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4年間の神宮応援を振り返って

現役最後の神宮

10月30日。勝ち点を取った方が優勝となる令和五年度秋季早慶戦は、土曜日に早稲田が、日曜日に慶應がそれぞれ勝利し、両者譲らぬ状態で月曜日を迎えた。平日とは思えぬほどの観客で埋め尽くされた学生応援席、回を追うごとに白熱する試合展開。早慶どちらが優勝するのか—皆が全力で声援を届けつつプレーを見守る中、私は一つ特別な感情を抱いていた。

「現役最後の神宮。」
この早慶戦が、本当に本当に、現役の応援部員として参加できる最後の神宮だ。

私が所属している東大応援部は、前の週に立教大学に2連敗を喫して今年の神宮応援を全て終えた。四年生である私は、可愛い後輩たちに見送られつつ、清々しい気持ちで「神宮引退」を迎えた。迎えたはずであった。

だが、気づいたら翌月曜日、私は「血の法明戦」の決着と、大好きな同期たちの神宮引退を見届けようと何の躊躇いもなく神宮球場に足を運んでいた。今週末だって、土日の早慶戦は練習で行けないからと、優勝決定戦が月曜にずれ込むことを強く祈った。そして昨日、慶応の優勝、そして自分にとっても紛れのないラストを見届けた。ここまで来ると受け入れざるを得ない。私の4年間の神宮応援は本当に全て終了したのである。

神宮応援を通じて得た学びや出会いの数々を、お世辞にも文才があるとは言えない自分がnoteにまとめ切ることなんて到底できない。しかしながら、それでもこうして文章を書くのは、大好きだった4年間の神宮応援をどうにかして形に残したいというエゴを満たすためである。そして、放っておけば今日も神宮球場に行ってしまいそうな自分に対して、このnoteを書く行為が一つの区切りとなって欲しいと願っている。

「応援」に向き合って

最後のリーグ戦が終わったら、神宮応援の総括を書きたい、書こうとずっと思っていた。自分が過ごした4年間は、客観的に見てもかなり波瀾万丈で書く題材には困らない。コロナの暗い影が社会を覆って応援が禁じられた令和二年度春季リーグ戦。先輩方の努力が繋いだ外野席での応援。64連敗を止めた東大野球部、2021年春の勝利。東大応援部初の女性主将の力強いエール。4年ぶりの内野席応援の復活。最下位「奪出」を掛けた最終カード対立教大学戦。少し振り返ってみただけでも、この4年間の神宮応援がいかに濃密なものだったかと驚くばかりである。

神宮引退以前は、先ほど「題材」と呼んだ一つひとつの出来事に関して感じたことやエピソードを綴りたいと思っていた。しかし、神宮を引退した今、自分が書きたいのは決してそんなことではないと気づいた。変わりゆく社会と、それに応じて形を変える応援を最も肌で感じた代として、最後に辿り着くのはただひとつ。「応援とは何か」という究極の問いである。

東京六大学野球においてどこよりも真剣に最下位脱出を目指す東大野球部は、同時にどこよりも勝てないチームでもある。どこよりも一勝を、1ヒットを、1ストライクを大事にする東大野球部は、どこよりも一勝が、1ヒットが、1ストライクが遠いチームでもある。

では、そんな野球部を後押しする応援とは何なのか。

応援席の声援がヒットを生む確率を上げたり、ピッチャーの球速を上げたりすればどんなに良いものかと思う。声が大きければ大きいほど長打が生まれ、応援部の動きのキレが良いほど守備もキレも良くなるような、そんな応援ができるなら、もうとっくに取り組んでいるはずである。
でもそんなことは、競技というものの本質からして絶対にあり得ない。
勝利も敗北も、選手たちが妥協なくぶつかり合った結果を表すものであり、そこに応援が入り込む余地は基本的にないと私は思っている。

だから、どんな試合結果やプレーも「応援のお陰」「応援のせい」なんて言葉は口が裂けても言えないと思った。勝てた試合はもちろん、負けた試合に対しても同様で、応援が試合に対してそこまで影響を与えることができると自負すること自体が傲慢に思えてならなかった。

だが、これまで応援に向き合い続けて、少しだけ考えが変わったように思う。それは、「応援のお陰」とか、「応援のせい」とか、そこまで傲慢なことを言えるくらい覚悟を持って応援に臨みたい、ということである。試合結果は勝敗という白黒の世界でしか語れないけれど、9回のイニングにはピンチやチャンス、ビッグなプレーや熱いドラマなど、白黒だけでは語れない物語がギュッと詰まっている。応援は試合のそうした一つひとつの要素により彩りを与えられるポテンシャルを秘めていると思う。ただの応援ではない、東大野球部の悲願を叶えるための応援を届けることが我々の使命であり、それを追求した先にあるのが真に寄り添った応援であると思う。

「応援は選手に寄り添う力となっている」と言い切れるくらい、応援に覚悟を持って臨めているか。試合結果に対して責任を持てない分、そこに甘んじずに応援の仕上がりや応援席の一体感に対して責任を持って取り組めているか。自分たちの代で積み残してしまった課題が数多くあるだけに、東大の応援にはまだまだ上があると本気で思っている。老害みたくなってしまうが、後輩たちには妥協することなく応援席の改善と進化を追求していってほしい。

祈るのではなく、信じる

勝って欲しいとか、良いプレーをして欲しいとか、選手の活躍に期待して祈るのは簡単である。そして祈りも虚しく、期待通りの結果が現れずがっかりしてしまうのは当然の反応かもしれない。

しかしながら、応援部員は勝利を祈るために応援席にいるのではない。最後まで勝利を信じ続けてこそ、応援部員は存在意義を発揮できる。このことを同期が下級生に向かって言っていたとき、非常に腑に落ちたのを鮮明に覚えている。
信じることは難しい。確固たる自信と信念がないと、信じる気持ちが揺らいでしまうからである。ラストシーズンは、本気で東大野球部の「奪出」を信じ続けたし、それを後押しする存在としての東大応援部のポテンシャル、自分の行動力も信じることに努めた。結果として返ってきた部分も、そうでない部分もあるが、人生において何かをここまで信じて突き進む経験ができるのは本当に貴重だと思う。きっと後輩たちは、これからも続く東大野球部の挑戦に、最高の応援を届けられる存在になれると確信している。まだまだここから、頑張れ!

感謝の気持ちを込めて

最後に、神宮応援を通してお世話になった方々に感謝申し上げます。

東大野球部のみんなへ
4年間本当にありがとう。月並みな表現だけど東大野球部を応援できて幸せでした。野球部のプレーに心動かされることが本当に何度もあったし、みんなの直向きな姿勢や努力が最強のモチベーションになりました。誰に何を言われようと、私にとって東大野球部は世界一のチームです。改めて本当にありがとうございました。

鉄声会の先輩方、両角先生へ
いつも万全のサポートをしていただき誠にありがとうございました。コーチや顧問がいない応援部にとって、OBOGの先輩方や部長の両角先生は本当に心強くて何にも代え難いほど有難い存在です。来年以降もどうぞ温かいご支援をお願い致します。

東大を応援して下さるファンの皆様へ
いつも変わらぬご声援誠にありがとうございます。東大のファンの皆さんは本当に温かくて、一つひとつのプレーを噛み締めて喜びを共有し合えるところが大好きです。来年以降は一緒に東大野球部の躍進を見届けましょう!

六大学応援団の同期へ
いつもありがとう!六大学の同期とバカやっておしゃべりして盛り上がるのが本当に楽しくて、試合のときは敵だけどそれ以外は最高すぎる同士だと思ってます。特に当番校の慶應のみんなは色々と頭が上がりません、本当にありがとう。来年以降もたくさん神宮で会おうね!

応援部の先輩方へ
今までご指導誠にありがとうございました。どんな時でもぶれずに応援の本質を見せていただいた先輩方の背中は、あまりにも偉大でかっこよくて、永遠の憧れです。先輩方のお言葉や応援する姿が私をここまで導いてくれました。うるさい後輩だと思いますが、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

応援部の後輩のみんなへ
ここまでついて来てくれてありがとう。内野席応援を復活できたのは、間違いなくみんなの貢献のお陰だと思っています。無理難題にも応えるばかりかいつも想像を超えるクオリティを見せてくれるみんなが来年以降作る応援が本当に楽しみです。失敗を恐れずどんどん新しいことに挑戦してね!

応援部同期へ
4年間本当にありがとう。特にラストイヤーは内野席応援復活にとどまらず新しいことにことに沢山挑戦できた最高の一年だったと思う!個性豊かで仲間想いなみんなと一緒にやる神宮が大好きでした。あと少しだけどステージも応援も最高の形で終えようね!21人で走り切ろう!

家族へ
毎度書いてますが本当に手厚いサポートありがとう。ここに書かないと誰にも知られず終わりなので書きますが、神宮関連の器材準備などで本当に協力的になってくれて、何度もピンチを救ってくれて助かりました。あと少しの応援部生活も宜しくお願いします!

書いた分以外にも本当に多くの方にお世話になった4年間の神宮応援でした。本当にありがとうございました。

最後になりますが、11月26日(日)には第48回淡青祭、12月10日(日)には第49回定期演奏会がございます。ぜひラストまで今年度の東大応援部の活動を見届けて下さると嬉しいです!
あまりまとまりのない文章となってしまいましたが、これ以降しっかりと神宮モードから切り替えてやるべきことに取り組んでいこうと思います。
長文乱文を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。


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