大手ブラック企業を脱北した話

私は東京藝術大学を卒業したのち、社会(主義)人(民)という言葉に惹かれて、学生時代インターンをしていたデイリーNKジャパンではなく、大手学習塾に入社して2年間働きました。ところがその会社は今はやりのブラック企業だったのです。

思えば私の就職活動は適当でした。まず、就活解禁の大事な時期にシンガポールで遊び呆けていました。
慌てて応募したのは共●通信。日本で唯一平壌に支局を持っています。北朝鮮にこんなに詳しくて可愛い大学生なんて私くらいしかいないし、デイリーNKジャパンでの経験が生かせるし、朝鮮語の読み書きとアナウンサーのものまねが得意だし、こんなに平壌支局にぴったりな就活生は私以外にいないと思ったんです。ところが、北朝鮮情勢以外のニュースに全く関心がなくて、無慈悲に落ちました。
それ以降、全く就活をする気が起きず、投げやりな気持ちで適当に選んだこのブラック企業にすんなりと内定をいただいたのです。

このブラック企業は労働者に優しいとてもいい会社でした。私は就活のために女の子たちが着ているダサい服が大嫌いです。せっかく可愛くて綺麗な容姿に生まれてきたんだから一分一秒たりとも無駄にせず自分に似合う服装でいないと、わざわざ可愛く作ってくださった神様に失礼です。なのでTOCCAかモリハナエのスーツで就活に臨みました。バッグはみんな黒いのを使っていたので、私もプラダのバッグを使いましたが、小さすぎてもらったA4の企業紹介の冊子類がバッグに入らず、駅のゴミ箱に捨てました。「私の服装が気に入らないならそんな会社合わないから落とせばいいじゃない」という態度で臨んだところ、落とされなかったので入社しました。
入社してからは、日々の強制労働は辛かったけれど、お給料で毎月TOCCAのワンピースを2着買えたので、いつも花柄の素敵なワンピースが着られました。フェラガモのカチューシャや靴もたくさん買えました。TOCCAとフェラガモのコーディネートで出社しても、2年間一度も文句を言われなかったので本当にいい会社でした。
ちなみに、もし誰かから服装について注意されたら、その日のうちに会社を辞める決意でしたが不思議なことにだれも注意しなかったのです。そのため2年間働く羽目になりました。

さて、どんなところがブラック企業だったかというと、「新入社員研修」「長期休暇中の勤務体制」「報告メール」の3点です。けれども私は決して嫌ではありませんでした。なぜならその企業体質が北朝鮮そのもので、先軍女子の私にとって、日本に居ながらにして北朝鮮感を味わえる絶好の職場だったからです。

まず新入社員研修は、山奥の合宿所で行われました。外部委託の研修会社からきた、怒鳴り散らす偉大なる指導員同志。大声で我が社をご建設なさった偉大なる社長様のご教示を暗唱。全員の前で偉大なる指導員同志から欠点を突かれて泣きながら自己批判する同志たち。20キロの山道を苦難の行軍。一部報道で有名になった過酷な企業研修とまさに同じアレです。1週間泊まり込みでの研修中、外部との連絡は取るなと言われたのですが、あまりに北朝鮮っぽくてすぐさまデイリーNKジャパンの同志たちに報告。「朝鮮総連の青年部の研修とまるで同じじゃないか」といわれてからは、私が入ることのできない朝鮮総連と同じ内容の研修が受けられるなんて!と心をぴょんやんさせながら楽しみました。
この研修で1番辛かったのは食事。私は摂食障害級の偏食で、食べたいと思った時間に食べたいとおもったもの(大抵フルーツ)をよく見知った人の前でしか食べられませんでした。特に不特定多数の人間に、自分が食べ物を食べている姿を見られるのがとても恥ずかしくて食べられませんでした。そんな私が、軍隊のように給食を食べなくてはならない研修に参加してしまったものだから大変。食べたくもない時間に全く美味しくなさそうなみんなと同じ意味のわからない食べ物を、みんなの見ているまえで食べなくてはいけないのです。初日の最初の食事のときに、食堂のおばさん(このブラック企業で1番嫌いだった人物)が、食事を目の前にして全く箸の進まない私に「どうしたのー?なにか嫌いなものでも入ってた?食べないと体力つかないわよー?この、かまぼこだけでも一口たべてみて?ほら!」と声をかけて来たのです。その瞬間、同志たちが一斉にこっちを見て、私が食べないことを確認すると「ちゃんと食べないと!」とかみんなが声をかけてくるんです。食べ物に対して非常に神経質だった私はこの瞬間、この合宿所での食べ物をすべて喉が拒絶するようになりました。おばさんの穢れなき善意が完全に悪い方向に作用した結果です。仕方がないので、スーツケースいっぱいに詰めて来た食料(和菓子)をそっとポケットに詰めて、夜中にこっそり食べました。以後、このブラック企業の出張で何度かこの合宿所を訪れましたが、どうしても食堂で食べ物が食べられませんでした。

長期休暇はブラック企業にとって稼ぎどき。
朝9時出勤で、夜は22時まで。休みは6日に1回。勤務中休み時間はほぼなし。
途中7日間の出張では6時起床、深夜0時まで休みなしの勤務。(休み時間とされていた食事の時間は、顧客の世話でほぼ休めない。自由な時間皆無。精神が狂いそうになって紙にBMWの絵を描いていたら怒られる)。そして一日三度の食事では決まって食堂のおばさん(恐怖)が私に声をかけてくる。夜は食堂のおばさんが夢にまで出てくるので精神安定剤と睡眠薬を飲んで寝るので朝6時に起床できず怒られる…。
そしてこの7日間の過酷な勤務における残業代たったの2万6千円!!行く前に処方された薬と、帰ってから通った点滴にかかった医療費で足が出るレベル!
こんな仕事これ以上続けたら体が死ぬなと思い、2年での脱北を決意しました。

最後にブラック企業感満載だったのが日々の報告メール。会社のアドレスにはひっきりなしに上司からメールが届きます。
アカい太文字フォントで「数値目標を決死の覚悟で達成せよ!!!」完全に社会主義を掲げて強盛大国をめざす北朝鮮の工場に書いてあるスローガンです。毎日こんなメールが届いて数値目標を達成しない私の部署を鼓舞、叱責するのですが、毎日朝鮮中央通信のニュース翻訳をしている私には馴染みの深い言い回しで、これが楽しくて仕方ありませんでした。

こんな会社だったので、本気で嫌なことがあればその場で辞めてやろうと、いつも日付さえ書き込めばすぐに出せる最終兵器「退社届」をもちあるいていました。核の抑止力みたいなものです。そして、2年目の冬、散々欲しいものを買って、もういいやと思ったので適当な理由をつけて退社届を出しました。もともと社会(主義)人(民)になったのは、誰かにねだらなくても欲しいと思ったものを買えるようになるためだったのですが、2年が物欲の限界でした。こうして資本主義は廃れていくのです。
休みたい日になかなか休みづらかったり、時間が自由にならなかったりしたのは辛かったけど、夢にまで出てくる恐怖の合宿所の食堂のおばさん以外はみんな大抵いい人でした。
好きな服装で出勤しても怒らないでくれたし、たくさん好きなものを買えたので会社には感謝しかしていません。

大手ブラック日帝企業を脱北した後は、晴れてフリーの挿絵画家になりました。
時々大手ブラック日帝企業の前を通りかかると、新人社員研修の怒声や、辛かった食事の時間、39キロまで落ちてガリガリにやつれた私の顔を思い出しますが、ふわっと広がるTOCCAの刺繍のワンピースと足元のフェラガモの靴が大東亜一私に似合っていて可愛いので嫌なことなんて忘れてしまいます。

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