぶり。


ALSとは筋萎縮性側索硬化症とよばれ、手足や呼吸に必要な筋肉が痩せ、動かせなくなっていく病気。悪化すると呼吸もできなくなってしまう。原因は不明で、根本的な治療も見つかっていない。


医師二人は、当時51歳だったALS女性患者から依頼を受け、2019年11月に女性のマンションを訪れ、薬物を女性の体内に投与し、殺害した。
事件発覚からしばらくは、ALSにまつわるニュースを目にする機会が増えたのだが、その中でいくつか気になるニュースがあったので紹介する。


誰かが「生きて」って言えば生きる道が開かれる

事件発覚からおよそ1か月後、関西テレビの報道ランナーでALS患者が特集された。
取材に応にじたのは、49歳の時にALSを発症した米田晴美さん(68)と夫の裕治さん(69)。現在、晴美さんは寝たきりで表情筋や指がかろうじて動く程度の状態。裕治さんは晴美さんの病気が発覚後、仕事を辞め介護を続けておられる。
二人は高校時代に知り合い、結婚。今でも毎週土曜日はデートに出掛けられているそうで、とても仲睦まじい様子であった。


ALSは症状が進行すると、いずれ呼吸もできなくなり、人工呼吸器をつけるかどうかの選択が迫られる。10年ほど前、お二人にもその時がやってきたが、お二人に迷いはなかったという。

 「生きているから否定することはない。誰かが『生きて』と言えば、生きる道は開かれる。安楽死や尊厳死という話をする人がでてくるから「生きて」という人が言いづらくなる」と裕治さんは言う。(あまりにもあっさりとそう話される裕治さんの言葉に、号泣でした。確かスタジオの人もみんな泣いてたな〜。新見さんも言葉を選んで噛み締めて話されてた。)

お二人は人工呼吸器をつけることを選択されたが、患者の7割はつけない選択をする。

「周りに迷惑をかけたくない」   

「人として生活できないなら死んだ方がまし」


患者は、体が徐々に動かなくなる現実や恐怖、尊厳への問いなどと向き合いながら、生と死の間で常に揺れている。


また、別の番組では40代のALS患者のAさんが取材に応じておられた。

Aさんは両腕が上がらず、普段は夫や娘さんに食事や入浴、着替えなどの介助をしてもらいながら生活されている。

Aさんは、ある日、娘さんに「毎日、お母さんのこと面倒じゃない?」と尋ねられたそう。

すると、娘さんは「お母さんは、私が小さい時、面倒と思って育てた?」と答えられたそう。

 Aさんの目には涙が浮かんでいた。(娘さん100点満点の答え。泣ける。)

 親から子へ、子から親への愛情のバトンが渡された瞬間であった。 

 介護をされる側というのは、やはり引け目を感じてしまうものである。時には、その引け目が生きる選択を閉ざすものとなってしまう。しかし、周りが「生きてほしい」と心から願い、寄り添い、献身的にサポートすることで、患者は「誰かのために生きたい」という希望を持つのではないだろうか。


誰かの役に立っているという喜びが「生きる」希望に繋がる

東京に、障害を持つ人など外出に制限のある人が社会参加できるようなツールの研究・開発をしているオリィ研究所という会社がある。

 オリィ研究所は、社会的制限がある人が活躍できる場を広げるために分身ロボットを開発した。

分身ロボットはその名の通り、自分の分身となって働いてくれるロボット。操作する人の声に反応し、リモートで操作できる。

Aさんも、この分身ロボットを使い、自宅からリモートでカフェの接客をしておられる。仕事なので、もちろんお給料も支払われている。

誰かの役に立ちたいという欲求は人間の基本的な欲求で、誰かの役に立っているという実感は生きる喜びに繋がる。

私たちに求められているのは、ALS 患者に限らず、障害を持つ人や病気の人など、生と死の狭間で葛藤しておられる人々が「生きていることは迷惑だ」などと感じないような社会の仕組みづくりや、「生きてほしい」というメッセージを送り続けることではないか。

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