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Linc設立3周年~組織崩壊の危機を経て、時代の転換点において開国の狼煙を上げる~

僕は書くことが苦手だ

対外発信や文書を書くことが苦手というよりは、「スクリーンと睨めっこして、時間をかけて、言葉を吟味し、紡いでいく」というプロセスが、お喋り好きで何か思いついたらすぐ口にしたい衝動に駆られる自分にとって大変な手間であると考えてきたからだ。(単純に日本語が上手じゃないというのもあるが 笑)

そして、社会人一年生から投資銀行でロジックと数字・ファクトを徹底的に叩き込まれた身としてはどうもエモさを出す事を恥ずかしがってしまうようだ。

ただ、Lincを設立して3年間が経過した今、「創業3年」という節目のタイミングで、恥ずかしがることなくエモさ全開で自分が成し遂げたいビジョンや起業から現在に至るまでに経験した様々な出来事を振り返えるべく、またこれまで経験したたくさんの失敗や挫折に対する自戒の念も込め、今回は苦手な筆を執ることにした。

僕のビジョンは優秀な外国人材(インバウンド・タレントと呼ぼう)にとって多様性と包容力溢れる社会を実現することだ。そのためには彼ら、彼女らの「日本に来て良かった」という想いを最大化させる必要があると思っている。

そしてそんな優秀なインバウンド・タレントと日本を繋ぐ(Link)架け橋となり、より包容力(Inclusive)溢れる社会を実現すべく、想いを込めて、LinkとInclusive をくっつけ、

社名をLincと名付けた。

法務省によると、日本にて留学や就労、永住といった中長期滞在資格を持つ外国人は2018年6月時点で320万人を超える。そして中華圏(中国+台湾)だけで108万おり、次に多い韓国も53万人にのぼる。その中でも実際日本にて就労している外国人は2017年時点で既に130万人近くおり、CAGR18%で伸びているとされる。

僕は少子高齢化という抗えない大きな波が押し寄せてくる日本において、こういったインバウンド・タレントの増加は日本という国の持続的発展に対して不可欠だと確信している。

実際に、日本に長期滞在している外国出身者の生産人口比率は人口全体の81%を占める。日本の生産労働人口(15~64歳の人口)は過去20年間で650万人激減しており、現時点で生産労働人口の人口全体の60%まで下がっていることからも、インバウンド・タレントが増えることがいかに日本に対してインパクトが高いかが分かる。

Lincはインバウンド・タレントのサポートを通じて、日本社会を変革しようとしてる会社だ。

経緯は後ほど書くが、起業当初から僕はLincを海外から日本に来て、学び、生活し、働く外国人材のライフイベントを支える、インバウンド・タレント版のリクルートにしていきたいと強く想ってきた。

そして、Lincのビジョン、ミッション、世界観の実現は、急激に少子化が進み、労働需要が高まる日本における労働力不足を解決できると考えている。

紆余曲折しているものの、最近は良いメンバーにも巡り合え、少しづつ自分のビジョンに近づけていると手応えを感じしている。

~生い立ち~

僕と日本の縁は生まれる前から始まった。僕の父親は僕が生まれる三日前に単身で日本に留学に来た(この年になって思うととんでもない父親だ)。僕の下の名前は思遥(しよう)だが、これも「遥か遠くにいく父親を思い出して」の意味を込められ命名されたとのことだ。

そんな僕が初めて日本に来たのは5歳の時だ。そして当時福岡空港で初めて自販機を見た際に本当に感動したことを今でも鮮明に覚えている。僕が日本に来た1996の中国はザ・発展途上国で、コーラは全部瓶に入っており、近くの売店でしか買えないだけでなく、飲んだ後は瓶を売店に返さないと行けなかった(そしてこの返すプロセスがとてもダルい 笑)。そんな中、日本の空港でかっこいいマシンの中に色とりどりの飲料が入った自販機を見た時は驚いた。「コインを入れるとボタンが緑に点滅し→ボタンを押すと勝手にキンキンに冷えたドリンクが出てくる」、これまで飲み終わった瓶を売店までわざわざ返しに行っていた僕にとって自販機は未知なるテクノロジーであり、エクスペリエンスでもあった。衝撃と感動を受けたことは言うまでもない。「日本の技術スゲー」と初めて思えた瞬間だった。今思えば、その時から日本を好きになったのだと思う。

余談だが、当時中国では初代ウルトラマンのアニメが放送されており、それを見るのが毎日の楽しみだった。日本に来る当日、飛行機に乗るため見れなかった際はめちゃくちゃ泣き喚いた。しかし、日本についてテレビで放送されてるウルトラマンティガを見て、その先鋭的なフォルムと色、そしてカッコよさにとても驚き感動し、初代ウルトラマンは一瞬でどうでも良くなった。すまん、初代ウルトラマン 笑

(出典:https://www.oricon.co.jp/special/52402/2/

~日本留学を決意~

僕は中学校と高校は中国大連にあるインタナショナルスクールに通った。周りの友人達が皆欧米の大学進学を目指す中、僕は日本に留学することを選んだ。当時日本に留学に行こうと思った理由は3つある。

1つは僕自身、日本が大好きだった。日本に留学に行くまでも何回も来ているわけで、そのたびに日本のプロダクトの先進性、サービスの質の高さ、そして住みやすさに魅了されていったものだ。

そして2つ目にポジショニングだ。僕は欧米にいく友人達と差別化を図りたかった。当時の僕のルームメイトはろくに勉強もしていなかったが、本当に賢く、最後はUCバークレーのコンピューターサイエンス学科に進学した。彼を見てると、自分より学術的に優れている人間がごまんといる中、同じ道に進んでも勝てないと思った。当時の僕の強みは人並み以上に英語と中国語ができることくらいだ。欧米に行っても差別化は難しいだろうが、日本に行くことで僕の強みをレバレッジできると考えた。

最後に僕は初めて日本に来た時からぼんやりと将来は日本と中国を始め、経済成長著しいアジアを軸に何かやりたいという漠然とした目標を持っていた。その目標を実現するという意味でも日本留学は欠かせなかった。

しかし実際に日本に留学に来てからはたくさんの違和感じ始めた。

最初の違和感は行政や銀行といった生活に必要不可欠なインフラを整う手間の多さだ。中国で生活してきて印鑑を使った記憶等正直全くないが、日本は何をしようにも印鑑がいる、そして何枚、何十枚もの書類に印鑑を一枚づつ押さないといけない。なんて不便なんだろうと思った。

次に違和感を感じたのは住宅だ。日本に来た当初の僕にとって日本の賃貸システムは本当に気持ち悪すぎた。いざ契約に移ると、礼金、敷金、保証金、管理会社手数料、各種保険、等の説明を受けるが、何がどうなっているのかさっぱり分からなかった。(日本に10年近く住んできたが、正直今でも良く分かっていないw)家賃6万円の家がなぜ契約時に60万かかるのかも意味が分からなかった。一番謎なのは保証人制度だ。当時は語学学校に通っており、正直日本人の友達もいないのに、万が一の時に自分に変わって家賃を立て替えてくれる日本人の保証人を探せというのだから、ただの無茶ぶりだ。

この経験を通じて僕は日本における外国人は本当に信用が無いんだな、ということを痛感させられた。本当に悔しかった。

そして当時最大の違和感は進学にあった。大学に行こうと思ってもそもそも日本の大学についてそんなに知らなかったし、進学条件といった情報をどこから入手すれば良いかも分からなかった。当時は語学学校に通っていたが、語学学校は日本語以外に何かを教えてくれることはなった。大学に進学するためには留学生版のセンター試験である「日本留学試験(EJU)」を受験しなければならず、この勉強は全部独学でやらざるを得なかった。日本語学校の先生は日本語を教えることが本業なのだから進学に対して詳しくないのは仕方ないが、留学生が求めているものと語学学校が提供できるサービスの間には大きなギャップが存在することを感じた。

後に就職活動をする際にも感じたことだが、インバウンド・タレントとその受入れ側である大学や企業の情報格差は激しく、日本への留学や就職には依然大きな壁が存在している。

実際悪質な日本語学校やブローカー(仲介業者)は蔓延しており、日本語を学ぶ機会、進学情報を獲得する機会、良いアルバイトに付く機会、良い会社を知る機会、といった日本人にとっては当たり前に思えるようなチャンスでも、インバウンド・タレントにとっては依然として機会が与えられないことが多い。

こうした経験を踏まえ、僕はこれらの課題をLincの事業を通じて解決しきたいという強い使命感を持つように至った。これらの課題を解決していかない限り、彼ら・彼女らの「日本に来て良かった」を最大化させることは決してできないと思う。

~創業の経緯~

日本と中国、またアジアを軸に活躍したかった僕は大学卒業後、唯一の外国人として野村證券の投資銀行部門に採用された。野村は本当に厳しく今思い返せば当時は中々派手に怒られたり(笑)、外国人の僕にとっては「???」な厳しい日本式な上下関係も経験したが、「アジアに立脚したグローバルな投資銀行」をミッションとする野村では、本当に素敵な上司、同僚、そしてお客様に巡り合え、起業するまでの3年弱の期間をみっちり鍛えてもらった。野村時代の上司、同僚、同期、お客様には起業後も多々お世話になっており、本当に感謝してもしきれない。

(退職時に同期に送迎会をしてもらった際の写真)

当時は残業しすぎて急性胃腸炎になったり、朝6時にタクシーで帰宅し、シャワーを浴びて新しいスーツに着替え、そのまま同じタクシーに乗って会社に戻る(投資銀行名物の The Magic Roundabout)も経験したが、他人の二倍の仕事を死に物狂いで働いた結果、様々な経験を積むことができた。

かねてよりインターネットが好きだった僕の人事への直訴もあり、入社後は国内外の通信、メディア、IT業界(TMT)を担当する部署に配属してもらえ、野村を卒業するまで多数のM&A及び資金調達業務に従事し、大型のクロスボーダー案件にも関与することができた。

その中でも2014年10月年にリクルートの上場プロジェクトを主幹事として微力ながらも関われた経験は、Lincを起業するにあたりたくさんのインスピレーションをもたらしてくれた。

上場当日、峰岸社長を始めとするリクルートの経営陣を野村本社のトレーディングフロアまで案内し、初値3,170円、時価総額1兆8,200円で上場した瞬間を一緒に横で経験させて頂けたことは僕に多大な刺激を与えてくれた。

(出典:https://www.asahi.com/articles/photo/AS20141017000282.html)

「いつかリクルートのような、日本を代表する企業を創りたい」、峰岸さんの横で僕はそう心に誓った。

上場5年で今や6兆円にせまる時価総額まで成長したリクルートを志したのは決して憧れから来ている訳ではない。

リクルートの上場をサポートした際、信じられない収益性を誇るライフイベントを支えるリクルートのプロダクトの数々、世の中の「不を解消」することに当たり、インディード買収といった自社既存サービスとの共食いも辞さない「自己否定能力」の高さ、そして上下の隔てなく社員が自由に議論し合い、当事者意識を持って仕事に取り組む姿勢等は大いに勉強になった。

一方で深く関われば関わる程一外国人として、リクルートのサービスは「使いづらい」とも感じた。リクナビなんて毎日スパムのようにメールが来るし、全く使い物にならなかったし、じゃらんを使っている外国人なんてまず周りにいなかった。

前述の通り、僕は一外国人として日本で学び、働き、生活する中でこれまでたくさんの課題や不便、不効率を感じてきた。

そこで今後急速に増えるであろうインバウンド・タレントの属性、習慣、ニーズに特化し、彼ら・彼女らの留学、就職、生活等を最大限サポートでき、「日本に来て良かった」を最大化させられる、そんなインバウンド・タレント版のリクルートの様なサービスをを創ることに人生を賭けたいと思うようになった。

そして僕はそんなユーザーのの各種ライフイベントデータに基づき、日本におけるインバウンド・タレントの「信用」をスコアリングできるプラットフォームを構築したいと考えた。日本における「信用」の構築を通じて、日常生活面における利便性を高めることでインバウンド・タレントがより長期的に日本に滞在しやすい仕組みを作りたい。

~起業後の歩み~

Lincは2016/6/6に会社として登記された。6は中国人にとっては縁起が良い数字だ。まして666等、最高に縁起が良いと思い、この日に登記した。登記はしたものの、人もいなければ、オフィスも持たなかった。だが、プロダクトの構想はできていた。

Lincを起業した際、僕はまずLincStudyというインバウンド・タレント向けの日本留学サービスを作った。留学関連のサービスを作った理由は至ってシンプルだ。日本へ来る外国人材は概ね二パターンしかない:留学を目的とした将来コア人材になり得るインバウンド・タレント、もしくは出稼ぎ目的の単純労働層だ。

僕は当初から優秀層のインバウンド・タレントを囲い込めるサービスをとにかく作りたかった。何故なら日本が最も必要なのは出稼ぎに来る外国人ブルーワーカーでは無く、生産性が高い、付加価値を創造できる人材だからだ。

日本政府は2019年4月より介護、外食、建設等の14の業界において「特定技能」という新種の在留資格の基、今後5年間で最大34.5万人の外国人単純労働者層を受け入れる「改正入管法」を実施し始めたが、僕はこの政策は失敗すると思っているし、むしろ本末転倒だと考えている。

同じ外国人として僕は出稼ぎを目的とした単純労働者層にとって、日本という国が魅力的に感じるとは到底思えない。僕も周りの友人もこれまで様々なアルバイトを経験してきたが、日本は時給の額の割には求められるサービスの質がやたら高く、大変だと感じている。基本動作やマナー、お辞儀の角度、といった日本のサービス業の根幹に位置する「おもてなしの精神」はサービスを受ける側としては素晴らしいが、提供する側にとっては大変な労力がいる。同じく出稼ぎに行くのであれば中国やシンガポールといった国の方が断然コスパが良いと思う。だから、出稼ぎ目的で日本に来る外国人はむしろ減ると考える。

また、僕はAIやロボットがどんどん進化しているこの世の中で、果たして飲食等における単純労働にどれだけ価値があるのかについて懐疑的だ。実際、中国では「新零售(新小売り、ニューリテール)」の概念の基、レストランにてアプリ一つで30分以内に生鮮食品を注文→会計→持ち帰り or 食事の全プロセスを実行することができ、劇的にユーザーの購買効率を高めたことでどんどん人手が削減されている。また、ロボットが人の代わりに食べ物を運んでくれるレストラン等がどんどん増えており、人手がどんどん削減されている。これは日本でも徐々に普及するのではないだろうか。

実質、現時点で日本にて働いている130万人の外国人材の内訳を見てみると、単純労働層である「特定技能」の前身に値する「技能実習」の在留資格の割合は全体の20%にしか及ばない。一方で「留学」や「高度人材・専門的・技術的分野」の在留資格を保有するインバウンド・タレントは全体の50%近くを占める。そして、単独分野で一番大きい割合を占めるのは永住や定住といった「身分に基づき在留する者」で、全体の34%を占める。現時点における日本の永住や定住権の獲得は決して簡単ではない。学歴や就労年数が審査の対象になっており、獲得している人のほとんどがホワイトカラーだ。そして現時点で技能実習生は永住権や定住権を獲得できない仕組みになっている。

そんな付加価値を創造できるインバウンド・タレントに対してサービスを展開すべく、Lincはまず来日留学生の中で一番比率の高い中華圏(中国大陸、香港、台湾)市場向けに、2017年1月に日本初のオンラインに特化した進学情報・Eラーニング一体型サービスLincStudy(羚课日本留学)をリリースした。今後は来日留学生数で上位に入る韓国や東南アジア諸国にもサービス展開して行く予定だ。

来日する留学生数はCAGR 20%で伸びているだけでなく、アジア全体で日本語を学んでいるいわゆる「留学予備軍」は350万人以上いる。単純に日本語学習に一人当たり10万円かけるだけでも3,500億円の市場規模になる。そしてなんといっても、Lincがインバウンド・タレントのライフステージに合わせたサービスを今後展開していくためにも、留学というユーザー獲得の「入口」を抑えることは中長期の事業戦略上必要不可欠だった。

(18坪しかない最初の両国オフィスにて)

Lincはユニコーンになる企業だ。
Lincのビジョンを達成するためには多額の資金が必要なことは、最初から計算済みだった。僕は上場までの財務の予測を作り、逆算し資本政策を作ったが、その上で初期に一番こだわったことが「PMFを証明するまで外部資本を一切入れない」ことだった。

野村時代に仕事以外寝るだけという生活を送っていたため、起業までに何とか1,000万円近くのお金を貯めることができた。おかげで起業一年目は何とか自己資金+創業融資で会社を運転することができ、売上が半年に渡り継続的に立ったタイミングでシードラウンドの1億円の調達を実施した。

シードラウンドの資金調達は非常に上手くいったと思う。当時15社の投資家にお声がけし、ありがたいことに結果13社より出資したいとの申し出を頂けた。

当時資金調達をする際、僕が投資家選びで気を付けたことは「相性」、「経験値」、「取引条件」の三つだ。

最も重視したのは相性だ。Lincの場合、シードで15社近くの投資家にお会いしたが、明確に合う合わないは存在するなーと感じた。ほかの方は分からないが、自分がシードで出資して頂く投資家を探す際、「共同創業者を探すイメージ」で探した。ここの相性は初期のチームビルディングと同じで、「どれほど自分たちが達成しようとしている世界観、課題に共感してくれているか、チームを信じてくれるのか」が自分にとって最も大事な基準だった。

次に自分が重視したのは経験値だ。僕は上場はただの運芸ではなく、連続の成長と問題解決の成果だと思っている。自分は連続起業家ではないので、この先のどこに落とし穴があるのか分からない。後ほど書くが、僕はむしろ調達をするまでに教科書通りの失敗もしたし、かなり回り道もした。そのため「自分たちの未熟さを補完し、経験値から落とし穴を事前に予測し警告・アドバイスしてもらえる」かは投資家選びの際の一番大事な軸の一つだった。

最後は取引条件だ。同じチームになる前の投資家と起業家は正直ゼロサムゲームだと思っている、少なくとも起業家は「最小限の希薄化で最大限の調達額」を目指すと思う。ただ、やみくもにハイバリュエーションを提示するというわけではない。僕は中長期で見た時のベストなエクイティストーリー(最も成功確率を最大化させるエクイティストーリー)をシードの段階から出来る限り予測し、そこからの逆算で考えるようにすることで、互いにとって最高の条件を引きだす努力をする。ここの折り合いがつくかどうかは今後一緒にやってく上でかなり大事だ。特にシード期はトラックレコードが無い中でバリュエーションが付けづらく、相互の感覚がかなりズレる時が多いので、ここでどこまでお互いが論理的に自分らのバリュエーションの説明ができ、互いが納得できる最高の条件を引き出せるかがVCとのやり取りの肝になると考えている。

そんなめんどくさい僕も要求にも誠実に対応してくれ、最終的に出資をしてくれた今の株主であるジェネシア・ベンチャーズとBEENEXTには本当に感謝しているし、最高のパートナーだと思っている。投資を決断してくれた田島さんと前田ヒロさんはいつも起業家目線で物事を考え、辛い時にこそ支えてくれる理想のキャピタリストだ。

~組織崩壊の危機 & 血の教訓~

一方で全てが順風満帆に進む訳もなく、今までたくさんのHard Thingsにぶち当たった。事業上のHard Thingsなんてかわいいものだ。

本当に難しいのは「人」だということを、この3年間で嫌というほど思い知らされた。

3年が経過した今、5人いた初期メンバー1名以外全員辞めた。

まず僕が一番反省しないといけないのは「カルチャー」に対する軽視だった。野村證券というスパルタさでは日本でも3本の指に入るであろう会社で全力で働き続けた僕にとって、起業した直後は「カルチャーなんていいからとりあえず手動かせ」というのが正義だった。本当に恥ずかしい限りだ。当時メンバーはまだ起業に対してパッションがあったからなんとかなっていたが、思い通りに会社が成長しなくなった瞬間、メンバー間の相性の歯車が狂い始めた。問題が起きた際、自分がミスを起こした際に隠蔽しようとするメンバーも現れた。意見や思想、価値観が割れに割れ、チームが二派に分かれ、何人ものメンバーが去っていった。

当時去った一名のメンバーはその後Lincが上手くいっていることが許せなかったのか、僕を詐欺師呼ばわりし、ユーザーになりすましてネット上でLincを攻撃し、デマを拡散させたりもした。本当にショックだった。

とても悲しかったが、ネガティブキャンペーンの対応に時間と労力を取られるより、僕らはいつも以上にプロダクトとサービスを磨くことに集中した。いつの時代も、ネガティブキャンペーンに対する一番の反論はよりサービスとプロダクトを磨き、より多くのユーザーにファンになってもらえることだと思う。また、破天荒フェニックスの本の中でOWNDAYS田中社長も仰っていたが、「疲れた時、諦めたい時に思い浮かぶ一番力をくれるのは俺が失敗して喜ぶ奴の顔だ。そういう奴に好き勝手にさせない為にも、自分は成功しないといけない。失敗したら、やっぱそうか!ってなる。それは許せない。」起業家ならきっとみんなそう思っているであろう。そうならないためにも、僕はこれからもネガティブなことや失敗といった悪い現実から絶対目をそらさずに、できる限りの全ての手を尽くしてユーザーに対して良いサービスを提供することだけに拘っていきたい。

「企業カルチャーを大事にし、価値観で人を選びべき」、当たり前すぎる教科書通りの教えだが、僕にとっては血の教訓だ。

その血の教訓から僕は経営陣を巻き込みすぐに価値観の策定に動いた。まだまだ完璧に浸透できてないと反省している部分もあるが、自分が積極的に発信し、率先して価値観に沿って行動をしていくことでどんどん浸透させていきたい。

その後もメンバーの入れ替わり等があったが、全ての僕についてきてくれたメンバーたちにありがとうと言いたい。一緒に働くメンバーを幸せにすることは僕にとって一番大事なミッションだ

そして苦労や喧嘩別れもあったが、それでも初期メンバーには心から感謝したい。Lincが初期にプロダクトをリリースできたことが彼らの努力のおかげであることは紛れもない事実だ。

僕にとっての二つめの教訓はメンバーの「能力を褒めるのでなく、結果を褒める」ことだ。

僕は今まで採用において頭が良い人、能力が優れてそうな人=優秀だと思っていた。だがこれはとても間違っていた、何故なら本当に優秀な人材は、粘り強く結果を残せる人材だからだ。能力では無く結果を重視し、その人がどれだけ大きな結果を残したか、そしてその残した結果に再現性はあるのかにもっと時間をかけて見極めるべきだった。

そして、経歴が素晴らしく能力も高い人であればある程、割と今までの人生を自分の思い通りに生きてきているのでHard Thingsに脆く、自分のComfort Zoneに逃げたくなる人が多い。そういう意味でも経歴や能力に関係なく、たくさん挫折や悔しい想いをしてそれでも諦めず粘り強く問題を解決し、這い上がって来た経験がある人間は本当に強い。

幸い、これらの教訓から学び、最近は本当に自分より優秀だと思え、任せられる仲間が数名立て続けに参画してくれた。その中でも一番助けられているのは自分より12歳年上の娄の存在だ。

娄は僕と同じく、高校卒業後に日本に留学に来た。その後、東大の学部・大学院を出て ⇒ 新卒でマッキンゼーに入社し、7年間弱働き ⇒ 中国担当VPとしてDeNAに転職しモバゲープラットフォームの中華圏における立ち上げを経て ⇒ Metapsの中華圏事業掌管執行役員として同社の上場に貢献してきたという経歴の持ち主だ。

娄とは共通の友人が40人近くおり、当初は単に事業の相談をしたかっただけだった。それでも話していくうちにLincのビジョン、ミッション、価値観に非常に共感してくれ、気が付けばその場で一緒にやろう!となったのだ。

最初はそんな「ピカピカな経歴」を持つ娄に対し、本当に結果を出せるのか?と疑った。それでも蓋を開けてみれば戦略の解像度が上がり、事業が加速しただけでなく、娄のリファラルで何人もの優秀な人材がLincに目を向けてくれるようになった。

娄の存在で僕は自分より優秀なメンバーが入社するだけで、こうも楽になれるものなのかと思わされた。
これからは結果にコミットできる、自分より優秀な人間の採用にフルコミットしていきたい

~今後の展望~

令和の始まり。

一外国人として新しい時代の幕開けを目の当たりにできたことに僕にとってとても感慨深い。留学生として日本に来て早10年。自分が知っている日本は全部平成だった。

平成の時代が戦争からの「再建」の時代だとすれば、令和は多様性を受け入れ、共に歩み「共創」する時代になると確信している。そんな時代を創る中心的な役割はLincが担っていかなければならない。

前述の通り、中長期的に生産労働人口が減る日本が経済成長を保ちたい場合、より付加価値を創出できる人材を確保する必要がある。そのためには、年収の数倍の価値を創出し、日本の文化や価値観、そして社会・企業情勢に対して高度な理解力と適応能力を備えた、ビジネスレベルで活躍できる、コアになりうるインバウンド・タレントに来てもらわなければならない。

Lincはそんなインバウンド・タレントの留学、就職、生活といったライフイベントを支える様々なサービスを展開するプラットフォームになり、彼ら・彼女らが日本で活躍しやすい土壌を作っていかないといけないのだが、今は全てのポジションで仲間が足りていない状況だ。

日本は長期的に滞在する外国人の目から見たらまだまだ鎖国的な側面が多々残っている。そんな日本で開国の狼煙を上げ、インバウンド・タレントが活躍できる、多様性と包容力溢れる社会をLincと共創したい方がいましたら、是非気軽にオフィスまで遊びに来てください。

(去年実施したユーザーイベントにて)


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