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未だ自分探しも後期へ

50歳に届く年齢になるけれど、自分がよくわからない。

スピ系で言えば「風の時代」、社会的には「コロナ禍」と言われた2020年。
この4年間は、地方のちっぽけな私にも影響を及ぼした。
いつ死んでも良いようにと身辺整理に近い整理整頓をしたし、やりたいことは叶えていこうと考えた。
自分は何が得意でどうやったら生きやすいのか。満足するのか。

2024年2月の今振り返ってみて思うのは、チャレンジしてみて「後悔していない」事がほとんどだと思う。

まずは、私が母親より早く死んでしまう可能性もあるから、ライフラインなどの解約で混乱しないように、たらい回しにあったとしても老人に親切に教えてくれそうな旧国営系に統一した。もともとお得プランなどには興味がなかったので問題ない。こういうところが貯金が少ない原因なんだろうなと思う。

パソコンもMACに買い換えて、デジタルでデザインや絵を描くことにチャレンジした。そして液晶ダブと言われるお絵描きツールも追加購入。
童話作家にも憧れていたので物書きよろしく公募にも応募してみた。
いつか本を出したい。

子供のおもちゃの織り機「織り姫」を覚えている昭和後期ガールはいるだろうか。
私はそれを20代の頃から時々思い出してはいつか機織りをやりたいと思っていた。
機材を中古で購入し、伝統ある「裂き織り」にチャレンジしてみた。
織った作品は、界隈ではブーム感があるマルシェへの出店し販売してみた。
4月申し込み、9月開催というこのマルシェ出店は、無計画癖の私に「計画準備する」ことも体験させてくれた。

こういった「やりたいことの実現」を叶えられたのは、アトリエという名のアパートを借りたことが大きい。
洋裁好きの私が広々と作業できる部屋が欲しかったが、離婚後転がり込んだ母の終の住処では叶わなかったのだ。
ちょうどよく借りられた激安アパートには満足しており「タイミング」というものに感謝。
今もこうして、アトリエでの自由な自分の時間を週末は得られている。
50歳を前にして俗にいう底辺な私でもよくやったものだ。
それだけ「自分探し」を追求したかったのだ。
と、ここまでは「能力」「才能」の方の自分探し。

もっと重要かもしれない「精神」「心」の自分探しにも手を焼いていた私は、今年早々に書店で目にとまったオードリー若林先輩の「ナナメの夕暮れ」というエッセイを読んでから変わった。
(彼は年下だけど自分と似すぎている点と、卒業したようなので親しみを込めて先輩と呼んでいる)
若林先輩もだいぶ自分がわからなくて、長い自分探しの旅を続けていたようだ。

私はというと
「なんで皆んなスウィーツのお店情報に詳しいの?知ってないとやばい?」
「なんで予定が埋まってないからって私を誘うの?空白恐怖症って知ってる?」
心の中で良く言えば自問自答を繰り返していた。
悪く言えば毒づいていた。
私という人間は、もっと才能があるはず、もっと何かできるはず、きっと幸せを得られるはず。
放っておいてほしいのに、何で他人がこんなにも気になるのだろう。
こんなにぐちゃぐちゃした自分という人間を理解したくて色々試してみた。
この「試す」も一般的でないかもしれないがいつかここに書いてみたい。

そんな私にこのエッセイの言葉は響きすぎて、久しぶりにメモをとって読んでいた。
・ネガティブはあり余る体力だ
・自分に失望している人は、希望に満ち溢れた人を妬む
・創作意欲に溢れている人たちの熱量にうかされてしまう
・自分探しはほとんどの人が思春期に終える
・「だいたいわかった」と飽きてしまう
・悩み続けられるということは生命力であり体力なのだ

「おまえという人間はこうなんだよ!!」と客観視できた。
見栄っ張りで恥ずかしくて認めたくなくて、今まで蓋をしていたんだとも認められた。

世の中の考えすぎさんで、見栄っ張りさんで、聞こえのいい「自分探し」を続けている人は一度手にとってみてほしい。
パラパラと立ち読みするだけで、レジに足が向いてしまうだろう。


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