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きっかけの3.11-夜景って、美しいんだっけ?

きっかけの3.11-東京で死ぬのかの続きです。
昨日は書きかけで寝てしまった。
今朝、「今日のわんこ」を見るためにテレビを点けたら、いつもと放送の様子が違い思わずとくダネ!の冒頭まで見入った。会社に行くのがいつもより少し遅れた。

えぐれた山に、ゾクッと鳥肌がたつ。
北海道での大規模な地震。そして前日の台風に伴う土砂災害。

書きかけの内容があまりにもタイムリーでそのまま書くか迷ったけど続けます。
3.11を経験して、東京で暮らすことに違和感を覚えはじめた頃の「明かり」の話。

電飾の消えた銀座

夕刻。光が斜めにさして、空気がグレーがかる時間。
東京のあらゆるところで、看板に明かりがつき始める。

銀座のネオン街、という表現はもう古いかもしれないけど、ひしめき合う看板はいつも煌々としていた。

しかし3.11の災害の後、その様子は一変した。
電力の供給不足によって常に「節電」が叫ばれ、いつもは煌々と輝く銀座からも光が消えていった。

その電飾の消えた街の姿を写真で見せてくれた男性がいる。
彼は「しっとりとした雰囲気の残る、いい景色だった」と言った。
「夜なのにずっと明るい前の銀座は下品だった」とまで。

その下品さには、銀座から明かりが消えるまで気付かなかった。

昼間なのに明かりがついている電車にも、あの小さなスペースの中であまりに明るいコンビニにも、気付かなかった。
いざ電気が消えてみたら、昼間の電車内は心地よい明るさになったし、一つ飛ばしで点いているコンビニの明かりに、何の不便もなかった。

ろうそくの灯りに集まった家族

3.11後の電力の供給不足。
私が住んでいた地区でも、計画停電が行われた。

一日だけ、夜の暗い時間に停電する日があった。
信号も止まるし外にいると危ないから早く帰ってきなさい、夕飯も早めに済ませなきゃね、母は「困ったわね」と言いながら、引き出しに仕舞っていたはずのろうそくを探していた。

父はまだ仕事中で家にいなかった。
いたのは兄2人と母。と私。

その日、母がろうそくを用意しながら、「そういえば」と取り出したのは、数年前に兄がプレゼントしたお風呂に浮かべるキャンドルだった。
電気を消して、ゆっくりとお風呂に浸かってリラックスする時間。
この日までの母にそんな時間はなかった。

電気が消えて、食卓に出したキャンドルに火を灯す。
2階の自分の部屋にいた兄が「何もできない」と降りてきた。
リビングでテレビを見ていた兄も、暗くなった画面に耐えきれず食卓に座る。

一つのキャンドルだけでは、表情は見えない。
なんとなく存在を確かめるように言葉を交わす。
何を話したかは覚えてないけど、まさか家族でこんな話をするなんて、と思ったことだけは覚えている。

電気が戻ったとき、ふと寂しい気持ちになったことも。
「さ、」と言ってそれぞれもといた部屋に戻っていった。

そもそも、食事のとき以外に家族で食卓を囲むことがあるなんて。
いや、食事のときでさえ、バイトだ部活だ飲み会だってバラバラだった。
たまに揃ってもわいわいと会話をするような家族ではなかった。
だからといって仲が悪いわけでも、あえて避けてるわけでもないよくある普通の家族だったと思う。

結局、ああして家族で話をしたのはそれきりだった。

夜景って、美しいんだっけ?

その後、結局、コンビニの天井には全ての電気がついている。
(電球はLEDに変えられているかもしれないけど)

六本木の森ビルからは、それはそれは満天の、天地をひっくり返したような夜景を見下ろすことができる。
電気の供給のバランスが取れてるから、なんの不便もなく、今日も明日も生活できる。すごい。よかった。

森ビルから望む東京タワーを眺めながら、ふと「この景色って本当に美しいんだっけ?」と考える。
この高い建物と、その元にところ狭しと輝く夜景の美しさとはなんだろう?
「まるで星のよう」というならば、本物の星を見に行きたいと思った。
「繁栄の象徴」というならば、災害があれば一瞬で麻痺するのにね、と思ってしまう。

きっと夜景は本能的に感じる美しさではない。美しく見えるように演出され、多くの人が美しいと口にしているから美しく見えるもの。

美しささえ、行きすぎていると感じた。

比較するわけではないけれど、この記事にあてた写真は長崎の稲佐山の夜景。
人々の生活の明かりと、線を引いたように分かれる山の暗闇の対比が、美しい景色だと思った。

#移住 #夜景 #東日本大震災 #東京タワー

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